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つながりの強いひと
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青山忠良
江戸時代の大名、老中。丹波篠山藩第5代藩主。青山家宗家11代。 |
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青山忠高
丹波篠山藩の第2代藩主。青山家宗家8代。 |
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青山忠講
丹波篠山藩の第3代藩主。青山家宗家9代。明和2年(1765年)10月17日、第2代藩主・青山忠高の次男として江戸で生まれる。安永9年(1780年)12月18日、従五位下... |
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青山忠俊
江戸時代初期の譜代大名。常陸国江戸崎藩第2代藩主、武蔵国岩槻藩(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)藩主、上総国大多喜藩主。青山家宗家2代。徳川家光の傅役。 |
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青山忠朝
青山忠朝(あおやまただとも)は江戸時代の大名、大坂城代。丹波亀山藩第3代藩主、同篠山藩初代藩主。青山家宗家7代。丹後国宮津藩主・青山幸督の次男。享保1... |
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土井利里
土井利里(どいとしさと)は江戸時代の大名。肥前国唐津藩第3代藩主、下総国古河藩初代藩主。京都所司代。土井家宗家8代。 |
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青山忠敏
丹波篠山藩の第6代(最後)の藩主。青山家宗家12代。 |
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青山忠成
青山忠成(あおやまただなり、天文20年8月6日(1551年9月6日)-慶長18年2月20日(1613年4月10日))は戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。江戸幕... |
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牧野忠精
江戸時代後期の大名、政治家。越後長岡藩第9代藩主。長岡藩系牧野家宗家10代。老中。8代藩主・牧野忠寛の長男。寛政の遺老の一人。 |
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日野資敬
江戸時代の公家。高家旗本。丹波篠山藩主青山忠裕の子。通称は鑑之助、主税。官位は従五位下侍従・若狭守。実兄に青山忠良、青山幸哉らがいる。天保8年(1837... |
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青山幸哉
美濃八幡藩の第6代藩主。郡上藩青山家10代。研究者でもある。 |
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松浦曜
肥前国平戸藩の第11代藩主。文化9年(1812年)8月21日、第10代藩主・松浦熈の長男として平戸で生まれる。文政10年(1827年)に第11代将軍・徳川家斉に御目見... |
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松平忠誨
江戸時代の人物。摂津尼崎藩の第5代藩主。尼崎藩桜井松平家8代。享和3年(1803年)7月14日、第4代藩主・松平忠宝の次男として生まれる。兄の早世で世子に指名... |
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水野忠成
江戸時代の大名、老中。駿河国沼津藩第2代藩主。沼津藩水野家9代。先代の水野忠隣の末期養子。幼名は牛之助、友五郎。官途は大和守、出羽守。のち従四位下、... |
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青山忠重
遠江浜松藩の第3代藩主。後に丹波亀山藩の初代藩主となる。青山家宗家5代。承応3年(1654年)5月23日、浜松藩初代藩主(当時は信濃小諸藩主)・青山宗俊の三... |
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青山忠雄
遠江浜松藩の第2代藩主。青山家宗家4代。慶安4年(1651年)、浜松藩の初代藩主・青山宗俊の次男として信濃小諸で生まれる。寛文3年(1663年)12月28日に従五... |
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松平信庸
江戸時代の大名(形原松平家)、老中。丹波篠山藩第4代藩主。丹波亀山藩形原松平家5代。生涯 2代藩主・松平典信の三男として生まれる。兄で3代藩主の松平信利... |
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松平康重
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。譜代大名として徳川家康・秀忠・家光に仕えた。伊豆国三枚橋城主、武蔵国騎西藩主、常陸国笠間藩主、丹波国篠... |
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酒井忠進
江戸時代後期の政治家、若狭小浜藩第10代藩主。老中。小浜藩酒井家11代。 |
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松平乗保
江戸時代後期の大名、政治家。美濃岩村藩第4代藩主。老中。岩村藩大給松平家5代。 |
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プロフィール
青山忠裕(あおやまただひろ(ただやす))は、江戸時代の大名・老中。丹波篠山藩第4代藩主。青山家宗家10代。
生涯
| 第2代藩主であった青山忠高の3男。 |
| 天明5年(1785年)、兄で第3代藩主の青山忠講が嗣子なく21歳で没したため、家督を継ぐ。 |
| 忠裕は、寺社奉行、若年寄、大坂城代、京都所司代と、およそ幕閣の登竜門とされるポストを残らず勤め、文化元年(1804年)に老中に起用されて30年以上勤めるなど、文化文政期の幕閣の中心人物として活躍した。 |
| 老中在任中、相馬大作事件の裁判や、桑名藩、忍藩、白河藩の三方国替えなどを担当した記録がある。 |
| 文政元年(1818年)、藩領の王地山に、京焼の陶工欽古堂亀祐を招いて窯を開かせる。 |
| また、内政面では地元で義民とされる市原清兵衛ら農民の直訴を受け、農民が副業として冬季に灘など摂津方面に杜氏として出稼ぎすることを認めた。 |
| 天保6年(1835年)隠居し、家督を四男の忠良に譲る。 |
| 翌天保7年(1836年)没した。 |
逸話
| 毎年春と秋に本所回向院で将軍臨席で大相撲があった。 |
| 篠山藩の力士は毎年、真っ先に負け続きで忠裕はたいそう不機嫌であった。 |
| 文政3年(1820年)春場所のある日、王地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、曽地山左近、小田中清五郎、須知山道観、頼尊又史郎という八名の力士が篠山から出て来て、相撲を取らせてくださいというので忠裕が出場させたところ、全員が勝った。 |
| 喜んだ忠裕が褒美を取らせようとしたところ全員どこにもおらず、後で調べたが篠山にはそんな名前の力士はいない、ただ篠山領のお稲荷さんがまつられている地名ということがわかり、それぞれの稲荷神社へ感謝のためにのぼり絵馬を奉納したという。 |
| 松平定信が徳川治済の大御所尊号をめぐって家斉と対立していたとき、忠裕は家斉から諮問を受けた。 |
| 忠裕は「上様は誠に孝心厚いことですが、国家にそのような先例は無く、故人ならまだしもご健在である治済公に追尊することは不可能なことで、越中守(定信)殿の申されることは最もです」と答えて強く諫めたという(続徳川実紀)。 |
経歴
| ※明治4年までの日付は旧暦。 |
| 1768年(明和5年) 生誕。 |
| 1785年(天明5年) 篠山藩襲封。 |
| 1792年(寛政4年)7月15日、奏者番(~1796年11月29日)。 |
| 1793年(寛政5年) 8月24日寺社奉行加役(~1796年11月29日)。 |
| 1796年(寛政8年) 西丸(徳川家慶)若年寄。 |
| 1800年(寛政12年)10月1日大坂城代(~1802年10月19日)。 |
| 1802年(享和2年) 11月14日京都所司代(~1804年1月23日)。 |
| 1804年(文化元年)1月23日老中。 |
| 1816年(文化13年)9月25日、勝手掛(~1819年4月25日)。 |
| 1822年(文政5年)7月8日、老中首座(~1835年5月6日)。 |
| 1827年(文政10年)1万石加増、6万石。 |
| 1835年(天保6年) 5月6日老中辞任。 |
| 1836年(天保7年) 3月27日、卒去。 |
| 1919年(大正8年)11月15日、政府より贈従三位。 |
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1785年
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兄で第3代藩主の青山忠講が嗣子なく21歳で没... |
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1818年
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藩領の王地山に、京焼の陶工欽古堂亀祐を招い... |
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