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プロフィール
- 陸奥とは
- 概要
- 軍縮条約下での扱い
- 新造時
- 改装
- 待機と前線
- 陸奥爆沈
- 爆発の原因
- 引き揚げ
- 引き上げ材の利用
- 引き揚げ展示品と展示場所
- 艦歴
- 参考文献
- 陸奥を描いたフィクション
- 関連サイト
軍艦陸奥(むつ)は旧陸奥国を名前の由来に持つ、日本海軍の戦艦である。日本海軍の象徴として日本国民から親しまれたが、1943年6月に主砲火薬庫爆発を起こして沈没した。
概要
| 「陸奥」は長門型戦艦の2番艦で、八八艦隊計画二番手である。 |
| 姉妹艦「長門」より1年遅れたに八四艦隊案の一艦として加賀型戦艦、天城型巡洋戦艦と共に予算が承認された「海軍艦艇製造沿革」p.2。 |
| 1918年(大正7年)6月1日に横須賀海軍工廠にて起工され「軍艦陸奥製造一件(1)」p.40、1920年5月31日に進水「23.軍艦陸奥進水式参列ニ関スル件」p.6、11月22日、引渡し式が行われ軍艦籍に入った「軍艦陸奥製造一件(2)」pp.57-58。 |
| 1番艦の長門と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛された。 |
| 戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である「長門」や「陸奥」であった超精密3DCG戦艦長門 (双葉社 2005年)、#歴群15長門型等参照。 |
| 第二次世界大戦中には僚艦「長門」らと共に温存されていたが、6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。 |
| 戦後に浮揚作業が行われ、1970年には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で陸奥の装備が展示された。 |
| 大戦末期にアメリカ軍の攻撃で戦没した後、終戦後には浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が現在も沈没場所に残っている。 |
軍縮条約下での扱い
| 建造途中の、ワシントン海軍軍縮条約おける「未完成艦は廃艦とする」との条件に含まれたことでイギリス、アメリカは「陸奥」の廃棄を主張したが、日本側は完成艦であるとして存続を主張する#歴群15長門型p.164。 |
| 「陸奥」の完成は10月24日とされているが、実際には測距儀など備品装備が間に合わず、公式試験を省略し、半完成のまま海軍に引き渡されている#歴群15長門型p.165。 |
| 12月5日に横須賀で艤装中の「陸奥」に第三分隊長として着任した大西新蔵(海軍大尉)は、この時点でも完成度85%程度と述べている#海軍生活放談pp.240-241。 |
| これに対してイギリス、アメリカの調査が行われているが、接待などを装った日本側の妨害工作により、未完成である確証を掴むことが出来なかった。 |
| 最終的に「陸奥」の保有は認められたが、アメリカはコロラド級3隻(1隻は廃棄)の建造変更と建造続行を、イギリスは後のネルソン級となる戦艦2隻の新造を認められた#歴群15長門型pp.166-167。 |
| これにより「陸奥」は世界のビック7の一艦となった。 |
新造時
| 新造時には「長門」が舷側に備える魚雷防御網ブームも新造時の「陸奥」は装備しておらず、主砲塔の測距儀も、「長門」が従来型の波式6メートルから新式の武式8メートルという2メートルほど大型化したものに変更されている#歴群15長門型p.153。 |
| 高速時の艦体震動のため、四番砲塔の測距儀は信頼性が低かった#横山一郎回顧録17頁。 |
| 「長門」と同じく、当時は艦橋に吹き込む煙突の排煙・排熱処理が問題となった。 |
