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つながりの強いひと
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ファイティング原田
日本の元プロボクサー。本名は原田政彦(はらだまさひこ)。ファイティング原田ジム会長。第10代日本プロボクシング協会の会長で現在は同顧問。プロボクシン... |
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新井田豊
日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市鶴見区出身。第12代ならびに第15代WBA世界ミニマム級王者。第15代王座は7度防衛した。横浜光ボクシングジム所属。右ボ... |
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畑山隆則
日本の元プロボクサー、元WBA世界スーパーフェザー級、ライト級チャンピオン。青森県青森市出身。血液型A型。日本人4人目の世界2階級制覇者。青森山田高校を... |
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海老原博幸
日本の元プロボクサー。東京都福生市出身。本名は松田博幸。協栄ボクシングジム所属。元WBA・WBC世界フライ級チャンピオン。東京都立第五商業高等学校中退。... |
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沼田義明
日本の元プロボクサー。北海道沙流郡門別町(現日高町)出身。元WBA・WBC統一世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)王者。東洋ジュニアライト級(現... |
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ハワード・ウィンストン
イギリス出身の元プロボクサー。元WBC世界フェザー級王者。ウェールズの生まれ。右手指を失ったハンデを克服、名王者ビセンテ・サルディバルと三度好勝負を演... |
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青木勝利
日本の元プロボクサー。東京都杉並区出身。三鷹ジム所属。東洋バンタム級王者。「メガトン・パンチ」と称された強打と抜群のセンスで、当時の日本記録である7... |
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花形進
日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。元WBA世界フライ級王者。右ボクサーファイター。現役時代は横浜協栄ジム(現・オーキッド・カワイ・ボクシングジ... |
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柴田国明
日本の元プロボクサー。茨城県日立市出身。身長163cm。ヨネクラボクシングジム所属。元プロボクシング世界2階級(フェザー級、スーパーフェザー級)王者。 |
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眠狂四郎
柴田錬三郎の小説に登場する剣客。1956年5月から『週刊新潮』に連載された「眠狂四郎無頼控」で初登場した。『大菩薩峠』(中里介山著)の主人公机竜之助に端... |
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ジョー・メデル
メキシコの元プロボクサー。メキシコシティ出身。最高位は世界バンタム級1位。 |
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ちあきなおみ
日本の元歌手、女優。芸能界に入れば、大ファンであったプロボクサーの関光徳に逢えるかも知れないという理由で歌手を志した。1992年に夫の郷鍈治との死別を... |
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宍戸錠
俳優。大阪市北区出身。日活スターの1人。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。小林旭と『渡り鳥シリーズ』など多数の映画で共演し、エースのジョーという愛称で... |
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森田健
日本ボクシングコミッション事務局長。日本の元プロボクサー、日本ボクシングコミッション審判部長経験者。群馬県高崎市出身。血液型A型。 |
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力道山
日韓両国の共同製作、プロレスラー・力道山を題材とした映画。韓国では2004年12月に公開され、日本では2006年3月より全国上映された。多くの現役日本人プロレ... |
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村田英次郎
日本の元プロボクサー。滋賀県大津市出身。現役時代は下北沢の「金子ボクシングジム」に所属し、OPBF東洋太平洋バンタム級王座を獲得した。世界挑戦も4度経験... |
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野口恭
日本の元プロボクサー。元ボクシング日本フライ級王者。野口ボクシングジム名誉会長。愛媛県出身。父親はプロボクサーであり野口ボクシングジム創始者のライ... |
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金沢和良
日本のプロボクサー、キックボクサー。北海道札幌市出身。アベボクシングジム所属。 |
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ムサシ中野
日本の元プロボクサー。本名は中野勝也。元東洋太平洋ウェルター級チャンピオン。右フックを得意としたサウスポーで、日本重量級史上を代表する強打者。 |
