120525
109255
734223
%E9%96%8B%E9%9A%86%E5%B1%B1%E5%8B%98%E4%B9%8B%E4%BA%9F
%E9%96%8B%E9%9A%86%E5%B1%B1%E5%8B%98%E4%B9%8B%E4%BA%9F
%E9%96%8B%E9%9A%86%E5%B1%B1%E5%8B%98%E4%B9%8B%E4%BA%9F
%E9%96%8B%E9%9A%86%E5%B1%B1%E5%8B%98%E4%B9%8B%E4%BA%9F
%E9%96%8B%E9%9A%86%E5%B1%B1%E5%8B%98%E4%B9%8B%E4%BA%9F
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
タグはありません
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
岩風角太郎
東京都江戸川区春江町出身(出生地は宮城県)で、1950年代から1960年代にかけて活躍した大相撲力士。若松部屋(一時、西岩部屋)に所属していた。最高位は東... |
|
|
清國勝雄
秋田県雄勝郡雄勝町(現在の湯沢市)出身で荒磯部屋(後に伊勢ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は佐藤忠雄(さとうただお)。現役時代の体... |
|
|
新海幸藏
大相撲の力士。秋田県秋田市出身。本名中野幸藏。出羽海部屋所属。最高位は東関脇(1935年5月)。現役時代の体格は174cm、98kg。得意手は、右四つ、足癖、吊... |
|
|
幡瀬川邦七郎
昭和初期に活躍した大相撲力士。本名は佐藤邦七郎、のち師匠楯山の娘と結婚して大野姓となった。身長173cm、体重86kg。最高位は関脇。 |
|
|
出羽湊利吉
秋田県南秋田郡土崎港町(現在の秋田県秋田市)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は佐藤利吉(さとうりきち)。身長177cm、体重98kg。得意手は、右四... |
|
|
青ノ里盛
青森県三戸郡倉石村(現役当時、現在は同郡五戸町)出身の元大相撲力士。時津風部屋に所属した。本名は小笠原盛(おがさわらさかり)。最高位は西張出関脇(1... |
|
|
小城ノ花正昭
佐賀県小城郡三日月町(現・同県小城市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。最高位は西関脇(1962年11月場所・1963年1月場所・同年3月場所)。現役時... |
|
|
清瀬川敬之助
大相撲の力士。秋田県平鹿郡大森町(現横手市)出身。本名は守屋→三輪敬之助。最高位は関脇。現役時代の体格は174cm、98kg。 |
|
|
豪風旭
秋田県北秋田郡森吉町(現在の北秋田市)出身で尾車部屋所属の現役大相撲力士。本名は成田旭(なりたあきら)、愛称はアキラ。身長171cm、体重142kg、血液型... |
|
|
両國勇治郎
大相撲の力士。出羽海部屋所属。最高位は関脇。秋田県大仙市出身。本名は西村(後に伊藤)勇治郎。現役時代の体格は173cm、90kg。得意手は左四つ、櫓投げ、小... |
|
|
花乃湖健
秋田県南秋田郡井川町出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は澤石健(さわいしけん)。最高位は西小結(1987年5月場所・1989年3... |
|
|
大ノ海久光
元大相撲力士、元花籠親方。最高位は前頭3枚目。秋田県南秋田郡井川町生まれ。本名は中島久光(旧姓工藤)。現役時代の体格は176cm、99.5kg。得意手は左四つ... |
|
|
青葉城幸雄
宮城県仙台市太白区出身の元大相撲力士。押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した。本名は庄司幸雄(しょうじゆきお)。現役時代の体格は180cm、148kg... |
|
|
巴富士俊英
秋田県鹿角郡十和田町(現在の鹿角市)出身の元大相撲力士。九重部屋に所属していた。本名は黒澤俊英(くろさわとしひで)。現役時代の体格は192cm、153kg。... |
|
|
海乃山勇
元大相撲力士である。本名は入井勇、茨城県龍ケ崎市出身。小野川部屋、のち出羽海部屋所属。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg... |
|
|
若三杉彰晃
1950年代後半から1960年代にかけて活躍した香川県丸亀市土居町出身の大相撲力士。最高位は東関脇(1963年(昭和38年)5月場所、同年7月場所など)。花籠部屋... |
|
|
明武谷力伸
