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つながりの強いひと
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増田長盛
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。豊臣政権五奉行の第三席。父母は不詳、弟に増田長俊、子に盛次、長勝、新兵衛。官位は従五位下右衛門少尉。 |
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安国寺恵瓊
戦国時代から安土桃山時代にかけての禅僧・大名。“安国寺”は、住持した寺(安芸安国寺(不動院))の名である。毛利氏の外交僧(武家の対外交渉の任を務めた... |
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前田玄以
戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶・武将・大名。豊臣政権における五奉行の1人であり、丹波亀山藩の初代藩主である。 |
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丹羽長秀
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田氏の家臣。 |
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浅野長政
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊臣政権の五奉行筆頭。常陸国真壁藩主。通称は弥兵衛。初名は長吉(ながよし)。長政は晩年の改名で、... |
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島津義弘
島津義弘公とは?
天文4年(1535)島津家第15代貴久公の次男として、鹿児島県南部に位置する伊作(いざく)の亀丸(かめまる)城にて生まれる。祖父、日新公... |
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和田竜
日本の脚本家、小説家。大阪生まれ、広島育ち。 オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞し、同作の小説化作品『のぼうの城』が第139回直木賞候補と... |
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本多忠勝
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総国大多喜藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。徳川... |
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大谷吉継
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。越前敦賀城主。名前については「吉隆」とも。業病を患い、面体を白い頭巾で隠して戦った戦国武将として有名... |
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宇喜多秀家
安土桃山時代の武将・大名。豊臣政権下の五大老の一人。通称は「備前宰相」。大名家としての宇喜多氏最後の当主であり、備前岡山57万4,000石の大名。 |
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成田長親
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。成田泰季の嫡男。小田原の役において、北条方で最も長く持ちこたえた忍城の守将である。 |
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小西行長
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。洗礼名アウグスティヌスを持つキリシタン大名でもある。泉州堺の商家に生まれ、一時期は宇喜多氏に仕え、後... |
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福島正則
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。 |
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吉川広家
戦国時代から江戸時代の武将。毛利氏家臣で周防岩国領初代当主。正式な大名でなく、あくまで毛利氏の家老という陪臣であり、岩国藩主と呼ぶのは厳密には誤り... |
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毛利秀元
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。長門長府藩の初代藩主。毛利元就の4男・穂井田元清の長男。母は村上通康の娘・妙寿院。正室は豊臣秀長の... |
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長宗我部盛親
安土桃山時代から江戸時代前期の土佐の大名・武将。長宗我部氏第21代当主。 |
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毛利輝元
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将として擁立された。長州藩初代藩主(ただし、藩主... |
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筒井順慶
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。名ははじめ「藤勝」。「藤政」とも。得度して後順慶と称した。大和筒井城主、後に大和郡山城主。事績に... |
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加藤清正
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人である。その後も各地を転戦し... |
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藤堂高虎
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予国今治藩主。後に伊勢国津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。何度も主君を変えた戦国武将として知ら... |
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プロフィール
- 長束正家とは
- 生涯
- 秀吉近臣時代
- 水口城主時代
- 関ヶ原
- 家族、子孫
- 家臣
- 演じた俳優
- 関連サイト
