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つながりの強いひと
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京極為兼
鎌倉時代後期の歌人。藤原定家に遡る和歌の家として知られる藤原御子左家の出自で、父は京極家の祖となる京極為教。母は西園寺家の家司である三善雅衡の娘。... |
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今谷明
日本の歴史学者。帝京大学文学部特任教授、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は日本中世史。京都市出身。官僚を経験した後に歴史学者に転じた、異色の... |
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一山一寧
一山一寧(いっさんいちねい、宝治元年(南宋の淳祐7年、1247年)-文保元年10月24日(1317年11月28日))は元の渡来僧。寧一山ともいう。 |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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無学祖元
中国明州慶元府(浙江省)出身の鎌倉時代の臨済宗の僧侶。諡は仏光国師・円満常照国師。日本に帰化して無学派(仏光派)の祖となる。字は子元。 |
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寂室元光
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。美作国高田の出身。俗姓は藤原氏。一説によれば小野宮藤原実頼の後裔とされる。諱は元光。道号は初め鉄船... |
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絶海中津
南北朝時代から室町時代前期にかけての禅僧。道号は絶海のほかに要関、堅子、蕉堅道人など多数ある。 |
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虎関師錬
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。諱は師錬、字は虎関。父は藤原左金吾校尉で、母は源氏。一説に玄恵と兄弟とする。京都の出身。諡号は本覚... |
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義堂周信
南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧である。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号する。 |
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瑞春院
瑞春院(ずいしゅんいん、万治元年2月1日(1658年3月4日)-元文3年6月9日(1738年7月25日))は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の側室。通称、伝・三ノ丸様・御袋様... |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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願阿弥
願阿弥(がんあみ、生年不詳-文明18年5月13日(1486年6月14日))は室町時代の時宗の僧。越中国の漁師の家に生まれたが、殺生の報いを悟って時宗の教団に入り... |
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中巌円月
南北朝時代の臨済宗の僧。相模国鎌倉の出身で、俗姓は土屋氏。中巌は道号で、諡号は仏種慧済禅師。年少期に鎌倉寿福寺(臨済宗建長寺派)に入った後、醍醐寺... |
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小野勝
小野勝香プロフィール 国内外で活躍する書家。墨の表情で、美しさや人生の喜怒哀楽を表現できる線の芸術「書」の世界に魅せられライフワークとする。... |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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慈雲
慈雲(じうん、享保3年7月28日(1718年8月24日)-文化元年12月22日(1805年1月22日))は江戸時代後期の真言宗の僧侶。戒律を重視し「正法律」(真言律)を提... |
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文宗
文宗(ぶんそう)は唐朝の第17代皇帝。敬宗の同年の異母弟である。 |
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足利義稙
室町幕府第10代将軍。将軍在職は2つの時期に分かれており、一度目は延徳2年7月5日(1490年7月22日)から明応3年12月27日(1495年1月23日)まで在職する。約13... |
