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つながりの強いひと
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野村克也
京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者、野球評論家。所属事務所はエフエンタープライズ。血液型はB型。愛称は「ノムさん」。 |
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広瀬叔功
広島県佐伯郡大野町(現:廿日市市)出身の元プロ野球選手(外野手)・監督、野球解説者。愛称は「チョロ」。 |
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福本豊
大阪府大阪市生野区出身の元プロ野球選手(外野手)。通算盗塁数の日本記録保持者(達成当時は世界記録)で、「世界の盗塁王」の異名を持つ。引退後はコーチ... |
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木塚忠助
佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(内野手)。ポジションは遊撃手。右投右打。本名は同字で「ただすけ」。 |
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川上哲治
熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。現役時代から“打撃の神様”と言われ、また監督としては読売ジャイアンツの黄... |
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岡本伊三美
日本のプロ野球選手(内野手)・プロ野球指導者・プロ野球監督・プロ野球解説者。大阪府大阪市出身。次女は元プロテニスプレイヤーの岡本久美子。 |
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張本勲
在日韓国人二世の元プロ野球選手(外野手)、現野球解説者・タレント。日本プロ野球で3000安打を記録している唯一の選手であり、世界で初めて3000本安打を本... |
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長嶋茂雄
千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現役時代のポジションは内野手(主に三塁手)。右投右打。血液型はB型。現役... |
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王貞治
日本生まれ・中華民国籍の元プロ野球選手、監督。読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた通算本塁打数868本は、メジャーリーグのハンク・アーロンの755... |
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金田正一
愛知県中島郡平和村(現:稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、野球解説者・評論家、実業家。血液型はB型。現役時代は日本プロ野球最多となる通算40... |
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大下弘
兵庫県神戸市三宮出身のプロ野球選手(外野手)・監督。青バットの大下として、赤バットの川上哲治、物干し竿の藤村富美男と共に終戦直後の日本プロ野球にお... |
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吉田義男
京都府京都市中京区出身の元プロ野球選手(内野手)。今牛若丸と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神の監督... |
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大石大二郎
静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督、野球指導者、野球解説者、野球評論家。からまでの登録名は大石第二朗(読みは同じ)。からは福... |
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呉昌征
プロ野球選手(外野手)。プロ入りからまでは本名の呉波(ごは)。その後日本に帰化し、石井昌征(いしいまさゆき)に改名。登録名は呉昌征とした。 |
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別所毅彦
兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・プロ野球監督、野球解説者。旧名および本名は「別所昭(べっしょあきら)」。愛称は「べーやん」「鬼軍曹」。 |
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山本一人
山本 一人 2
(ポジション) レフト (投打) 右投右打 (生年月日) S55.10.8 (身長・体重) 173cm・67kg
(血液型) O型 ... |
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中西太
香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)・監督、打撃コーチ。現役時代は数多くの伝説を残す強打者であり、現役引退後は数多くの打者を育て上げた名コー... |
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柴田勲
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球解説者。高校時代は甲子園の優勝投手でもある。別名「銀座の盗塁王」(フジテレビ系『プロ野球ニ... |
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藤村富美男
広島県呉市山手町出身のプロ野球選手・監督・解説者。日本プロ野球を代表する伝説の強打者であり、大阪タイガース(現:阪神タイガース)の黎明期を支え、戦... |
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プロフィール
- 飯田徳治とは
- 現役時代
- 引退後
