| F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1987年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。 |
| 現在は存在しない。 |
| 実況開始当初はハンガリーGP、メキシコGP、カナダGPなど、日本からは遠隔地であったり時差が大きかったりと敬遠するような国を多く担当させられていたが、その後はモナコGPなど、日本GP以外の主要なレースも担当するようになった。 |
| 当初の実況はオーソドックスなスタイルだったが、F1実況仲間だった古舘伊知郎の影響を受けたか、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった。 |
| また、カナダGPでは、開催地の表現をジル・ヴィルヌーヴ・サーキットより、「セント・ローレンス・シーウェイ」とすることが多い。 |
| 馬場はフジテレビが実況中継する1987年以前よりF1ファンであり、1970年代や1980年代前半期のF1にも詳しく、仕事としてF1実況を勉強した他のアナウンサーに比べて知識面でのスキルが高かった。 |
| また、時計を読み取る能力にも長けており、予選では中間計測点のテロップ無しでも画面の推移と共に動き続ける時計を比較して速いラップタイムが出ている事を察知し実況に乗せる事が出来るアナウンサーだった。 |
| アイルトン・セナとの相性が悪かったことで知られ、「馬場アナが実況するとセナが勝てない」というジンクスが長らく存在し、セナがリタイアした1989年のポルトガルGPの後、ホンダの監督であった後藤治から「もう来ないでくれる?」と言われたこともある。 |
| 翌1990年にはセナが直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビのスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼って放送した(このレースの実際の実況担当者は三宅正治)。 |
| さすがにセナが所属するマクラーレンのエンジンサプライヤーのホンダ関係者から「悪ふざけが過ぎる」と苦言を呈された。 |
| ちなみにこのレースでセナは水漏れでリタイア、結局フェラーリの1-2フィニッシュだった。 |
| 1991年も全く同じ状況が生じたことからフジテレビは馬場を実況に送り込み、見事その狙いが当たってセナが5位に沈んだというエピソードを後に古舘が暴露している(馬場自身は当時セナの大ファンだったため、何とも皮肉な話である)。 |
| 優勝はポイントランキング2位のウィリアムズのナイジェル・マンセルであった。 |
| なお当然ながら、馬場の存在とセナの不成績には何ら因果関係は無い。 |
| 1991年のモナコGPで上記のジンクスは崩れセナが優勝、1991年・1992年のハンガリーGPでも、馬場の実況の下共にセナが優勝を飾った。 |
| また、ジンクスが騒がれ出す以前では、1988年のイギリスGPもセナの優勝レースだった。 |
| 反対に、セナとはマクラーレン時代のチームメイトだったゲルハルト・ベルガーとの相性は抜群で、ベルガーはF1通算で10勝(フジテレビの放送開始後では9勝)を挙げているが、そのうちの半分の5勝を馬場が実況したレースで優勝している。 |
| 1988年、マクラーレンが唯一勝てなかったイタリアGPでの実況も馬場であり、優勝したのもベルガーだった。 |
| そして、1997年のドイツGPでは、ベルガーは生涯最後の優勝を飾ったが、その時もやはり馬場が実況を担当していた。 |
| 中継初期から携わってきた関係や人柄から中嶋悟の信頼が厚く、中嶋が近畿大学で講演した際には自身の話下手を補うため、聞き手として呼ばれたことがある。 |
| レースの実況中にマシンがクラッシュしたのを見て、「おーっと1頭落馬!」と口走り、視聴者から顰蹙を買ったこともある。 |
| 実況担当した1993年スペインGPでの中継ではこの時解説として参加した古舘が「馬場さんとセナの相性。 |
| 馬場さんがアナウンサー担当の時にですね、セナが勝った確率はですね、なんと1割8分です。 |
| 22戦して4勝です。 |
| 私がちなみに5割なんでどっちに転ぶかなという風に思っておりますが。 |
| 」と語った後に馬場は「あまりこの話題には触れようと…触れたくないんでありますが…」と苦笑いしながら語っていた(結局セナは2位と優勝できなかった)。 |
| 関西テレビ退職後の2010年11月より、CS放送のフジテレビNEXTにて放送されている『F1LEGENDSTHEBESTGP'89-'90』において、国際映像を基に当時の解説者である今宮純と共に当時を振り返りながら改めてレース実況を行っている。 |