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つながりの強いひと
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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伐休尼師今
新羅の第9代の王(在位:184年-196年)であり、姓は昔。父は第4代の脱解尼師今の子の仇鄒角干、母は金氏の只珍内礼夫人。184年3月に先代の阿達羅尼師今が死去... |
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逸聖尼師今
親
新羅の第7代の王(在位:134年-154年)。第3代儒理尼師今の長男であり、姓は朴。『三国史記』新羅本紀・逸聖尼師今紀には分注で日知葛文王の子とも記され、『... |
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神徳王
神徳王(しんとくおう、?-917年)は新羅第53代国王(在位:912年-917年)。姓は朴、諱は景暉、もしくは景徽・秀宗。第8代新羅王阿達羅尼師今の23代孫、母は貞... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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蓋婁王
蓋婁王(がいるおう、生年未詳-166年)は百済の第4代の王(在位:128年-166年)であり、先代の己婁王の嫡男。128年11月に先王の死去により王位についた。諱・... |
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奈解尼師今
新羅の第10代の王(在位:196年-230年)であり、先代の伐休尼師今の第2子伊買の子。姓は昔。母は内礼夫人、王妃は第11代の助賁尼師今の妹。伐休尼師今が196年4... |
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憲康王
憲康王(けんこうおう、生年不詳–886年)は新羅の第49代の王(在位:875年-886年)であり、姓は金、諱は(てい)。先代の景文王の長子であり、母は第47代の憲... |
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儒理尼師今
新羅の第3代の王(在位:24年-57年)であり、姓は朴。先代の南解次次雄の長子であり、母は雲帝夫人(または阿婁夫人)。王妃は日知葛文王の娘(『三国史記』新... |
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にしきん
はは (3) 08/09 m9(^д^) (5) 08/06 参加サークル もっと見る 最近のつぶやき バンってしてないだろ! 更新日時 :2010/08/20 16:53 伝言板 もっと見る 違... |
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脱解尼師今
新羅の第4代の王(在位:57年-80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかいにしきん、、トヘ・イサグム)とも記される。第2代の南解... |
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景徳王
新羅の第35代の王(在位:742年–765年)で、姓は金、諱は憲英。先代の孝成王の同母弟であり、父は33代聖徳王、母は順元(2等官)の娘の。王妃は舒弗邯(1等官... |
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婆娑尼師今
新羅の第5代の王(在位:80年-112年)であり、第3代儒理尼師今の第二子。姓は朴。『三国史記』新羅本紀・婆娑尼師今紀の分注には儒理尼師今の弟・奈老の子とも... |
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味鄒尼師今
新羅の第13代の王(在位:262年-284年)であり、姓は金氏。金閼智の7世孫であり、父は葛文王(金)仇道、母は葛文王(朴)伊柒の娘。王妃は第11代助賁尼師今の... |
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肖古王
肖古王(しょうこおう、生年未詳-214年)は百済の第5代の王(在位:166年-214年)であり、先代の蓋婁王の子。『三国史記』百済本紀・肖古王紀の分注や『三国... |
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赫居世居西干
新羅の初代の王(在位:紀元前57年-4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。「居西干」は辰韓語で王もしくは貴人を意味する称号と記されているが、高句麗の官... |
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基臨尼師今
新羅の第15代の王(在位:298年-310年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の孫であり、父は(昔)乞淑用飡、母の名は伝わらない。『三国史記』新羅本紀・... |
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南解次次雄
新羅の第2代の王(在位:4年-24年)であり、姓は朴。二聖と称される新羅始祖赫居世居西干と閼英夫人との間の長子。王妃は雲帝夫人(または阿婁夫人)。紀元4年... |
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プロフィール
阿達羅尼師今(あだつらにしきん、生年不詳-184年)は、新羅の第8代の王(在位:154年-184年)であり、先代の 逸聖尼師今の長男。姓は朴。母は朴氏の支所礼王の娘、王妃は第6代の娘の内礼夫人。154年2月に先王が死去し、王位に就いた。
治世
| 北方の靺鞨(及びその背後の高句麗)に備えるために、新羅と百済とは緩やかな同盟の態勢を保っていたが、阿達羅尼師今の時代から、交戦状態に入ることとなった。 |
| 165年10月に阿飡の吉宣(キルソン)が謀反を起こそうとして発覚し、誅滅を恐れて百済に亡命した。 |
| 阿達羅尼師今は百済に吉宣の身柄返還を求めたが、百済の蓋婁王がこれをかくまったため、百済への侵攻を開始した。 |
| このときは百済軍が籠城してよく守ったため新羅軍は食料が尽きて撤退したが、167年7月には百済が新羅の西部辺境2城を奪って住民1千人を捕虜とすると、同年8月には一吉阿飡の興宣(フンソン)に兵2万を率いて百済を討たせるとともに、阿達羅尼師今自身も8千の騎兵を率いて漢水(漢江)まで出撃した。 |
| 百済はこれを恐れ、先に捕虜とした住民を返還し和睦を求めた。 |
| しかし170年10月には百済は再び新羅の国境付近に侵攻した。 |
| この後暫く直接の交戦記事は見られなくなるが、次王の188年以降、頻繁に交戦記事が見られるようになる。 |
| 173年5月、倭の女王卑彌乎が使者を送ってきたとする。 |
| しかしこれは、『三国志』東夷伝倭人条の景初2年(238年)記事からの造作であり、且つ干支を一運遡らせたもの、と考えられている。 |
| (→井上訳注1980、p.61 註9)。 |
| 在位31年にして184年3月に死去した。 |
| 埋葬地については記述がない。 |
| 『三国史記』新羅本紀・伐休尼師今紀では阿達羅尼師今に子がいなかったため伐休尼師今が王位についたとするが、遥か後代の第53代神徳王は阿達羅尼師今の遠孫とされている。 |
| このことについては神話の造作であったり王統系譜の造作であり、史実として論じるべき問題ではないと井上秀雄は述べている。 |
| (→井上訳注1980、pp.61-62. 註10)。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
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