| 入局から四半世紀が経ったベテランアナであるが、現在もバラエティ番組に度々出演している。 |
| 元々、他局に比して女性アナウンサーの立場が不利であったフジテレビだが、特に報道では1980年代になっても女性アナウンサーが一人でニュースを読む事はなく、『FNNレインボー発』等のフジテレビの定時ニュースは長年にわたり男性アナウンサー限定の仕事であった。 |
| 現在のように女性も担当するようになったのは、1990年代初頭に阿部が報道上層部に直訴したことによる。 |
| そのとき女子アナとして初めて1ショットのニュース(週末の『産経テレニュースFNN』)にキャスティングされたが、上司だった露木茂には「お前がコケたら今後(の女子アナの1Sニュース)は無いと思え」と言い渡されたという。 |
| しかしこれが功を奏して、翌1994年には安藤優子がメインの『ニュースJAPAN』もスタートした。 |
| 趣味は写真で『なるほど!ザ・ワールド』リポーター時代、常に斜めがけしていた黒いバッグにはカメラが入っていた。 |
| 腕前はプロ級で、暗室でのプリントもする。 |
| 雑誌に写真エッセイを連載したり、『テレビ美術館』取材時に撮影したアーティストのポートレイトが展覧会カタログに採用されたりしたこともある。 |
| 朗読舞台『ラヴシーン』のパンフレットのスナップ写真と公式サイト画像も阿部の撮影で、愛機はライカ(ラヴシーンパンフレットより)。 |
| 靴フェチで、自宅には数百足の靴があるらしい。 |
| 大学在学中にアルバイトでNHKの科学情報番組『ウルトラアイ』のアシスタントを務めていた時期がある。 |
| また、その際に「チャーリー・チャップリンの映画『黄金狂時代』の様に、革靴は食べられるモノなのか?」という趣旨の実験で、長時間茹でられてブヨブヨになった革靴をナイフとフォークを用いて食している。 |
| めちゃイケで年齢(当時43歳)がばらされてしまった(2006年12月9日OAのフジテレビ警察にて)。 |
| 毎年放送されている女子アナスペシャル2008で修行対決コーナーがあり、くじ引きでメイド修行を引き、メイドに変身、萌えポーズを見せた。 |
| だがこの時は「今まで生きてきた中で一番恥ずかしかった。 |
| 」と語っている。 |
| グループ展『さよならポラロイド』に写真を出品、この展覧会は朝日新聞(2008年10月24日東京版)で大きく紹介され、阿部の写真が掲載された。 |
| 森田一義アワー笑っていいとも!のコーナー・テレフォンショッキング『テレフォンアナウンサー』初代アナウンサー。 |
| 1987年10月~1991年9月まで火曜日→月曜日を毎週勤め上げた。 |
| 1991年4月1日放送・阿部の月曜日移動後の初回でムッシュかまやつ(当時:かまやつひろし)の紹介でバービーボーイズのいまみちともたかにつなぐ際に、阿部はいまみちの大ファンであることがわかった。 |
| 司会のタモリは「なんだよ阿部知代どうしたの?」と聞いたが、阿部は「大ファンなんです私」「かけていいですかね」と思わず言ってしまう。 |
| あまりにも顔と耳を真っ赤にしていたため、タモリは「はじめてだね~自分からかけていいですかねって電話の権利をとるっていうのは」と大変驚いていた。 |
| 阿部が結局、ファンであることは何も言えずにそのままかまやつに受話器を渡したため、かまやつも「今ねぇ、電話をとった阿部さんてのがいまみち君の大ファンで真っ赤になってんの」とフォローし、電話の声のいまみちは「見てました」と言って阿部は顔を真っ赤にして笑っていた。 |
| ちなみに当時、阿部は朝の情報番組「FNNWorldUplink」と兼務していた。 |
| その後、2010年10月6日(水曜日)に約19年ぶりに単発扱いで担当した。 |
| この時にレギュラー時代の写真パネルを見せられ、「やだぁ~」と恥ずかしがっていた。 |
| この事にいいとも!では19年ぶりに共演した司会のタモリから「なんで?いいじゃん、全然かわらないねぇ」と言われていた。 |
| 2011年4月6日(水曜日)からは再び水曜テレフォンアナとして務めることになり、2011年4月現在、第2期を担当する唯一のアナウンサーである。 |
| 古畑任三郎の「忙しすぎた男」にカメオ出演している。 |
| 河東節三味線人間国宝・山彦千子に師事し、「山彦知代」名で歌舞伎座や新橋演舞場の『助六由縁江戸桜』に河東節十寸見会連中の一員として出演している。 |