| その後の定は男と交際を繰り返し続け、見かねた父と兄は定が17歳の時に「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」と長男・新太郎の前妻・ムメの妹の夫・秋葉正義という女衒に売ってしまう。 |
| 定は秋葉に夜這いをかけられ、秋葉は4年ほど定のヒモとなっている。 |
| 神奈川県横浜市住吉町(現:横浜市中区住吉町)の芸妓屋「春新美濃(はじみの)」に前借金300円で契約。 |
| 源氏名「みやこ」として芸者の世界に脚を入れる。 |
| 1年ほど春新美濃に在籍し、その後も横浜や長野で芸者として働いていたが、三味線が弾けるとはいえ特筆した座敷芸がない定は、座敷に出ると客に性交を強いられることが多いのが嫌であったという。 |
| 身売りの金は定の小遣いとなった。 |
| 関東大震災の時、定はちょうど秋葉の家に遊びに来ていたが、秋葉の家は全焼。 |
| 定は秋葉の家を助けるため、富山県富山市清水町の「平安楼」という芸妓屋に1000円以上の前借金をして店変えをし、前の店に返済した残りの金から300円ほどを秋葉に渡し、秋葉一家の生活の面倒を見るようになった。 |
| 当時1000円という金額は、立派な家が一軒建つほどの金額である。 |
| 20歳になると定は秋葉に騙されていたことを知り縁を切ろうとするが、「平安楼」の契約書が秋葉との連判であったため、その借金を返すべく1925年7月、長野県飯田市の「三河屋」に移転するが、自分で売り込むわけにもいかず、ここでも仕方なく秋葉との連判で契約をしている。 |
| 静香という売れっ子芸者になったが、定は性病にかかってしまう。 |
| 父・重吉はどうせ男に懲りて家に戻ってくるだろうと追い出したのだが、「検黴けんばい性病検査当時、娼妓には毎月一回の性病検査が義務付けられていたが、芸者は任意であった。 |
| を受けてまで不見転みずてん客に体を売る芸者の意芸者をするなら、いっそのこと」と自ら進んで遊女に身を落とした。 |
| この時、母・カツに秋葉との一部始終を暴露し、別の仲介業者を得て移籍手続きをし、秋葉から連判の契約書を返してもらっている。 |
| 1927年、大阪府大阪市西成区にある飛田新地の高級遊郭「御園楼」に前借金2800円で契約、連判者は父・重吉であった。 |
| ここでは園丸と名乗り、売れっ子娼妓となる。 |
| 1年ほどすると常連客の会社員から身請けの話が出たが、その男性の部下も定の常連であり、身請け話は立ち消えになる。 |
| その後は逃走と失敗、トラブルを起こしては店を変え、大阪・兵庫・名古屋の娼館を転々とし、どんどん客層の悪い店に落ちていった。 |
| 1932年、6カ月ほど在籍した丹波篠山の下等遊郭「大正楼」から逃げ出し、娼妓生活を終了させる。 |
| 神戸で2カ月ほどカフェの女給をしてから名古屋に渡り、高級娼婦や妾や仲居をして過ごす。 |
| この頃、男性と毎日肉体関係を持たないと気がおかしくなりそうだと病院に相談しているが、医者は「難しい精神鍛錬の本や思想の本を読んだり、結婚をすればいいだろう」と答えた記録がある。 |
| 一度は坂戸の実家に戻るが、大正楼からの追っ手が来たため、大阪に逃亡。 |
| 1933年、大阪で母・カツが死亡したという電報を受け取る。 |
| 翌1934年正月、日本橋の袋物商の妾をしていた定の元に、父が重病だという知らせが届く。 |
| 10日間つきっきりで看護するが、父・重吉は病死。 |
| 重吉の最期の言葉は「まさかお前の世話になるとは思わなかった…」だそうである。 |
| その後も妾を続けていたが、知人から秋葉の娘が死んだと聞き、横浜へ墓参に行くと秋葉は金に困っており、定は指輪を質入し150円を秋葉に用立てる。 |
| 定は愛人を何度か変えると、ある愛人から婚約不履行で訴えられ、名古屋に逃れる。 |
| 1935年4月に名古屋市東区千種町(現:名古屋市千種区)の料亭「寿」で名古屋市議会議員にして有名商業学校校長の大宮五郎と知り合い交際していた。 |
| 大宮は娼婦や妾をしていた定を人間の道に外れたことだと叱り、更生するように定を諭した。 |
| この頃、本籍を名古屋市東区千種町に変更している。 |
| 大宮から、まじめな職業に就くようにと諭され、新宿の口入屋を介して紹介されたのが奇しくも石田吉蔵の経営する東京・中野の料亭・吉田屋であった。 |
| 田中加代の偽名を使い吉田屋で働き始めた定と石田は知り合ってまもなく不倫関係になり、石田の妻もこの関係を知るようになると二人は出奔。 |
| 大宮は後に重要参考人として身柄を拘束され、取調べを受け不問となるが、学校の卒業生に合わせる顔がないとその後は隠居生活を送っている。 |