| 「長門」のものよりも太いファンネルキャップが取り付けられたがあまり効果はなく、3月に屈曲煙突に改装された#歴群15長門型pp.155、163。 |
| 艦橋の10m測距儀の測距精度が向上し、煙突改造の結果は良好だった。 |
改装
| 1926年(昭和元年)年、「長門」と共に第一次改装が決定されている。 |
| 「長門」の艦首は波切りが悪く、飛沫により砲塔光学装置が曇ってしまうなど問題があり、また艦首被弾時に大浸水を招く恐れがあるため、艦首部分の形状変更が行われた「軍艦陸奥艦首改造の件」p.4。 |
| このため「陸奥」の艦首は横から見ると鋭角となったが、予定通りの効果が出なかったため、「長門」は艦首形状を変更していない。 |
| 第二、第三主砲塔の測距儀は10メートル型に換装し、高角砲も従来型の8センチ砲から八九式12.7センチ四〇口径連装4基、ヴィッカース式40ミリ連装機銃2基に変更した。 |
| 機関は屈曲式の煙突へと変更されている。 |
| このほか艦橋前部にも予備指揮場を設けた。 |
| 羅針艦橋の拡張など、細かな改良は暫時行われた「軍艦陸奥羅針盤橋一部拡張の件」pp.8。 |
| 「陸奥」には9月30日まで大改装が施された。 |
| バルジの装着、艦首部分延長水平防御改善、主砲、高角砲の仰角上げ、注排水区画を増やしている。 |
| 主砲砲身は廃棄艦となった加賀型戦艦「加賀」及び、「土佐」で用いられた砲身と仰角を伸ばした41センチ砲を改良した物を装備した#歴群15長門型p.52。 |
| 艦橋部にも変更が加えられ、前鐘楼と呼ばれる前部艦橋は、最上部に九四式方位盤照準装置を配置、その下が主砲射撃所となり、以降下に向かって戦闘艦橋、副砲指揮所、副測的所、上部見張所、主砲前部予備指揮所、羅針艦橋、副砲予備指揮所、司令塔艦橋下部艦橋と続くようになった#歴群15長門型p.158。 |
| 「陸奥」の副砲予備指揮所はガラスがない開放式で、「長門」のガラス付きと異なっている#歴群15長門型p.159。 |
| 蒸気缶は艦本21基から8本に減少したことで煙突は1本となり、燃料搭載量は増加、航続力も16ノットで8,650海里に増えたが、速力は25ノットに低下した。 |
| 昭和10年の改装で取り外された41センチ連装砲の4番砲塔は、教材として江田島にある海軍兵学校に持ち込まれており、同地が海上自衛隊の第1術科学校・幹部候補生学校となってからも、主砲弾と共に展示されている世界の艦船2009年7月号。 |
待機と前線
| 太平洋戦争(大東亜戦争)序盤は広島湾周辺で他の戦艦ともども温存された。 |
| 6月のミッドウェー海戦に参加したが、部隊後方のため戦局への寄与は無く、第一航空艦隊壊滅後に呉に帰投している。 |
| 米軍がガダルカナル島に上陸したことから、迎撃のため8月11日に日本を出港、8月17日にトラック泊地に進出した#歴群15長門型p.163。 |
| 8月21日、近藤信竹中将の前進部隊に加わって出港、第二次ソロモン海戦に参加したが、米軍と交戦することはなかった。 |
| その後10月の南太平洋海戦、11月の第三次ソロモン海戦のいずれにも参加せず、戦艦「大和」と共に後方で待機した。 |
| 第三次ソロモン海戦では、「陸奥」航海長が近藤中将指揮する第二艦隊旗艦・重巡洋艦「愛宕」の臨時航海長を勤めて米軍新型戦艦2隻(サウスダコタ、ワシントン)と交戦している小板橋孝策『「愛宕」奮戦記 旗艦乗組員の見たソロモン海戦』(光人社、2008年)232頁。 |
陸奥爆沈
| 「長門」は「陸奥」轟沈を米潜水艦雷撃によるものと判断し、増速して現場を離れると、救助艇を発進させた#歴群15長門型p.184。 |
| 艦後部は爆発後しばらく艦尾部分を上にして浮いており、「長門」短艇が接舷して救助作業を行っている#歴群15長門型p.185。 |
| 艦尾部分は午後5時ごろまで浮いていたが、日没後に沈没した。 |
