| 5人兄弟の長男(2番目)として誕生。 |
| 指名試合以外でもランキング上位者を中心に対戦している。 |
| また、日本テレビは長谷川の世界王座獲得以来、長谷川の防衛戦の放送を「ワールドプレミアムボクシング・TheReal」と銘打って大々的に中継するようになった。 |
| 世界王者になる前の長谷川はスピードとバランスを生かしてポイントを稼ぐための"倒さないボクシング"を徹底して |
| バンタム級では減量苦であることとWBCのバンタム級世界ランカーには世界的な知名度と人気を誇る選手がいないため、一時期の目標は「ラスベガス進出、他団体との統一王者、日本人史上初の3階級制覇」であったが、具志堅用高の持つ日本人史上最多の世界王座13連続防衛記録が近づくにつれて、防衛戦に勝つたびに次戦で階級を上げるかバンタム級に残留するか苦悩する発言が多くなっていた。 |
| 2009年になってから長谷川本人はWBA世界フェザー級スーパー王者クリス・ジョンとの対戦を希望する発言が多くなった。 |
| また、2010年元日の会見では「クリス・ジョン、ユリオルキス・ガンボア、プーンサワット・クラティンデーンジムの順に興味がある」と発言した。 |
| 日本ボクシングコミッション(JBC)はメジャー4団体の一つであるIBFとWBOを公式な世界王座団体として認定しておらず、IBFとWBOのタイトルマッチに日本人ボクサーが出場することを禁止しているが、「国内世界王者とJBC未公認メジャー団体(IBFとWBO)王者による王座統一戦に限り、容認する」との意向を一度は表明したため、他団体王者との統一戦実現のための追い風が吹いたかに見えた |
| 所属する真正ジムの会長で長谷川の専属トレーナーも務めているのは、元兵庫県警警察官でボクサー経験皆無という異色の経歴の持ち主である山下正人。 |
| 元々は千里馬神戸ジムで長谷川を指導していたが、同ジムから独立し真正ジムを設立した際、長谷川も同ジムに移籍。 |
| 長谷川は山下に全幅の信頼を置いており、「山下会長あってのオレなんです。 |
| 会長がオレのセコンドに就かないなんて考えられない」と語っている。 |
| 各試合とも入場時、必ず長谷川のグローブに手を置き、二言三言ほど言葉を掛けてからリングに上げている。 |
| 長谷川の世界タイトルマッチでは全て帝拳プロモーションの本田明彦会長がプロモーターを務めており、真正ジムの山下会長は帝拳ジムでJBCのライセンスを取得しており帝拳と深いつながりがある。 |
| また、帝拳ジム所属の粟生隆寛、ホルヘ・リナレスらとは仲が良く、一緒にハワイ合宿に行くなど切磋琢磨している。 |
| 特に粟生は長谷川にとって弟分のような存在である。 |
| (#交友・逸話も参照)。 |
| 17歳の頃に知り合った夫人と2002年に結婚。 |
| 現在は2人の子を持つ父親でもある(試合時に着用しているトランクスには第1子=長男の名前を入れている)。 |
| 長谷川がバラエティ番組に出演した際には妻の恐妻ぶりがしばしば笑いのネタとなっている。 |
| しかし、自他共に認める大食いである長谷川が減量に苦しんでいる時にはカロリーが少なく栄養がある食品を選んで、少しでも豪華な料理と感じられるように盛り付けを工夫したり、長谷川と一緒に減量するなど献身的に支えてくれていることに対して長谷川は常々妻への感謝を口にしている。 |
| プロデビュー時の体重は58kgほどだったが、WBCバンタム級王座在位時には65kgにまで増え、防衛戦のたびに10kgを超える減量を強いられた。 |
| 自身は常々「早く階級を上げたい。 |
| スーパーバンタム級(55.338kgリミット)でもキツイくらい。 |
| フェザー級(57.153kgリミット)なら楽に戦える」と語っていた。 |
| その後、11度目の防衛戦で王座陥落後、スーパーバンタム級を飛び越し、フェザー級に転向。 |
| 試合を控えた時期の会見において、世界王座3度目の防衛戦以来、対戦相手の母国語で書かれたメッセージをプリントした「挑発Tシャツ」を作って披露することが恒例となっている。 |
| 挑発とはいっても過度な暴言などではなく、ダジャレを効かせたものや軽いノリで作ったものが多い。 |
| 5度目の防衛戦のシモーネ・マルドロット戦前には「俺のチ○ポの方が硬いぜ」と下ネタを交えたものを披露したが、マルドロットが婚約者を同伴していたことに気遣い、それを使用することはなかった。 |
| 長谷川の母親は2006年11月に大腸癌が発見されて以来、闘病生活を送っていた。 |
| 特に最先端の陽子線治療を受ける際には陽子線治療機関への一度の入院で約300万円の医療費がかかるため、「母親のためにも絶対に勝ち続けて医療費を稼ぎたい」という気持ちが大きなモチベーションの一つになっていた。 |
| 一方の母親も息子の試合当日は病の身体を圧し必ず会場まで応援に駆け付けていたが、息子のWBCフェザー級王座挑戦を1か月後に控えた2010年10月24日に死去 |
| その後、長谷川は11月26日の試合で王座獲得を果たした際、リング上で母親の遺影を掲げ喜びを表した。 |
| 入場テーマは、「OnceYouHadGold(Enya)」。 |
| 座右の銘は「意思道拓」である。 |