- 年度別打撃成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
飯田徳治(いいだとくじ、1924年4月6日-2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手・監督。
現役時代
| 浅野綜合中学校から東京鉄道局に就職し野球部に入部。 |
| 中学時代はエースで4番、鉄道局時代に一塁手へ転向。 |
| 1947年、南海ホークスに入団。 |
| 2年目からレギュラーに定着。 |
| チャンスに強く長打の打てるバッティングと6年連続40盗塁の俊足で、中心選手として南海の5度の優勝に貢献。 |
| 1951年~1952年に打点王、1955年にMVPを獲得。 |
| 一塁守備でのワンバウンド送球に対するグラブ捌きは、戦前の名一塁手・中河美芳の跡を継ぐ「タコ足二世」と呼ばれるなど、走攻守にわたって隙の無い選手として活躍した。 |
| 守備の負担軽減を狙って1955年より中堅手に転向した。 |
| 1956年シーズンオフ、飯田は10年選手の権利を得たため南海にボーナスを要求したが、南海は長打力重視のチーム方針から力の落ちた飯田に対してボーナスを支払う意思はなく、飯田は国鉄スワローズへ金銭トレードに出され、南海が国鉄から受け取ったトレード金銭を、飯田はボーナス代わりに受け取った。 |
| 国鉄に移籍した1957年より一塁手に戻り、40盗塁で盗塁王に輝くなど1番打者として脆弱な打線を牽引するが、1958年5月24日の対阪神戦阪神甲子園球場で走塁中、二塁ベースにつまずきアキレス腱を断裂して、1948年9月12日以来続いていた連続試合出場記録は1246試合で止まった。 |
| しかしながら、連続試合出場中の1951年の南海の公式試合数は「104」ながら当人の試合出場数が「100」になっているのは開幕前にパリーグ選抜軍のメンバーでハワイに遠征したが、帰国が遅れ開幕日の3月31日に間に合わず4試合欠場したのだが、これは不可抗力というので公休扱いになり、連続出場の中断の憂き目をみずにすんだ。 |
| また、1954年にも手首に死球を受けて、代走だけで出場したのが3試合ある。 |
| (現在は連続出場は1打席を完了させるか、1イニング守備につかなくては記録は継続にならないため)「日本プロ野球記録年鑑1983の709p」より、1959年に復帰するが徐々に精彩を欠き1961年にコーチ兼任となり堤哲『国鉄スワローズ1950-1964400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団』、交通新聞社、2010年、162頁、1963年に2000試合出場まであと35試合、2000本安打まであと23本という所で引退した。 |
| 引退試合は1965年3月27日の南海戦で(横浜公園平和野球場)、当時のオープン戦の観客数は2000人だったが飯田の引退試合には有料入場者が6000人を超え、フジテレビでも中継された。 |
| 途中から一塁手として出場し勝ち越しの3塁打を放っている。 |
| 引退試合でヒットを打っているのは国鉄では飯田のみである。 |
| ちなみに、同年には1歳下の関口清治(当時阪急)や飯田同様1リーグ時代にプロ入りした田宮謙次郎(当時大毎)も引退しているため、この1963年を以て公表上における大正生まれの現役選手及び1リーグ時代からの在籍現役選手が球界からいなくなった(但し、前者については本来大正生まれの近鉄・関根潤三が現役を続行していたが、諸事情により公表上は昭和生まれとなっている。 |
| 詳細はこちらを参照。 |
| 温厚な性格で「仏の徳さん」「国鉄スワローズ1950-1964400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団」、160頁と呼ばれ親しまれた。 |
引退後
| 引退後は、1964年~1965年に国鉄・サンケイコーチ。 |
| 1966年~1967年にサンケイ監督。 |
| 戦力的に恵まれないチームで「仏の徳さん」といわれた温厚な性格をあえて鬼にし、特に巨人戦に力を入れて戦ったが、戦力不足は埋めることができず、両年とも5位に終わった(1967年には不振の責任をとり一時中原宏コーチが代行を務めたこともある)。 |
| 1969年、鶴岡一人の勇退を受け監督に就任。 |
| しかし主力選手の故障者続出や「声を出せ」しか指示がない等チームに不信感が生じ、戦後初の最下位となり責任を取る形で辞任。 |
| 後任には野村克也捕手が(選手兼任監督)昇格した。 |
| その後はNETテレビ→テレビ朝日の野球解説者。 |
| 引退後は喫茶店を開業し駅ビル商店会のよき相談役だった「国鉄スワローズ1950-1964400勝投手と愛すべき万年Bクラス球団」、163頁。 |
| 1981年に野球殿堂入り。 |
| 2000年6月19日、心筋梗塞のため死去。 |
タイトル
| 打点王:2回(1951年-1952年)。 |
| 盗塁王:1回(1957年)。 |
表彰
| MVP:1回(1955年)。 |
| ベストナイン:5回(1950年-1953年:一塁手、1955年:外野手)。 |
| オールスターゲームMVP:1回(1953年第1戦)。 |
| 日本シリーズ首位打者賞:1回(1955年)。 |
| 野球殿堂入り(競技者表彰:1981年)。 |
記録
| サイクルヒット:1回(1955年8月24日、対トンボユニオンズ戦、川崎球場) ※史上12人目。 |
| オールスターゲーム出場:9回(1951年-1957年、1959年-1960年)。 |
| 1246試合連続出場(1948年9月12日-1958年5月24日)。 |
| 通算1000試合出場 1955年5月15日(31人目)。 |
関連項目
| 神奈川県出身の人物一覧。 |
| 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧。 |
| 東京ヤクルトスワローズの選手一覧。 |
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1947年
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南海ホークスに入団 |
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1954年
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も手首に死球を受けて、代走だけで出場したの... |
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飯田徳治さんについてのひとこと紹介
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