| 乗員1,474人(定員1,343名、予科練甲飛第十一期練習生と教官130名余が艦務実習で乗艦)のうち助かったのは353人で、死者のほとんどは溺死でなく爆死だった#続・海軍くろしおp.91。 |
| 「陸奥」の南南西約1,000mに停泊していた戦艦「扶桑」は「陸奥爆沈ス。 |
| 一二一五」と発信、以後「陸奥」に関する一切の発信は禁止された。 |
| また付近の航行は禁止され、死亡した乗員の家族には給料の送金を続けるなど、「陸奥」の爆沈は一般には秘匿され、国民は戦後になるまでこの事件を知らされなかった。 |
| 1943年は山本五十六連合艦隊司令長官が戦死、アッツ島玉砕など暗いニュースが連続しており、国民に親しまれた「陸奥」が戦わずして爆沈という最悪のニュースを内外に報道することができなかったという事情もある#歴群15長門型p.189。 |
| もっとも連合艦隊各艦にはニュースが通達され、さらに休暇上陸後に国民から「陸奥が爆沈した」と教えられたと証言する戦艦「武蔵」乗組員もいる佐藤太郎『戦艦武蔵』(河出書房、1975)48頁。 |
| 当時、武蔵は木更津沖に投錨中。 |
| 呉でも「陸奥」爆沈の情報は確証を持って語られていたという橋本廣『機動部隊の栄光』255頁。 |
| 「陸奥」爆沈時の第一艦隊司令長官であった清水光美中将は責任をとらされる形で予備役に編入された。 |
爆発の原因
| 爆発事故直後に査問委員会が編成され、事故原因の調査が行われた。 |
| 検討の結果、自然発火とは考えにくく、直前に「陸奥」で窃盗事件が頻発しており、その容疑者に対する査問が行われる寸前であったことから、人為的な爆発である可能性が高いとされる。 |
| 昭和45年9月13日発行の朝日新聞は四番砲塔内より犯人と推定される遺骨が発見されたと報じ、この説は一般にも知られるようになった#続・海軍くろしおp.94。 |
| だが、真相は未だに明確になっていない。 |
| 謎めいた「陸奥」の最期は、フィクションの題材にもなった。 |
| この他、爆発の原因はスパイの破壊工作、三式弾の自然発火による暴発、乗員のいじめによる自殺、一下士官による放火などが挙げられている#海軍生活放談pp.259-260。 |
| 三式弾の自然発火は原因調査前に最も疑われた事故原因のひとつだったが、「陸奥」の隣に碇泊していた「扶桑」の艦長であった鶴岡信道大佐以下、目撃者は爆発直後に発生した爆発煙を、ニトログリセリンと綿火薬が主成分の主砲弾用九三式一号装薬によるものだったと述べ、原因調査の際に行われた目撃者に対する火薬煙の比較確認実験でも、同様の証言が残されている。 |
| 事故後の調査実験でも、三式弾の劣化等による自然発火は発生しないことが判明した。 |
| 最近現れた異説としては、駆逐艦「潮」が誤って落とした爆雷が原因とするものがある#第七駆逐隊p.166。 |
| 「陸奥」爆沈の約1年半前の1941年12月30日、対潜水艦哨戒出撃準備中の「潮」は爆発水深25メートルにセットしたたまの爆雷1個を陸奥爆沈地点に落とした#第七駆逐隊p.165。 |
| その際は爆発せず、引き上げられもせず放置された。 |
| 落とした事実は上級士官に報告されなかった#第七駆逐隊p.165。 |
| この付近は水深25メートル前後であり、「陸奥」移動時のプロペラの回転により何らかの波動が発生して爆雷が爆発したのが陸奥沈没の原因であると大高(第七駆逐隊司令部付通信兵)は結論づけている#第七駆逐隊pp.166-168「陸奥爆沈の珍事実」。 |
| 大高は人為説に対して、戦艦の弾薬庫管理は厳重であること、鍵は当直将校が首にかけていること、弾薬庫には不寝番衛兵がいることなどを指摘し、仮に陸奥の艦長が敵国のスパイであったとしても、火薬庫に侵入・放火することは不可能だとして否定的である#第七駆逐隊p.167。 |
