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清和天皇
平安時代前期の第56代天皇。在位は天安2年11月7日(858年12月15日)-貞観18年11月29日(876年12月18日)。後世、武門の棟梁となる清和源氏の始祖で、諱は惟仁... |
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光孝天皇
第58代天皇(在位:元慶8年2月23日(884年3月23日)-仁和3年8月26日(887年9月17日))。諱は時康(ときやす)。藤原氏は、この天皇の治世で初めて関白を出し... |
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後一条天皇
平安時代中期の第68代天皇(在位:長和5年2月7日(1016年3月24日)-長元9年4月17日(1036年5月15日))。諱は敦成(あつひら)。 |
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藤原基経
平安時代前期の公卿。藤原北家・藤原長良の三男。幼名は手古。従一位、摂政関白太政大臣、贈正一位。堀川大臣(堀河大臣)と号する。漢風諡号は昭宣公、国公... |
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宇多天皇
日本の第59代天皇(在位:仁和3年11月17日(887年12月5日)-寛平9年7月3日(897年8月4日))。諱は定省(さだみ)。 |
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元平親王
「元平親王」で始まる言葉 - 辞書すべての検索結果 すべて 国語 類語 英和 和英 中日 日中 Wikipedia記事検索 の検索結果 1~1 / 全1件 元平親... |
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文徳天皇
平安時代前期の第55代天皇(在位:嘉祥3年4月17日(850年5月31日)-天安2年8月27日(858年10月7日))。諱は道康(みちやす)。田邑帝とも。 |
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藤原高子
母
平安時代、清和天皇の女御、のち皇太后。父は藤原長良。母は贈正一位大夫人藤原乙春。藤原基経の同母妹。通称、二条后。清和天皇が東宮であったころ、天皇の... |
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元良親王
神祇伯藤原邦隆女・修子内親王(醍醐天皇皇女)・誨子内親王(宇多天皇皇女)らがいる。子に佐材王・佐時王・佐頼王・佐兼王・源佐芸・源佐平・源佐親らがい... |
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仁明天皇
平安時代初期の第54代天皇。諱は正良(まさら)。 |
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嵯峨天皇
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。 |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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醍醐天皇
平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)-延長8年9月22日(930年10月16日))。はじめの諱は維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・... |
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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貞純親王
日本の平安時代前期の皇族。清和天皇の第六皇子。母は棟貞王の娘。王子に経基王・経生王がある。桃園親王とも。親王任国とされる上総や常陸の太守や、中務卿... |
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菅原道真
天神 菅原道真 0.目次 本レポートでは以下の通りに調査内容を報告することをここに記す。 1.菅原道真という人物。 2.天神、道真。そして学問の神、道真。 ... |
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藤原長良
母
平安時代初期の公卿。藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の長男。陽成天皇の外祖父。官位は従二位・権中納言。贈正一位・太政大臣。枇杷中納言と号した。 |
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平城天皇
平城天皇(へいぜいてんのう、へいじょうてんのう、宝亀5年8月15日(774年9月25日)-弘仁15年7月7日(824年8月5日))は第51代天皇(在位:延暦25年3月17日(... |
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淳和天皇
平安時代初期の第53代天皇。西院帝ともいう。諱は大伴(おおとも)。 |
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朱雀天皇
