| 八卦掌の達人、李剣華と。 |
| ある時、北京で散手の大会が著名な武術家である許禹生の主宰で行われることとなり、許禹生は陳発科に主審を依頼した。 |
| しかし陳発科は「自分には太極拳のことしかわからない」として辞退し、許禹生のたっての願いで大会顧問に就任することとなった。 |
| 大会当日、一試合あたりの制限時間(1ラウンド)を何分にするかという問題で議論が起こり、当初15分とされていた時間に対して、陳発科は参加者が多いので長すぎるという発言を行った。 |
| では何分が適当かという問いに対し、陳発科は3分という時間を提案した。 |
| 多くの参加者が短すぎると感じ「あなたは3分で確実に勝負を決められるのか?」と質問した。 |
| それに対し陳発科は「私なら、3秒もあれば十分だ」と答えた。 |
| それを聞いた李剣華八卦掌の達人。 |
| 劉鳳春の弟子。 |
| 東北大学武術教師を勤めていた。 |
| 身長180cm以上、体重100kg以上という巨漢で、実戦派の名手として有名であったは侮られたと思い「そんなことが出来るものか」と立ち上がり、私とやってみようではないか、と挑戦した。 |
| 陳発科は笑顔で応じ、雷台(リング)に上がると李剣華にかかってくるよう促した。 |
| 李剣華は突進し、陳発科の前襟を取って投げようとしたが、陳発科はほんの少し身をかわし、右手を李剣華にあてがうと全身を震わせ発力を行った。 |
| 李剣華の巨体は30cmも浮き上がり、1m近くも吹き飛ばされて転がり、壁にぶつかってようやく止まった。 |
| その衝撃で壁に掛けてあった物などが落ちてきたという。 |
| 李剣華は感服し、その場で陳発科に弟子入りを懇願し許された。 |
| この様子は全場の賞賛を浴び、陳発科の名声を一層高いものにした。 |
| 摔跤の名手、沈三と。 |
| 沈三(?-1945)は北京の牛街生まれの回族出身で、柔道やモンゴル相撲によく似た武術である摔跤の名人として名高かった。 |
| その名前は、この頃北京で「中国武術など屁だ」等と言って荒らし回っていたロシア人の巨漢レスラーに挑戦し、鎧袖一触に投げ飛ばし、中国伝統武術の面子をまもったというエピソードでひろく知られており、英雄的達人として一目置かれていた。 |
| 沈三と陳発科は、互いに伝統武術の名人として噂を聞き、直接会ったことはないものの、互いを尊敬し合っていた。 |
| この両雄がはじめて顔を合わせたのは、ある武術の大会の場であった。 |
| それぞれ大会に出場する弟子を連れて会場を訪れており、相手に気がついた二人は握手を交わし、互いに尊敬している旨を伝え合って親しく歓談した。 |
| その歓談中に沈三は「今回の大会で摔跤と陳氏太極拳が激突したらどうなるであろう。 |
| 聞くところによると陳氏太極拳は柔を以て剛を制すると言うが、はたして摔跤と勝負したらどうであろう」と発言した。 |
| これを受けて陳発科は「私はきっとそれなりの対応方法があると思ってますが、なにしろはじめての相手ですのではっきりとは言えません。 |
| もし戦う前にどんな物かわかっていたらやりやすいのですけどもね」と返答した。 |
| 沈三は「では我々が試しにやってみるのは如何?」と提案し、陳発科は「私は摔跤には素人ですが、大変興味があるのでやってみましょう。 |
| 聞けば摔跤は相手を掴んでから投げるものと聞きます。 |
| 是非体験させて下さい」と言って立ち上がり、沈三に自分を掴んで投げるよう促した。 |
| この成り行きに会場中が固唾をのんで見守る中、沈三は陳発科の腕をとり、今にも投げ飛ばすか、という姿勢をとったが、双方動かず緊迫した空気のまま数秒が経った。 |
| この緊張の数秒の後、両雄はにっこり笑って座に戻り、もとのように歓談し始めた。 |
| その数日の後、手土産を携えた沈三が陳発科のもとを訪れ、「その節はどうも」と挨拶し、陳発科も「いやいや、お互い様ですよ」と返礼した。 |
| 何のことかわからずキョトンとする陳発科の弟子達を見た沈三は「先生はあの大会の後、君たちに何も仰らなかったのかね?」と尋ね、弟子達が何も聞いていない旨答えると感動し、「諸君は本当に良い師匠を持っている。 |
| その技が万人に優れるだけでなく、人柄がこんなにも優れているというのは得難いことだ。 |
| と言って帰って行った。 |
| 沈三によれば自分が陳発科を投げようとしたとき、どうしても投げることが出来ず、逆に陳発科はいつでも自分を地面に叩きつけることが出来たはずだと言うことであって、公衆の面前であることを考慮して自分の面子をまもってくれた陳発科は本当に万夫不当の大人物である。 |
| と言うことであった。 |
| その後、弟子の一人が、どうしてやっつけなかったのですかと質問すると、陳發科老師は「あなたが大勢の徒弟の前で同じことをされたらどう思いますか。 |
| 嫌ではないですか」と真剣に怒り弟子は大いに反省した。 |
| 日本が戦争に負け、父親が日本に協力していため洪均生が陳發科にかくまわれていた。 |
| 洪均生の話によると陳發科は田舎から北京に出てきたため、朝食は毎日粥と決まっていた。 |