明武谷力伸(みょうぶだにりきのぶ、本名・明歩谷清(きよし)、1937年4月29日-)は大相撲の元宮城野部屋の力士である。北海道阿寒郡阿寒町(現・釧路市)出... |
|
|
魁輝薫秀
友綱部屋に所属した元大相撲力士。最高位は東関脇(1979年7月場所)。青森県上北郡七戸町(現役時代は天間林村で、場内放送の出身地紹介では〈村〉を省いてア... |
|
|
プロフィール
- 開隆山勘之亟とは
- 来歴
- 主な戦績
- 改名歴
- 年寄遍歴
開隆山勘之亟(かいりゅうやまかんのじょう、本名:青木勘之丞(あおきかんのじょう)、1939年8月28日-1986年9月10日)は、秋田県南秋田郡昭和町(現・同県潟上市)出身で、1960年代に活躍した大相撲力士。伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属していた。最高位は西関脇(1964年5月場所・同年11月場所)。現役時代の体格は179cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り、首投げ。
来歴
| 高校相撲の強豪校であった金足農業高校在学時、荒磯親方(元横綱・照國)にスカウトされ、家族は長男である事を理由に角界入りを反対した。 |
| だが、荒磯部屋の後援会長でもあった開隆堂出版の社長の説得もあって、高校を1年で中退して同部屋に入門した。 |
| 「開隆山」の四股名は、この開隆堂の名に因むものである。 |
| 1956年3月場所にて、16歳で初土俵。 |
| 翌場所、「照ノ若」の四股名で序ノ口に付き、同年9月場所より「開隆山」に改名した。 |
| 以来出世街道を驀進し、三段目までは各段1場所で突破したが、幕下に上がってからは膝の怪我もあって十両昇進まで約3年を要した。 |
| 1959年11月場所で新十両に昇進すると、4場所連続の勝ち越しでこの地位を突破し、翌年7月場所で新入幕。 |
| 色白の美男幕内力士として、当時より人気があった。 |
| その後、師匠(元照國)が年寄名跡を変更した事に伴い、1961年1月より所属の部屋名が伊勢ヶ濱部屋に変わっている。 |
| 1961年11月場所では、直前に揃って横綱に昇進した柏戸と大鵬をともに破って殊勲賞を受け、1964年3月場所でも新横綱の栃ノ海を破り「新横綱キラー」として名を馳せた。 |
| また、1962年7月場所では大関に昇進したばかりの栃光と栃ノ海に勝つなど、「新大関キラー」ぶりも発揮している。 |
| しかし、持病の痛風や負傷のために大成できず、1967年9月場所を最後に十両へ陥落。 |
| 十両尻まで下がり途中休場した1968年3月場所限り、28歳の若さで引退した。 |
| 大柄なのに前捌きが巧く、相手に左差しを許さないほど右脇が堅かった。 |
| これは、部屋付きの浅香山親方(元小結・若瀬川)の指導の賜だったとされる。 |
| しかし、腕力が強く捻り技や首投げで横綱達を倒したのが良くなかったか、これに拘るきらいがあった。 |
| 引退後は年寄・楯山から同・桐山を襲名し、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として後輩達を指導しつつ審判委員も務めていたが、1980年12月に廃業。 |
| その後は故郷に戻り、余生を送ったという。 |
| 1986年9月10日、糖尿病のため秋田市内の病院で逝去。 |
| お酒が大好きで、蔵前国技館の改装の際には升席で酒を飲みながら、「こんないい席で相撲が見られて酒が飲めるなんて、幸せな事だよ」と言っていた。 |
| また、同時代に活躍した関脇・房錦(後、年寄・山響→同・若松)とは、親方時代しょっちゅう飲み比べをしたという事である。 |
主な戦績
| 幕内在位:44場所(うち関脇2場所、小結2場所)。 |
| 幕内成績:306勝354敗勝率.464。 |
| 通算成績:451勝441敗17休(69場所)勝率.506。 |
| 三賞:殊勲賞3回(1961年11月場所、1964年3月場所、同年9月場所)。 |
| 金星:8個(柏戸2、大鵬3、栃ノ海3)。 |
| 各段優勝:十両1回(1960年5月場所)、三段目1回(1957年1月場所)、序二段1回(1956年9月場所)。 |
改名歴
| 照ノ若(てるのわか、1956年5月場所)。 |
| 開隆山(かいりゅうやま、1956年9月場所-1968年3月場所(引退))。 |
年寄遍歴
| 楯山(たてやま、1968年3月-1969年1月)。 |
| 桐山(きりやま、1969年1月-1980年12月(廃業))。 |
|
1956年
|
照ノ若(てるのわか、場所) |
|
1980年
|
廃業 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
開隆山勘之亟さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|