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プロフィール
飯沼慾斎(いいぬまよくさい、天明2年6月10日(1782年7月19日)-慶応元年閏5月5日(1865年6月27日))は、江戸時代の医家で本草学者。「リンネ」の植物分類法を最初に採用した草木図説を出版した。伊勢国亀山(三重県)出身。
概説
| 名を長順、幼名本平。 |
| 慾斎は、引退後の号。 |
| 小野蘭山について本草学を学んだ。 |
| 後、宇田川榛斎に入門し蘭学を修め、大垣に帰り蘭方医を開業し名声を博した、文政11年(1828年)には人体解剖もおこなっており、本業の医家としても先駆者であった。 |
| 60歳を過ぎても壮健で知識欲旺盛であり、自ら慾斎と号したことでもその意欲が覗い知ることが出来る。 |
| 『草木図説』執筆の傍ら68歳で自ら種痘を試み、70歳を越してから門人とともに写真術の研究をはじめ、80歳では、博物学・医学・本草学の知識を広めようとシーボルトと会見せんとした(シーボルトの帰国で実現しなかった)。 |
| 最晩年には、足を傷め不自由な体となったが、山駕籠に乗っては深山まで植物採集に出かけたという。 |
| 『草木図説』は、草部20巻・木部10巻・禾本沙草無花部10巻からなり。 |
| 生前に刊行されたのは、草部20巻のみであったが、その価値は、時代を経ても色あせることなく海外でも高く評価されていた出版直後からポール・A・L・サバティエ、アドリアン・フランシェ、カール・ヨハン・マキシモヴィッチ等の学者の絶賛をあびている。 |
| 以下フランセの言葉。 |
| 「この著作は、著者の偉大なる観察の才能と真の科学を表している。 |
| 特に植物の姿は良く活写されている。 |
| 極めて精密な記載がなされ精確でもある。 |
| 著者の死去によりその仕事が完成しなかったのは、惜しみてあまりある。 |
| しかも彼が樹木潅木に関する部分を校了し終わっていることを確かな筋より聞く、、--中略--我々は日本国政府がこの部分の出版を早く取り計らわれん事を熱望する。 |
| 」--引用『日本植物名彙』序文、1872年。 |
| 牧野富太郎も増訂草木図説を昭和に入ってから出版しているほどで、まして木部の刊行は実に死後120年たった昭和52年(1977年)のことであった。 |
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1828年
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人体解剖もおこなっており、本業の医家として... |
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