| 200px|right|thumb|青木のバッティングフォーム(2010年4月3日)。 |
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| 一軍出場10試合に終わったものの、二軍では打率.372でイースタン・リーグ首位打者・最高出塁率を獲得。 |
| リーグ2位の21盗塁を記録し、自慢の俊足をアピールした。 |
| 同年のフレッシュオールスターゲームではMVPを獲得した。 |
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| 稲葉篤紀の移籍で、開幕から中堅手としてレギュラーに定着。 |
| 2番を打っていた序盤は低打率で三振を量産していたが、徐々に安打が出始め、6月からは1番に定着した。 |
| 10月6日にはセントラル・リーグ記録の192安打を更新。 |
| 10月11日、イチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。 |
| 最終的には210安打に届かなかったものの、プロ野球新記録のシーズン169単打を記録するなど、計202安打を放って最多安打、打率.344でセ・リーグ首位打者、新人王にも選出された。 |
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| 2006ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、6試合に出場して優勝に貢献。 |
| 7月21日に行われたオールスターゲームの第1戦目(明治神宮野球場)ではMVPを獲得フレッシュオールスターMVP経験者によるオールスターMVP受賞は簑田浩二(阪急)・石井浩郎(近鉄)以来となる3人目の快挙。 |
| ちなみに翌日は藤本敦士(阪神タイガース)もMVPを受賞し、4人目のダブル受賞者となっている。 |
| オールスター第1戦目でMVPを獲得した際は、松坂大輔から先頭打者安打、二盗成功後に三盗失敗、平凡な右翼フライを落球、吉井理人から本塁打を打つなどした。 |
| 2006年1月1日に放送されたスポーツマンNo.1決定戦の「ショットガン・タッチ」で世界新記録となる13m60cmを記録。 |
| パワーフォースでもNo.1を獲得し、総合3位に輝いた。 |
| シーズンでは首位打者こそ逃したものの、両リーグトップの192安打を放ち2年連続の最多安打のタイトルを獲得。 |
| 課題であった三振が減少、四球が増加し、本塁打や打点、出塁率も大幅に向上した。 |
| 得点圏打率.399はリーグトップ。 |
| また、41盗塁を記録して赤星憲広の6年連続を阻止し、自身初の盗塁王を受賞した。 |
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| 7月10日に出場373試合目での史上最速500本安打を達成。 |
| チームメイトのアレックス・ラミレスとはシーズン終盤までハイレベルな首位打者争いを繰り広げ、リーグ4位の80四球と警戒されたが、打率.346で2度目の首位打者と初の最高出塁率のタイトルを獲得。 |
| 安打数はリーグ1位のラミレスの204安打に次ぐ193安打を記録。 |
| 2005年に記録した自身のセ・リーグシーズン最多安打記録(202安打)はラミレスに抜かれた。 |
| また3年連続100得点以上となる114得点でリーグ最多得点を記録。 |
| 本塁打も20本の大台に乗せ、長打率は初めて5割を超えた。 |
| 2番が犠打の少ないアダム・リグスから犠打の多い田中浩康に変わったことにより出塁→バントのパターンが増え、盗塁数は41から17と激減した。 |
| 前年まで3番だった岩村明憲の移籍や俊足の飯原誉士の台頭などで、シーズン中は1番だけでなく2番・3番での起用も多かった。 |
| 古田敦也の引退試合では、古田の前の4番を打った。 |
| オフには足の回転を速くする新たなバッティングフォームに変えている。 |
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| 5月5日に脇腹痛で初の怪我による登録抹消を経験するが、5月29日に復帰後は着実に安打を積み重ね、例年以上の高打率を記録。 |
| 内川聖一と共に首位打者争いを繰り広げたちなみに、青木と内川は杉村繁の指導を受けている共通点がある。 |
| 8月には宮本慎也とともに北京五輪代表に選出された。 |
| 西武から移籍した福地寿樹が1番打者として定着したため、シーズンでは主に3番打者として起用。 |
| 得点圏打率が前年より下がり、首位打者・最高出塁率も内川に譲ったものの、自己最高の打率.347を記録。 |
| リーグ最少の47三振と安定感を見せ、チームでは盗塁王に輝いた福地に次ぐ31盗塁も記録した。 |
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| 2009ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、2度目の出場。 |
| 左翼を本職とする選手がいないチーム事情から、経験の少ない左翼手を中心に出場するも、堅実な守備を披露。 |
| 3番打者として全試合に出場し、37打数12安打・打率.324・0本塁打・7打点の好成績で、大会ベストナインに選出された。 |
| 3月26日、WBCの活躍により東国原英夫から宮崎県民栄誉賞を授与された。 |
| シーズンでは体を痛め調整が上手く出来なかった影響でレギュラー定着以降では初めての大不振に陥り、前半戦を通した打率は.249と大きく低迷。 |
| 更に怠慢守備も指摘され、一時期は福地との配置転換で左翼手に回される(後述)など苦しんだ。 |
| 不振に喘ぐ中、ファン投票でオールスターゲームに4年連続で選出され、第1戦では9回に武田久から逆転2ラン本塁打を放って自身2度目のオールスターMVPを獲得。 |
| そしてオールスター明けの後半戦からバットを変えるなどの試行錯誤を繰り返した結果、後半戦では一転。 |
| 打率4割台と復活を見せ、4番を務めるなどチーム3年ぶりのAクラスの確保、クライマックスシリーズ出場に貢献した。 |
| 最終的な打率は.303と3割以上を保ち、前年苦手としていた得点圏打率も.307を記録し、出塁率.400で自身2度目の最高出塁率のタイトルを獲得した。 |
| クライマックスシリーズでも打点を記録するなど活躍したが、3点差の2死1、2塁の場面で岩瀬仁紀の前に空振り三振を喫した。 |
| シーズン終了後にテレビ東京のアナウンサー・大竹佐知と入籍し、11月5日に痛みの原因だった両足首三角骨を摘出するために手術を受けた。 |
| 球団から背番号1への変更を打診され続けていたが、ヤクルトの背番号1はこれまで若松勉、池山隆寛、岩村明憲といった生え抜きスターが背負ってきた名誉ある背番号であるため、青木本人が時期尚早と固辞し続けていた。 |
| しかし12月3日、若松の殿堂入りを祝う会に出席したことをきっかけに、2010年から背番号1を背負うことを決意した |
| 監督代行である小川淳司によって3番固定だった打順から1番固定に戻ると、例年よりハイペースで安打を打ち続け日本プロ野球史上初となる2度目のシーズン200本安打を達成(最終的には2005年に記録した202安打を更新し、歴代3位となる209安打を放った)。 |
| また自己最高の打率.3585を記録し、自身三度目となる首位打者を獲得すると同時に、若松勉の持つシーズン打率.3583の球団記録を更新。 |
| この年は出塁率、OPSにおいても自己最高の数字を記録した。 |