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小笠原貞宗
小笠原貞宗(おがさわらさだむね) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1294―1347) 鎌倉末~南北朝期の武将。永仁(えいにん)2年 4月 12日生まれ。父は 宗... |
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プロフィール
雪村友梅(せっそんゆうばい、正応3年(1290年)-貞和2年12月2日(1347年1月14日))は、鎌倉時代末から 南北朝時代にかけての臨済宗の禅僧である。
一山に師事
| 父は越後の土豪・一宮氏(源姓)、母は信濃須田氏(藤姓)。 |
| 正応3年(1290年)越後白鳥にて生まれる。 |
| 幼少の頃、鎌倉に出て建長寺の一山一寧に侍童として仕える。 |
| 元朝からの帰化僧である一寧から唐語や彼の地の様子を教えられたと思われる。 |
| のち比叡山戒壇院で受戒、つづいて京都建仁寺に入門した。 |
入元
| まもなく徳治2年(1307年)18歳の時、渡海して元へ赴く。 |
| 2年ほど大都(北京)周辺を見て回り、元叟行端・虚谷希陵・東嶼徳海・晦機元煕・叔平□隆などに参ずる。 |
| しかし日元関係の悪化に伴い、日本留学僧は間諜(スパイ)と見なされたため、霅州の獄に繋がれる。 |
| 叔平も雪村を匿った罪で逮捕され、獄死した。 |
| 雪村も危うく処刑されかけたが、とっさに無学祖元の臨剣頌を唱えたため、気圧された処刑官が、死罪を延期し、処刑を免れた。 |
| 以後、江南地域ではこの臨剣頌が、祖元ではなく雪村の作であると伝わったということが、数十年後同地を訪れた中巌円月によって記録されている。 |
| 死一等を免ぜられて長安に流され、3年後には四川の成都に改めて流謫され、その地で10年を過ごす。 |
| この間、さまざまな経書・史書などを学び、一度暗記したページはちぎって河へ捨てたという。 |
| 大赦により許された後、長安に戻りそこで3年を過ごす。 |
| この頃より帰国の念が募ったが、請われて長安南山翠微寺の住職となり、元の朝廷から「宝覚真空禅師」の号を特賜された。 |
帰朝後
| 元の天暦2年(日本では元徳元年、1329年)5月、商船に便乗して博多へ帰朝。 |
| 新たに日本へ来朝した明極楚俊・竺仙梵僊らや、同じく帰朝した天岸慧広・物外可什らと同船していた。 |
| その後鎌倉へ戻り、翌年には師一山の塔である建長寺玉雲庵の塔主となる。 |
| その後元徳2年(1331年)、信濃諏訪神社の神官で豪族である金刺満貞に招かれ、信濃へ赴く。 |
| また同地の神為頼に請われて徳雲寺開山となる。 |
| さらに翌年には京都の小串範秀という武士に招かれ、嵯峨の西禅寺住職となる。 |
| また建武元年(1334年)には豊後大友氏に招かれ、府内の万寿寺に転じ、3年住した。 |
| ふたたび京都へ上り栂尾に隠棲したが、播磨守護赤松円心が小串範秀の推薦を受け、円心が建立した法雲寺の開山として招く。 |
| 紅葉に映える千種川の清流をかつて幽囚されていた蜀(成都)の錦江になぞらえ、山号を金華山とした。 |
| 暦応3年(1340年)足利尊氏・直義兄弟は、京都の万寿寺の住職として雪村を招請したが、雪村は病気(中風)により再三固辞する。 |
| しかし数年にわたる円心の熱心な願いに折れ、康永2年(1343年)8月ついに万寿寺の住持となった。 |
| ただしわずか1年で辞し、翌年には東山の清住庵に移り住んだ。 |
| この頃より中風の症状が重くなり、摂津有馬温泉で療養している。 |
| しかし、貞和元年(1345年)2月、今度は朝廷によって建仁寺の住持を命じられ、就任。 |
| 盛大な入山式が執り行われ、雪村の名声により宗儀は大いに振るった。 |
| 翌年11月法兄の石梁仁恭の十三回忌法会の導師を務めるが、楞厳呪第五段の焼香三拝に至って右半身不随となる(脳卒中による麻痺か)。 |
| 朝廷や武家が派遣した医師や薬をすべて断り、12月2日遺偈を左手で書こうとしたが、うまく字にならず、怒って筆を投げつけ、周囲が墨だらけになる中、示寂した。 |
| 五山文学の最盛期にあって中枢となった僧であり、詩文集としては、在元時代の詩偈を編んだ『岷峨集』や帰朝後の詩文・語録集として『宝覚真空禅師語録』がある。 |
参考文献
| 『国史大辞典』(吉川弘文館)「雪村友梅」(執筆:葉貫磨哉)。 |
| 今谷明 「雪村友梅―中国で辛苦した傑僧」-『中世奇人列伝』(草思社、2001年、ISBN4794210949)所収。 |
| 今谷明 『元朝・中国渡航記 留学僧・雪村友梅の数奇な運命』(宝島社、1994年)。 |
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1331年
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信濃諏訪神社の神官で豪族である金刺満貞に招... |
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1345年
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今度は朝廷によって建仁寺の住持を命じられ、... |
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