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プロフィール
- 関光徳とは
- 現役時代
- 引退後
- エピソード
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
関光徳(せきみつのり、1941年1月4日-2008年6月6日)は、日本の元プロボクサーおよびプロボクシングプロモーター経験者。東京都北区出身。元OBF東洋フェザー級王者。横浜光ボクシングジム元会長。
現役時代
| 世界ミドル級チャンピオンであったロッキー・グラジアノの半生を映画化した「傷だらけの栄光」に興奮した友人のボクシングジム入門に付き添っていったところ、つい自分も入門してしまったという。 |
| 1958年、新和ボクシングジム(新和拳)からフライ級でデビューしたが初戦は黒星。 |
| 同じジムの同じ階級の先輩に後に日本ボクシングコミッション審判部長となる森田健、日本プロボクシング協会会長も務める木村七郎とはスパーリングで切磋琢磨しあった。 |
| しかしアジアの強豪を次々に破り、デビューから2年半後の1961年6月27日、遂に世界初挑戦のチャンスを掴み、世界フライ級チャンピオンポーン・キングピッチ()に挑戦。 |
| 減量に苦しむ関はキングピッチの老獪なボクシングに強打を封じられ、判定負けで王座獲得ならず82頁下段。 |
| 次戦でバンタム級に転級し、1961年8月31日、世界ランカーのジョー・メデルと再起戦を行うも5回にカウンターを受けKO負け。 |
| 以後は階級をフェザー級に上げ、1962年9月12日、ベラニド・チャルムーン()などの強豪らから12度防衛に成功した。 |
| 1963年は、年間11試合を行い全勝(8KO)、この余勢をかって1964年3月1日、東京:蔵前国技館で世界フェザー級王者シュガー・ラモス()に挑戦したが、ラモスの強打に歯が立たず6回KO負け187頁上段。 |
| この試合の後、再起戦でも小林弘(中村)に10回判定負けするなど一時スランプであったが、その後復調し、1966年8月7日、ラモスをKOし王座についていた「メキシコの赤い鷹」ビセンテ・サルディバル()に敵地で挑戦するチャンスを掴んだ。 |
| この試合では、左でダウンを奪うも15回判定負け187頁下段。 |
| 翌年1月29日の再戦でも7回KO負け188頁上段するなど、フライ級時代を含め4回の世界王座挑戦も戴冠することはできなかった。 |
| サルディバルの王座返上を受け、関は1968年1月23日、英国:ロンドンにて5度目の世界王座挑戦となったハワード・ウィンストン()とのWBC世界フェザー級王座決定戦を戦ったが、9回TKOで敗退し現役引退した188頁下段。 |
| この試合は、当時JBCがまだWBCを認定していなかったため、国内でのWBCタイトル戦が挙行できず、敵地での開催となったものであり、試合がほぼ互角で進んだ9回に、関が右目の上に軽い傷を負い、レフェリーが試合を中断しリングドクターに見せようとしたところ、ストップと勘違いしたウィンストンのファンがリングになだれ込んで収拾がつかなくなり、うやむやのうちに関のTKO負けになってしまった。 |
| 関に同行していたトレーナーの一人は、リングサイドで観戦していた前王者のサルディバルが、この措置に大声で「パブローン!」と何度も抗議していたのを目撃している。 |
| パブローンはスペイン語で「泥棒、盗っ人」。 |
| 稀代の名刀になぞらえ「名刀正宗」と呼ばれた左ストレート、右フックの強打を武器に計5度の世界タイトルを戦ったが、遂に世界制覇はならなかった。 |
| 当時の知名度は現在の世界チャンピオン以上であり、普段は腫れぼったい眠そうな眼をした優男でありながら、試合になると必殺の強打を振るうイメージから、人気時代劇映画の主人公になぞらえ「眠狂四郎」の異名を取った。 |
| グローブを交えた世界チャンピオン3人がいずれ劣らぬ歴史的強豪だったという事情から、「悲運のボクサー」の筆頭に挙げられることも多い名選手である。 |
引退後
| 引退後、所属ジムであった新和ジムを継承しセキジムと名称変更して新橋から大井町に移転。 |
| 矢島康士、岡部繁といった日本王者を育てた。 |
| 1995年4月に横浜市に移転し、横浜光ジムに名称変更し会長に就任。 |
| 自身が成し得なかった世界王者の夢を後進の畑山隆則・新井田豊に託した。 |
| 2008年6月6日、クモ膜下出血により死去 |
| 通夜は6月10日に行われ、葬儀には畑山隆則、新井田豊ら約700人が弔問に訪れた。 |
| また6月12日に日本武道館で行われたダブル世界戦のリングでは、関前会長追悼の10カウントゴングが響いた。 |
エピソード
| 安部譲二が日本航空の客室乗務員を勤めていた頃、関が世界王座挑戦のため、安部と同じ航空機でメキシコに向かった。 |
| 安部は関が試合中にトランクスをたくし上げる癖があるのを知っていたので「関さん、試合中にトランクスをたくし上げるのはやめた方がいいです」と忠告したことがあったという安部はそのことについて、後に作家になった時にエッセイで披露している。 |
| 現役時代の関光徳は、当時のボクサーには珍しく女性ファンの多い選手であった。 |
| ちあきなおみが熱烈な関光徳ファンであり、『芸能界に入れば関さんに逢えるかも知れない』と思って歌手デビューを果たした。 |
参考文献
| ボクシング・マガジン編集部『日本プロボクシング史世界タイトルマッチで見る50年』ベースボール・マガジン社、2002年。 |
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1958年
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新和ボクシングジム(新和拳)からフライ級で... |
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1961年
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世界ランカーのジョー・メデルと再起戦を行う... |
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関光徳さんについてのひとこと紹介
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