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つながりの強いひと
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吉田義男
京都府京都市中京区出身の元プロ野球選手(内野手)。今牛若丸と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神の監督... |
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藤本勝巳
和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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松木謙治郎
福井県敦賀市出身のプロ野球選手(一塁手)・プロ野球監督・プロ野球指導者・プロ野球解説者。 |
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青田昇
兵庫県三木市出身のプロ野球選手・コーチ・監督、野球評論家・野球解説者。愛称は「じゃじゃ馬」。現役時代は巨人、阪急、洋松・大洋において豪快なバッティ... |
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藤村富美男
広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・監督・解説者。日本プロ野球を代表する伝説の強打者であり、大阪タイガース(現:阪神タイガース)の黎明期を支え、戦... |
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青木宣親
東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。妻は、元テレビ東京アナウンサーの青木佐知。 |
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小山正明
小山正明(こやままさあき、1934年7月28日-)は元プロ野球選手(投手)。優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位... |
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三宅秀史
岡山県出身の元プロ野球選手(内野手)。登録名は1966年から現役引退まで「三宅伸和(-のぶかず)」、現役引退後は「三宅培司」とした。甥は競輪選手の三宅伸。 |
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田宮謙次郎
プロ野球選手(外野手、投手)・監督・野球解説者・政治家。元下館市市議会議員。2002年野球殿堂入り。 |
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青木勇人
神奈川県 藤沢市 鵠沼 出身のプロ バスケットボール選手 である。ポジションは SF / PF 。193cm、92kg。 目次 1 来歴 2 脚注 3 関連項目 4 外部リン... |
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愛甲猛
神奈川県逗子市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)・俳優・実業家。現在は野球評論家。選手時代はロッテ、中日に在籍。ロッテでは勝負強さを武器に主軸を... |
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青島健太
埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(内野手)。新潟県新潟市生まれ。現在は主にスポーツキャスターとして活躍している。 |
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愛敬尚史
大阪府高槻市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアコーチ。 |
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青木実
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手)。 |
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村田兆治
村田兆治(むらたちょうじ、本名:村田長次(読み同じ)、1949年11月27日-)は広島県出身の元プロ野球選手(投手)・野球指導者・野球解説者。現役時代はロッ... |
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赤井勝
自らを「花人(かじん)」と称する、フラワーデザイナー。大阪生まれ。 |
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青山浩
兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(外野手)。 |
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真田重蔵
プロ野球選手(投手、内野手)。1948年から1954年までの登録名は真田重男。和歌山県和歌山市出身。 |
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プロフィール
青木一三(あおきいちぞう、1926年-1994年3月17日)は、日本のプロ野球選手スカウト。大阪府生まれ。関西大学卒業。「マムシの一三」と呼ばれた。
人物
| 戦後、関西大学に進学し同大野球部で内野手として活躍した。 |
| 在学中に二軍マネージャー補佐として大阪タイガースに入団し、卒業後スカウト専任となる。 |
| 1950年代の大阪タイガースで、関大トリオとして森田二軍監督・浅野マネージャーと共にフロントを支えた。 |
| 交渉能力が高く、新人選手の獲得にも腕を発揮した。 |
| 吉田義男・三宅秀史・山本哲也・藤本勝巳ら、他球団がノーマークの選手を発掘し、次々と獲得した。 |
