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宗峰妙超
師事
鎌倉時代末期の臨済宗の僧。一般には大燈国師の名で知られている。諱は妙超、道号は宗峰。播磨(兵庫県)の出身。同国浦上荘の豪族、浦上氏の一族・浦上一国(... |
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南浦紹明
師事
鎌倉時代の臨済宗の僧。出自については不詳であるが、駿河国安倍郡の出身。諱は紹明(「しょうみょう」とも「じょうみん」ともよむ)、道号は南浦。勅諡号は... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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授翁宗弼
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は宗弼、字は授翁。諡号は円鑑国師・微妙大師。父は藤原宣房、万里小路藤房と同一人物とする説もある。... |
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国師
師事
高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号の1つであり、特に皇帝の師への尊称である。僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。中国で... |
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花園天皇
花園天皇(はなぞのてんのう、永仁5年7月25日(1297年8月14日)-貞和4年/正平3年11月11日(1348年12月2日))は鎌倉時代の第95代天皇(在位:延慶元年11月16... |
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蘭渓道隆
師事
鎌倉時代中期の南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。諱は道隆、道号は蘭渓。南宋の西蜀(現:中国四川省)の人。諡号は大覚禅師。13歳で出家し、無準師範、北... |
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釈迦如来
仏教の開祖釈迦〔姓名:瞿曇悉達多(くどんしっだった、クドンシッタルタ)梵語:(ガウタマ・シッダールタ)パーリ語:(ゴータマ・シッダッタ)〕を仏(仏... |
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狩野探幽
狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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大応国師
大応国師像(興徳寺)重要文化財 鎌倉時代に福岡の地で30数年にわたり、全国にその禅風をなびかせた大応国師の偉業を、今日に残る文化財によってふりかえる... |
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大覚
南北朝時代の日蓮宗の僧。名は妙実。近衛家の出と言われ、初めは真言宗の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、宗派を改め弟子とな... |
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道元
鎌倉時代初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と... |
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白隠慧鶴
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は... |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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雲龍
大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型航空母艦の一番艦。 |
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細川勝元
室町時代の武将・守護大名。管領、土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。足利氏の支流で三管領の1つである細川氏嫡流・京兆家の当主。細川持之の子、政元の父。... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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夢窓疎石
鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。七朝帝師。父は佐々木朝綱、母は平政村(北条政村か?)の娘。 |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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プロフィール
関山慧玄(かんざんえげん、建治3年(1277年)-正平15年/延文5年12月12日(1361年1月19日))は、鎌倉時代末期から 南北朝時代の臨済宗の僧。信濃国(長野県)の出身で、家は高梨氏で、高梨高家の子とされる。朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、放無量光の国師号が与えられ、また、 明治天皇から無相大師と追諡された。
略歴
| 1307年に鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明に師事。 |
| 慧眼の法名を授かり、南浦寂後も鎌倉にあって物外可什、巨山志源などに参禅。 |
| 建長寺開山・蘭渓道隆五十年忌出席のため再び建長寺に参じ、ここで宗峰妙超(大燈国師)を紹介され、京都大徳寺に遷って宗峰に師事。 |
| やがて1329年に雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明して関山の号が与えられ、慧玄と改名した。 |
| その後、後醍醐天皇に法を説くなどしたが、のち美濃の伊深に草庵を結んで隠棲した。 |
| 1337年、花園上皇は、離宮を禅苑に改めてその寺名命名と開山となる禅僧の推薦を宗峰に依頼。 |
| 宗峰が関山を推挙し、関山は妙心寺開山となった。 |
| 禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専念したという。 |
| 『沙石集』には「本朝ならびなき禅哲なり」と称賛されている。 |
| 形式に拘らず厳しく弟子を指導し、法嗣は授翁宗弼(じゅおうそうひつ)ただ一人であり、また妙心寺の伽藍整備や経営に拘泥することはなかった。 |
| 1360年12月12日、関山は旅の支度をして授翁に行脚に出るといい、「風水泉」と称する井戸の辺で授翁に遺戒し、立ったまま息をひきとった。 |
| 遺戒は授翁が門下の雲山宗峨に成文させ、今日「無相大師遺誡」と称し読誦されている。 |
| 関山には他の高僧のような語録や著書はなく、生前に描かれた肖像もなく、遺筆も弟子の授翁宗弼に書き与えた印可状以外にほとんど残されていない。 |
| さらに遺命して肖像を残させなかったため、今日の関山像は後世に作成された物である。 |
| 南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、日本臨済宗はみなこの法系に属する。 |
| 関山の禅は、後に系統に白隠慧鶴が出て大いに繁栄し、他の臨済宗諸派が絶法したのに対し、その法灯を今日に伝えている。 |
| 2006年に臨済宗妙心寺派の寺の蔵より肖像画が発見された。 |
| 年代鑑定を行っていない模様で生前に描かれたものか否かは不明である。 |
| 妙心寺が全国で行っている年忌法要の席で見ることが出来る。 |
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1307年
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鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明に師事 |
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1329年
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雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明... |
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