| 「長門」副砲手として「陸奥」の沈没を目撃した田代軍寿郎(海軍一等兵曹)も、弾火薬庫常備鍵を持った陸奥副直将校が鍵箱ごと遺体で回収されたこと、予備鍵は艦長室にあることを理由に挙げ、弾薬庫不審者侵入説を強く否定している#歴群15長門型pp.188-189。 |
引き揚げ
| 爆沈直後から海軍は「陸奥」引き上げを検討した。 |
| 可能であれば3ヶ月の工期で再戦力化したいという希望を持っていたが、調査の結果、船体の破損が著しく再生は不可能と判断されたため、浮揚計画は放棄された。 |
| 7月、陸奥の燃料庫から重油の回収作業が行われ約600トンを回収した(竹作業)。 |
| 終戦後の浮揚作業は、占領下の監視の為に行われなかったが、に西日本海事工業株式会社が艦の搭載物資のサルベージを開始する。 |
| この際、許可範囲を超えた引き揚げが行われる「はぎとり事件」が起こり、作業は中断した。 |
| 現在は艦体の約70%が浮揚され、艦橋部と、艦首部等を除く艦の前部分などが海底に残っている。 |
引き上げ材の利用
| 現代の製鉄では、溶鉱炉内の耐火煉瓦に放射性物質のコバルト60を含ませ、ガンマ線の放出により破損箇所を検出するというシステムを使っているため、その放射性物質の一部が鉄に混入する。 |
| 戦前に製鉄された陸奥の鉄材は、そのような放射性物質を含んでおらず、海中にあったことで、戦後大気中で多数おこなわれた各種核実験の影響も少ない。 |
| このため、たとえば通常の人体から発せられるごくわずかな放射線を測定する放射線測定機材に、「陸奥」の鉄を引き上げ、利用した例があるhttp://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abdi/qa/index_j_qa08.html{{要出典|title=『産経新聞』2001年4月3日の記事に言及ある由。 |
| 確認願います|date=2010年10月}}閉鎖されたブログサイトのポストのため、後日除去します。 |
| 書誌情報はつぎのとおり:「沈没した戦艦「陸奥」の、意外な活躍ぶり(週刊軍事情報)」『夕刊フジblog』2008年1月22日。 |
引き揚げ展示品と展示場所
| ;陸奥記念館(山口県周防大島町)。 |
| ;靖國神社遊就館(東京都千代田区)。 |
| ;船の科学館(東京都品川区)。 |
| ;聖博物館(長野県東筑摩郡麻績村)。 |
| ;立命館大学国際平和ミュージアム(京都府京都市北区) |
| ;高野山奥の院(和歌山県伊都郡高野町)。 |
| ;日植記念館(岡山県津山市)。 |
| ;呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(広島県呉市)。 |
| ;入船山記念館(広島県呉市)。 |
| ;海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校(旧海軍兵学校:広島県江田島市)。 |
| ;大山祇神社(愛媛県今治市)。 |
| ;大谷霊園(愛媛県今治市)。 |
| ;福齊寺(長崎県長崎市)。 |
艦歴
| 1918年6月1日 八八艦隊計画の2号艦として、横須賀海軍工廠で起工された。 |
| 1942年5月29日ミッドウェー海戦に参加。 |
参考文献
| 吉村昭『陸奥爆沈』(新潮文庫、1979年改版)ISBN4-10-111707-1陸奥爆発の原因検証を試みたノンフィクション。 |
| 1923年、「陸奥」着任。 |
陸奥を描いたフィクション
| 『太平洋戦争謎の戦艦陸奥』-1960年に公開された小森白監督映画作品。 |
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1918年
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八八艦隊計画の2号艦として、横須賀海軍工... |
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