| 松木謙治郎監督退団後、阪神と折り合いがつかず大映スターズ移籍を決意、いったんは野田誠三オーナーに留意されるが藤村排斥事件の責任をとらされて解雇される。 |
| 後の著書において、排斥事件は自らが裏で糸を引いていたと述べている『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P90。 |
| 1957年に大映スターズに入社。 |
| 入社早々高橋ユニオンズとの合併を経験。 |
| オーナーの永田雅一と出会ったことをきっかけに政財界に人脈を築いた『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P181。 |
| 大毎オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)時代も村田兆治・有藤道世らを発掘したり、1958年の田宮謙次郎獲得、1963年の小山正明-山内一弘の世紀のトレードを担当する。 |
| 永田が球団経営から身を引いた後は、代わってオーナーとなった中村長芳に従う。 |
| 中村が西鉄ライオンズ救済のためにロッテを退団して福岡野球株式会社を興し、太平洋クラブライオンズのオーナーとなると、取締役としてフロントに入った。 |
| 太平洋クラブライオンズ→クラウンライターライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)では球団経営に奔走、ロッテとの遺恨試合を演出する(詳細はライオンズとオリオンズの遺恨を参照)、巨人とのトレードを前提とした江川卓の強行指名などのさまざまな策を繰り出し、苦しい球団経営を支えた。 |
| 晩年の著書の中で、ドラフト制度については「チームの均質化は各チームの営業努力を奪い、また契約金の抑制はプロ野球への魅力を落としている」として撤廃を強く主張した『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P159-168。 |
| また、当時は日本では導入されていなかったFAについても「やや早い気もするが」という但し書きつきながら、同様の理由で賛意を表明した『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P173-176。 |
| 太平洋クラブ時代の監督であった稲尾和久については、その監督としての能力に否定的な記述を著書でおこなっている。 |
| 一方、稲尾の側も「どうもソリが合わない」と記し、青木がベンチの横の管理室から聞こえよがしに「ここでバントはないだろう」などの采配批判を口にしていたと述べている稲尾和久『神様、仏様、稲尾様』日本経済新聞社、2002年、P228。 |
略歴
| 1950年-関西大学在籍中に二軍マネージャー補佐として大阪タイガースに入団。 |
| 1952年-関西大学を卒業、スカウト専任となる。 |
| 1956年-藤村監督排斥事件の責任をとり解雇。 |
| 1957年~1971年-大映・大毎・東京・ロッテスカウト。 |
| 1961年スカウト部長に昇進。 |
| 1971年~1973年-'71年8月より1Aローダイゼネラルマネージャー(ロッテと大映を仲介した中村長芳が米1Aローダイを買収した)。 |
| 1973年~1975年-太平洋クラブライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)専務取締役。 |
| 1976年-太平洋クラブライオンズ球団代表。 |
| 1977年~1978年-クラウンライターライオンズ球団代表。 |
| 1979年~1994年-評論家。 |
球界「裏面史」
| 上記の「藤村排斥事件」や"遺恨試合"以外に、青木が著書で紹介している球界「裏面史」とでもいうべき内容に以下のものがある。 |
| 他の資料等で真偽を確認できないものが多いが、広い人脈や策士ぶりをうかがわせるものである。 |
| 南海ホークスの川勝傳オーナーは、生前に2度にわたって、来島どっくグループ総帥の坪内寿夫に球団売却を持ちかけた。 |
| ダイエーの中内功にも1984年頃に話を持ちかけていた『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P18-21。 |
| セントラル・リーグは鈴木龍二の会長退任の花道という名目で、2球団を追加して8球団にする構想を持っていた。 |
| その一つが上記の坪内がオーナーとなって松山市をフランチャイズとする球団、もう一つは田中六助の肝いりによる福岡市の球団だった。 |
| この話があったために坪内は南海の売却話に乗らなかったこのセ・リーグ8球団化構想については稲尾和久も著書『神様、仏様、稲尾様』で触れている。 |
| また吉田義男は、中内功が1985年に鈴木龍二にプロ野球団買収を相談したと記している(『牛若丸の履歴書』日経ビジネス人文庫、2009年、P116)。 |
| 吉田が聞いたところでは、中内は鈴木から四国を本拠地にするよう勧められたために断念し、福岡ダイエーホークスに方針を切り替えたという。 |
| 近鉄バファローズも1979年頃に、佐伯勇オーナーが坪内寿夫に球団売却を持ちかけていた『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P107-108。 |
| 堤康次郎が健在だった頃、永田雅一と青木のもとに堤清二が使者として訪れ、「西武グループが芝公園に球場を建てるので大毎の本拠地に使ってほしい。 |
| 康次郎は球場経営はしても球団経営はするなと言っているので、大毎の乗っ取りなどは考えていないから安心してほしい」と申し入れた『ダイエー/オリックス球団買収の真相』P114-117。 |
| 堤義明が西武球場を建設した当初は球団を持つ意思がなかった。 |
| それが変わったのは、堤と親しかった安倍晋太郎が、義父の岸信介の意向を受けて買収を勧めたためである(当時のライオンズオーナーの中村長芳は岸の元秘書だった)。 |
著書
| 『猛虎復活の全員野球』(オーエス出版、1985年)。 |
| 『ここだけの話プロ野球どいつも、こいつも……』(ブックマン社、1989年)。 |
| 『ダイエー/オリックス球団買収の真相』(ブックマン社、1989年)。 |
| 『12球団全監督のオモテとウラプロ野球ここだけの話』(ブックマン社、1990年)。 |
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