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つながりの強いひと
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水野勝成
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。備後福山藩(現在の広島県福山市)初代藩主。 |
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阿部定高
親
武蔵岩槻藩の第3代藩主。阿部家宗家3代。寛永12年(1635年)、第2代藩主・阿部重次の長男として生まれる。慶安4年(1651年)に父・重次が江戸幕府第3代将軍・... |
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阿部正春
上総大多喜新田藩主。武蔵岩槻藩第4代藩主。上総大多喜藩主。三河刈谷藩初代藩主。阿部家宗家4代で、備後福山藩阿部家分家初代。 |
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松平忠雅
江戸時代の大名。親藩であった松平家出羽山形藩2代藩主、備後福山藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。奥平松平家3代。 |
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阿部正福
備後福山藩第2代藩主。阿部家宗家6代。福山藩初代藩主阿部正邦の四男。母は中村氏。正室は松平定直の娘、継室は島津吉貴の養女(鳥居忠英の娘)。子に酒井忠... |
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福島正則
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。賤ヶ岳の七本槍の一人。 |
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阿部正弘
江戸時代末期の備後福山藩第7代藩主。江戸幕府老中首座。幕末の動乱期にあって安政の改革を断行した。阿部家宗家11代。 |
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阿部正次
江戸時代の大名、大坂城代である。武蔵国鳩ヶ谷藩主、上総国大多喜藩主、相模国小田原藩主、武蔵国岩槻藩初代藩主。阿部家宗家初代。 |
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阿部重次
武蔵岩槻藩第2代藩主。徳川家光のもとで老中をつとめる。阿部家宗家2代。大坂城代を務めた初代藩主・阿部正次の次男。母は佐原義成の娘。正室は三浦重成の娘... |
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阿部正右
江戸時代の大名、老中。備後福山藩3代藩主。阿部家宗家7代。 |
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土井利実
肥前唐津藩の第2代藩主。土井家宗家6代。 |
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阿部正倫
江戸時代中期の大名。江戸幕府閣僚であり、寺社奉行、老中を務めた。備後福山藩(現在の広島県福山市)第4代藩主。阿部家宗家8代。 |
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丹羽秀延
丹羽秀延(にわひでのぶ、元禄3年(1690年)-享保13年5月5日(1728年6月12日))は江戸時代中期の大名。陸奥二本松藩主で丹羽家第5代。先代藩主・丹羽長之の... |
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阿部正興
上総佐貫藩の第2代藩主。備後福山藩阿部家分家3代。享保18年(1733年)、備後福山藩主・阿部正福の四男として生まれる(生年は享保19年(1734年)3月26日とも... |
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松平定直
江戸時代の大名。伊予松山藩4代藩主。定勝系久松松平家宗家5代。伊予今治藩2代藩主・松平定時の長男。実母は側室嶺頂院殿(平岡氏の娘)。正室は稲葉正往の娘... |
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阿部正方
備後福山藩(現在の広島県福山市)第9代藩主。阿部家宗家13代。6代藩主阿部正寧の三男。婚約者に徳川斉昭の娘(婚姻前に正方が没)。官位は従四位下、主計頭... |
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市丸
昭和期の芸者歌手。本名は後藤まつゑ(ごとうまつえ)。江戸小歌中村派17世家元。 |
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阿部政澄
武蔵国岩槻藩の世嗣。初代藩主で大坂城代も務めた阿部正次の長男。母は佐原義成の娘。正室は加藤清正の娘・本淨院。子は阿部正能(長男)、娘(阿部忠秋養女... |
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阿部正桓
備後福山藩(現在の広島県福山市)第10代の藩主で最後の藩主。阿部家宗家14代。浅野懋昭(安芸国広島藩主・浅野重晟の孫)の三男。正室は松平茂昭の養女(阿... |
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島津吉貴
江戸時代の島津氏第21代当主。薩摩藩の第4代藩主。 |
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プロフィール
阿部正邦(あべまさくに、万治元年4月19日(1658年5月21日)-正徳5年1月27日(1715年3月2日))は江戸時代の大名。武蔵国岩槻藩5代藩主、丹後国宮津藩主、下野国宇都宮藩主、備後国福山藩初代藩主。阿部家宗家5代。武蔵国岩槻藩3代藩主 阿部定高の次男。正室は 山内豊昌の娘、継室は春日氏。子に 阿部正羽(三男)、 阿部正福(四男)、 阿部正容(五男)、娘( 榊原政倫婚約、早世)、娘( 土井利実正室)、娘( 丹羽秀延正室)、娘( 井伊直矩
経歴
| 万治元年(1658年)、武蔵国岩槻藩阿部3代藩主・阿部定高の次男として生れる。 |
| 父・定高は万治2年(1659年)に25歳で死去するが、嫡子である正邦はわずか2歳と幼少であったため、定高の弟である阿部正春が4代藩主に就任することになった。 |
| しかし、家臣内の反発もあり、寛文11年(1671年)12月19日、正春は正邦に家督を譲り、正邦は14歳で5代藩主(9万9000石)に就任することになった。 |
| だが、正邦は幕府に疎んじられたらしく、10年後の天和元年(1681年)に丹後宮津藩(9万9000石)へ転封され、それから16年後の元禄10年(1697年)には、下野宇都宮藩に1000石増加の10万石で移され、さらに13年後の宝永7年(1710年)、備後福山藩(10万石)に転封された。 |
| 福山藩への入封時には正邦はすでに53歳になっていて、「至極ニ能所」であるが、「只今ハ困窮いたし」と、宇都宮から遠く離れた福山への転封に困惑する心境を述べている。 |
| 正邦は備後福山藩入封翌年の正徳元年(1711年)3月28日に福山へ入国し、「指出帳(宝永差出帳)」を全村から提出させ領内の実情を把握した。 |
| この差出帳には各村の石高、寺社、商品作物、鉄砲など村の概要と年貢納入の方法や五人組などの諸制度が載せられている。 |
| 同年9月には各郡奉行から村々へ治安に関する条項が中心とした「条々」35ヵ条を公布して領主交替時に起こる動揺を抑えようとし、同2年(1712年)には、年貢の納め方についての請書を出させた。 |
| また、同3年(1713年)には村入用に関する規定を定め節約と村政の公正を命令している。 |
| 商業統制では宝永7年(1710年)に升改めを実施している。 |
| こうして、正徳3年(1713年)頃までに正邦は福山藩領内を掌握し西国街道筋の譜代大名としての存在意義を定着化させていった。 |
| このように正邦は阿部家福山藩では藩政に比較的積極的に取り組んでいたが、転封から5年後の正徳5年(1715年)、江戸において死去した。 |
| 家督は四男・正福が継いだ。 |
| 諡:長生院殿尋誉耀海踞岸。 |
| 墓地:西福寺(台東区浅草)、のち谷中墓地(台東区谷中)に改葬。 |
官位
| 1671年(寛文11年)従五位下・対馬守。 |
| 1700年(元禄13年)従四位下。 |
| 1711年(正徳元年)備中守。 |
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1658年
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武蔵国岩槻藩阿部3代藩主・阿部定高の次男と... |
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1712年
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年貢の納め方についての請書を出させた |
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