朱雀天皇(すざくてんのう、延長元年7月24日(923年9月7日)-天暦6年8月15日(952年9月6日)、在位:延長8年11月22日(930年12月14日)-天慶9年4月13日(946... |
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プロフィール
- 陽成天皇とは
- 系譜
- 略歴
- 后妃・皇子女
- 陵墓・霊廟
陽成天皇(ようぜいてんのう、貞観10年12月16日(869年1月2日)-天暦3年9月29日(949年10月23日)、在位:貞観18年11月29日(876年12月18日)-元慶8年2月4日(884年3月4日))は第57代天皇。諱は貞明(さだあきら)。
系譜
| 子に歌人として優れた元良親王と元平親王らがいる。 |
| 元平親王は陽成源氏の祖であるが、のちに武家の棟梁となる清和源氏は実際は陽成源氏で、この元平親王を先祖とするが、後述するとおり陽成帝には暴君との評判があり、それを嫌って一代前の清和天皇に祖を求めたのだとの説が近年提示されている清和源氏参照。 |
略歴
| 生後3ヶ月足らずで立太子。 |
| 9歳で清和天皇から譲位され帝位に就く。 |
| 在位の初めは父上皇、母高子、摂政藤原基経(天皇の伯父)が協力して政務を見た。 |
| が、父清和上皇の死後、基経との関係が悪化したらしく、元慶7年(883年)8月より、基経は出仕を拒否するようになる。 |
| 清和天皇に二人の娘を入内させたのに続き、陽成天皇の元服に際し、さらに娘の佳美子または温子を入内させようとしたのを、母后の高子が拒否したためではないかというのが、近年の説『王朝の映像-平安時代史の研究』所収「陽成天皇の退位」,角田文衞,東京堂出版,1970,他である。 |
| ただし、清和天皇の譲位の詔が基経の摂政を陽成天皇の親政開始までとしている以上、基経が元慶6年(882年)の天皇の元服を機に、親政への準備期間を経た後に摂政を一旦辞することは不自然ではなく、関係悪化の証拠にはならないという反論『古代政治史における天皇制の論理』所収「陽成退位の事情」,河内祥輔,吉川弘文館,1986,もあるが、それ以前の元慶4年(880年)12月の清和上皇の臨終時の太政大臣任命にも、基経は、単なる慣例的儀礼的行為以上に5回もの上表を繰り返したうえ、さらに摂政でありながら、翌年2月まで私邸に引きこもって一切政務を執らず(『日本三代実録』元慶5年2月9日条)、政局を混乱させている。 |
| なお陽成天皇にはその在位中、一人も正式な妃は入内していない。 |
| 元慶7年11月になると、宮中で天皇の乳母であった紀全子(きのまたこ)の子、源益(みなもとのすすむ)が殴殺されるという事件が起きる(『日本三代実録』元慶7年11月10日条)事件の経緯や犯人は不明とされ、記録に残されていないが、それが事故であれ故意であれ、天皇自身が起こしたか、少なくとも何らかの関与はしていたのであろうというのが、現在までの大方の歴史家の見方である。 |
| 宮中での殺人事件という未曾有の異常事に、ついに基経によって退位を迫られ、翌年2月に退位(ただし、表面的には病気による自発的退位である)。 |
| 陽成天皇の暴君説については退位時の年齢が17歳(満15歳)であり、また上記の経緯のように疑問点も多く、天皇を廃位し、自身の意向に沿う光孝・宇多帝を擁立した基経の罪を抹消するための作為だともいわれる前掲,角田文衞著書。 |
| また、退位後も光孝・宇多・醍醐の諸帝の警戒感は強く、『日本三代実録』や『新国史』の編纂は陽成上皇に対して自己の皇統の正当性を主張するための史書作成であったとする説遠藤慶太・細井浩志説がある。 |
| 退位後に幾度か歌合を催す延喜12-13年夏(推定) 歌題・夏虫恋、 延喜13年9月9日 歌題・惜秋意 他 参考文献『平安朝歌合大成』,萩谷朴,同朋舎出版,1995,など、歌才があったようだが、自身の歌として伝わるのは『後撰和歌集』に入撰し、のちに『小倉百人一首』にも採録された後撰,777番 百人一首,13番下記一首のみである。 |
| 「''つくばねの峰よりおつるみなの川恋ぞつもりて淵となりける''」 (百人一首では「''淵となりぬる''」)。 |
| 上皇歴65年は2位の冷泉天皇の42年を大きく凌ぐ1位である。 |
| 『大鏡』には、いったん臣籍降下したにもかかわらず、父、光孝天皇の後をうけ即位した元侍従であった宇多天皇のことを、「あれはかつて私に仕えていた者ではないか」と言ったという逸話が残っている帝紀,五十九代 宇多天皇。 |
| その皇子で再従兄弟でもあった敦仁親王(醍醐天皇)よりも長生きし、更に朱雀天皇、村上天皇と、大叔父の光孝系の皇統継承を見届けたのもまた、皮肉な事であった。 |
| ちなみに唯一現代まで伝わる上記の歌は宇多天皇の妹にあたる妃の一人、釣殿宮綏子内親王にあてた歌である。 |
后妃・皇子女
| 妃:綏子内親王(?-925)-光孝天皇皇女。 |
| 元長親王(901-976)-二品式部卿。 |
| 元利親王(?-964)-三品弾正尹。 |
| 長子内親王(?-922)。 |
| 儼子内親王(?-930)。 |
| 宮人:藤原遠長女。 |
| 元良親王(890-943)-三品兵部卿。 |
| 元平親王(?-958)-三品弾正尹式部卿。 |
| 宮人:紀君(紀氏)。 |
| 源清蔭(884-950)-陽成源氏祖。 |
| 宮人:伴保平女?。 |
| 源清鑒(?-936)-刑部卿。 |
| 源清遠(?-996)-刑部卿。 |
陵墓・霊廟
| 京都市左京区浄土寺真如町にある神楽岡東陵(かぐらおかのひがしのみささぎ)に葬られた。 |
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