長束正家(なつかまさいえ/ながつかまさいえ)は、安土桃山時代の武将、大名。豊臣政権の五奉行の一人。父は水口盛里(安芸守)といわれる。弟に直吉(伊賀守)がいる。近江国水口岡山城主。本姓は大蔵氏という。別説に本姓は水口氏で天正年間、居城水口城が落城したため長束村に在し、その地名を取って長束を称したとの記録もある。熊本藩の侍帳の正家の子孫の項目には正家の父盛里までを水口氏とし、正家以降を長束氏として記録している。
生涯
| 永禄5年(1562年)、水口盛里の長男として近江国栗太郡長束村(尾張国説もある愛知県稲沢市長束町に長束正家邸址の碑がある。 |
| で生まれたといわれる。 |
秀吉近臣時代
| 初め丹羽長秀に仕えたが、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の奉公衆に抜擢され、丹羽氏が大減封処分を受けると財政上不正があったと豊臣家より糾弾されたが、正家は帳簿を証拠として提出し、これに抵抗した。 |
| この後豊臣氏直参の家臣になった。 |
| 高い算術能力を買われて財政を一手に担い、豊臣氏の蔵入地の管理や太閤検地の実施に当たった。 |
| 天正14年(1586年)の九州の役・天正18年(1590年)小田原の役では兵糧奉行として兵糧の輸送に活躍し、小田原の役では20万石の兵糧を滞りなく輸送したほか、小田原周辺において米3万石を買占め小田原城を兵糧攻めにした。 |
| 支城の戦いでは家臣家所帯刀・臼杵平四郎・一宮善兵衛・有坂宮内・増田新次郎らが忍城攻めにおいて武功を立てている。 |
| 本人も里見氏が秀吉に臣従する際の申し次役を務めて功を立てた。 |
| 戦後には家臣であった弟の正隆が秀吉の直参に取り立てられている。 |
| 文禄・慶長の役では肥前名護屋に在陣し兵糧奉行も務めた。 |
| この間、天正14年(1586年)には本多忠勝の妹・栄子を正室に迎え、17年(1589年)には長男・半右衛門助信が誕生している。 |
| 半右衛門には山中三十郎が家老として付けられた(「北野社家日記」)。 |
| 翌18年(1590年)正月13日には人質として上洛した徳川秀忠の出迎えの任に当たるなど、徳川家との関係も深かった。 |
| 農村支配にも関与しており、文禄3年(1594年)2月には豊臣秀次とも相談の上、中川秀成の豊後入封に際し隣接する蔵入地代官太田一吉に協力を求めて戦乱によって荒廃した農村の再建、逃亡した農民の還住策を指示している。 |
水口城主時代
| 文禄4年(1595年)に近江水口城5万石を拝領し、五奉行の末席に名を連ねる。 |
| 慶長2年(1597年)には12万石に加増され、官位も従四位下侍従に昇任した。 |
| 領内ではのちに家松山大徳寺となる浄慶寺に保護を加え、この縁故によって後年遺児が同寺に迎えられ三世門跡還誉岌閑となる。 |
| 蒲生秀行が減封された際には、松田秀宣らの蒲生浪人を召抱えた。 |
関ヶ原
| 秀吉没後は石田三成方に与し、家康打倒の謀議に参加するが、家康の伏見城入城を阻止できず、前田玄以と共に家康に会津征伐の中止を嘆願したが聞き入れられないなど、功を奏さなかった。 |
| さらに息子と家臣が水口にて会津征伐へ向かう家康の暗殺を謀っているとの噂が立ち、甲賀衆篠山景春の通報によって家康は城下を素通りした。 |
| 慶長5年(1600年)に三成らとともに毛利輝元を擁立して挙兵する。 |
| 開戦当初には山崎家盛に欺かれ、池田輝政の妻子を大坂城に人質として抑留することに失敗している。 |
| 初め陣代家所帯刀、武者奉行伴五兵衛らを将として伏見城攻めに兵を送り、家臣甲賀衆鵜飼藤助の働きによって城内の甲賀衆を寝返らせることに成功、城を落城に導く功をあげた。 |
| 7月下旬には伊勢の安濃津城を攻略する。 |
| しかし伊勢方面の戦いでは少数の敵船団を家康の本隊と誤認して退却する失態も犯している。 |
| この後弟直吉に水口岡山城の守備を任せて大垣城へと向かった。 |
| 関ヶ原の戦いでは毛利秀元・吉川広家とともに南宮山(岐阜県不破郡)に布陣し合戦前には浅野隊と南宮神社付近で交戦、池田輝政隊と銃撃戦を展開したが、広家の妨害のため、秀元や長宗我部盛親ら同様に本戦に参加できず、西軍が壊滅すると撤退した。 |
| このとき島津隊の撤退を助けるため道案内に家臣を遣わしたとも言われる。 |
| 戦場離脱後は水口城を目前に山岡道阿弥率いる軍勢の攻撃を受けて敗走、弟玄春が捕らえられ、処刑されている。 |
| 正家は松田秀宣の活躍で入城に成功するも、寄せ手の亀井茲矩・池田長吉に本領の安堵を約束されるが城から出たところ欺かれ捕縛された。 |
| このとき重臣嶺三郎兵衛、家所帯刀、伏兎彦之丞以下6人も入城した池田軍に捕縛されている。 |
| 捕えられた正家は弟直吉と共に家臣奥村左馬助の介錯で切腹した。 |
| 重臣6名も同日、近江日野で切腹させられた。 |
| 首は京都三条橋で晒され、財産は池田長吉に奪われたという。 |
| 地元古城山の阿迦之宮に霊が祀られる。 |
家族、子孫
| 正室は本多忠勝の妹の栄子。 |
| 子に半右衛門助信、長吉、祐順らがいる。 |
| このほか関ヶ原後に栄子が男子を出生。 |
| 栄子が死亡したため家臣山本浅右衛門が養育した。 |
| この遺児はのちに水口大徳寺の三世門跡還誉岌閑となっている滋賀県甲賀市水口に栄子を供養する姫塚がある。 |
| 弟直吉の子孫は浅野家に仕えたという。 |
| 水戸藩の支藩陸奥守山藩主松平頼平は正家の遺物である村正の刀を愛蔵していたという。 |
| その刀の由来書によると正家の子孫に佐野と苗字を改めて泉州岸和田の岡部家に仕えた者がいたと言われる。 |
家臣
| 長束与十郎-一族か。 |
| 正家切腹の際、形見の品を拝領した。 |
| 奥村左馬助-使番。 |
| 水口城攻防戦の際、池田長吉・亀井茲矩の下に赴き正家が切腹するための猶予を乞い認められた。 |
| 西川兵庫 -使番。 |
| 家所帯刀 -信長、秀吉に直臣として仕え、天正12年(1585年)木造具康攻めの際には秀吉の命で連部城を築城し、宮山城を奪取するなどの武功をあげた。 |
| 小田原の役では忍城攻めで武功をあげ、関ヶ原前哨戦では伏見城攻撃に参加した長束勢を陣代として率いた。 |
| 小西治右衛門-宇土城主小西行長の一族か。 |
| 正家切腹の際、形見の品を拝領した。 |
演じた俳優
| 森塚敏(関ヶ原、TBS、1981年)。 |
| 村上幹夫(おんな太閤記、NHK大河ドラマ、1981年)。 |
| 石濱朗(徳川家康、NHK大河ドラマ、1983年)。 |
| 森幹太(真田太平記、NHK、1985年)。 |
| 西田健(徳川家康、TBS、1988年)。 |
| 伊藤高(家康が最も恐れた男真田幸村、テレビ東京、1998年)。 |
| 黒沢年男(葵徳川三代、NHK大河ドラマ、2000年)。 |
| 藤岡大樹(利家とまつ〜加賀百万石物語〜、NHK大河ドラマ、2002年)。 |
| 草薙良一(功名が辻、NHK大河ドラマ、2006年)。 |
| 菊地真之(天地人、NHK大河ドラマ、2009年)。 |
| 平岳大(のぼうの城、東宝映画、2011年)。 |
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1562年
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水口盛里の長男として近江国栗太郡長束村(尾... |
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1585年
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豊臣秀吉の奉公衆に抜擢され、丹羽氏が大減封... |
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