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馬麒
馬麒(ばき)は清末民初の軍人。「寧海軍」と呼ばれる軍を率い、民国期において馬家軍の勢力基盤を確立した人物である。回族。弟に馬麟、子に馬歩青、馬歩芳。 |
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袁世凱
袁世凱(えんせいがい、1859年9月16日(咸豊9年8月20日)-1916年6月6日)は中国清末民初期の軍人・政治家。大清帝国第2代内閣総理大臣、中華民国臨時大総統、... |
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馬歩青
馬歩青(ばほせい)は中華民国の軍人。回族。馬家軍の有力指導者である。字は子雲。馬麒の長男で、馬歩芳の兄。叔父は馬麟。 |
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蒋介石
蒋介石(しょうかいせき、、1887年10月31日-1975年4月5日)は中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統。孫文の後継者として北伐... |
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馬仲英
馬仲英(ばちゅうえい)は中華民国の軍人。馬麟の甥で、馬家軍の有力頭領である。旧名は歩英。字は子才。回族出身。 |
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馬歩芳
馬歩芳(ばほほう)は中華民国時代に青海地方を支配した回族の軍閥、馬家軍の長の一人。寧海軍を結成した馬麒の子。「青海王」と呼ばれた。 |
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白朗
白朗(はくろう)は中華民国時代の土匪。名は永丞。字は明心、朗斎。通名は白狼。 |
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馬麟
中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。梁山泊第六十七位の好漢。地明星の生まれ変わり。梁山泊入り以前は黄門山の第三頭領。渾名は鉄笛仙... |
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中華民國
『中華民國95年度國慶節祝賀会』のご案内 拝啓 盛夏の候、會員の皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 さて、いよいよ今年も10月10日、中華民... |
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閻錫山
閻錫山(えんしゃくざん)は中華民国の軍人、政治家。山西省を拠点に勢力を誇った軍閥(山西派()/())の頭領。日本に留学した知日派だった。字は伯川。号... |
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張之江
張之江(ちょうしこう)は中華民国、中華人民共和国の軍人・政治家。北京政府、国民軍の軍人。馮玉祥配下の「五虎将」(他は鹿鍾麟・宋哲元・鄭金声・劉郁芬... |
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陳光遠
陳光遠(ちんこうえん)は清末民初の軍人、政治家。北京政府、直隷派の有力軍人で、李純、王占元と共に「長江三督」と呼ばれた。字は秀峰。 |
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張作霖
張作霖(ちょうさくりん,ZhangZuolin)は中華民国初期の軍閥政治家で、北洋軍閥の流れを汲む奉天派の総帥。満州の統治者であり張学良・張学銘・張学思の父。... |
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董福祥
清朝末期の軍人・イスラム教徒。甘粛省固原(現在は寧夏回族自治区に属する)出身。字は星五。1862年(同治元年)に甘粛・陝西省発生した回民蜂起に父ととも... |
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左宗棠
清朝末期の著名な大臣。太平天国の乱の鎮圧に活躍し、洋務派官僚としても有名。中国では「清代最後の大黒柱」と非常に高い評価を受けている(文化大革命期に... |
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李宗仁
その3人の中でも李が最高指導者とみなされる。国共内戦期には中華民国副総統に当選し、内戦最終盤に短期間ながら代理総統も務めた。字は徳鄰。 |
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王明
王明(おうめい)は中華民国の政治家。一時期中国共産党の最高指導権を掌握したが、中華人民共和国成立後はモスクワに事実上亡命した。本名は陳紹禹(ちんし... |
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白崇禧
蒋介石とは反共・抗日などで一致していたものの、広西省などを地盤に蒋の権威に挑戦し続けた。字は健生。 |
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劉坤一
劉坤一(りゅうこんいつ、LiuKunyi、道光10年(1830年)-光緒28年9月26日(1902年10月27日)は清末の軍人・官僚。字は硯荘。曽国藩・左宗棠の死後、張之洞と... |
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王士珍
清末民初の軍人・政治家。段祺瑞・馮国璋とともに「北洋新軍三傑」と称された人物である。北京政府では国務総理も務めた。字は聘卿。号は冠喬、冠儒。 |
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プロフィール
- 馬福祥とは
- 清末民初の台頭
- 北方各派の間で
- 国民政府での活動
- 治績
馬福祥(ばふくしょう)は清末民初の軍人。馬家軍の有力頭領である。字は雲亭。回族出身。子に 馬鴻逵。
清末民初の台頭
| 農業・商業を兼業していた家庭に生まれる。 |
| 馬福祥は、幼い頃はモスクで学問を積んだ。 |
| 14歳の頃から武術の訓練を開始し、1897年(光緒23年)、武挙の郷試に及第する。 |
| 以後、軍歴を重ね、1906年(光緒32年)、西寧鎮総兵に昇進した。 |
| 1910年(宣統2年)、建威将軍位を授かり、西路巡防統領として蘭州に駐屯した。 |
| 辛亥革命勃発の際には、馬福祥は基本的に傍観の態度をとり、袁世凱が中華民国臨時大総統となると、これに服属した。 |
| 1912年(民国元年)5月、北京政府から寧夏鎮総兵に任命され、「昭武軍」と呼ばれる軍を率いた。 |
| 白朗討伐などで功績をあげ、寧夏の秩序を維持する。 |
北方各派の間で
| 1920年(民国9年)7月、安直戦争が勃発すると、安徽派の甘粛督軍張広建を駆逐する「甘人治甘」運動に与した。 |
| 張の失脚後、馬は甘粛督軍の地位を狙ったが、陸洪濤ら漢族軍人たちとの対立を引き起こしてしまう。 |
| 結局北京政府の調停により、蔡成勲が後任の甘粛督軍となった。 |
| 馬は代わりに綏遠都統に任命されているが、これに不満を抱き、さらに陸との対立も激化して、双方の衝突に至った。 |
| 最終的に、子の馬鴻逵が代理寧夏護軍使となることで馬福祥も妥協し、綏遠へ赴任した。 |
| その後、直隷派と奉天派の対立では、両面的な態度をとる。 |
| しかし、1924年(民国13年)9月の第2次奉直戦争では、当初直隷派に属し、馮玉祥率いる第3路軍に加わった。 |
| 馮による北京政変(首都革命)では、馮に追随して、直隷派を撃破している。 |
| 以後、馮率いる国民軍との協調姿勢をとったが、馬福祥は、次第に各種権限を剥奪されていった。 |
| 1925年(民国14年)に西北辺防会弁へ異動させられている。 |
国民政府での活動
| 国民政府による北伐が完了すると、馬福祥は蒋介石に接近し、中国国民党中央候補執行委員などの地位に就いた。 |
| 以後の馬福祥は、蒋に依拠し、馬鴻逵の軍事・政治権力の拡大に専念した。 |
| 馬福祥自身も1929年(民国18年)11月に青島市長に就いている。 |
| 1930年(民国19年)3月、安徽省政府主席に就任する。 |
| 同年10月には、蒙蔵委員会委員長に異動した。 |
| 1932年(民国21年)8月19日、北平にて死去。 |
治績
| 馬福祥は、軍人・政治家として活動する一方で、教育・文化事業にも貢献した。 |
| 回族のための小学などイスラム教系学校を各地に建設することに尽力している。 |
| 民国5年(1916年)には、寧夏に初の公共図書館を建設し、地方志の編纂や貴重古典籍の保護にも努めた。 |
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1916年
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寧夏に初の公共図書館を建設し、地方志の編纂... |
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馬福祥さんについてのひとこと紹介
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