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つながりの強いひと
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玄宗
唐の第6代皇帝(在位:712年-756年)。諱は隆基。治世の前半は開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因... |
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久松文雄
愛知県名古屋市出身の漫画家。血液型はB型。中学3年生の時に漫画家を目指して、『地球危し』でデビュー。高校を卒業すると上京し、手塚治虫のアシスタントと... |
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園田光慶
日本の漫画家。大阪府大阪市出身。貸本漫画時代の旧筆名は、ありかわ栄一。代表作に『あかつき戦闘隊』など。『三国志』はその独特の描写と世界観で。1997年... |
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黄巣(こうそう)は唐代の反乱指導者。唐に対し、反乱を起こし、事実上唐を滅亡させた。曹州・冤句県(山東省・河南省の境目)出身。黄巣は若い頃は官吏を目... |
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久保田千太郎
久保田 千太郎(クボタ センタロウ) 脚本家。岡山県出身。日本脚本家連盟、日本放送作家協会会員。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。三島由紀夫が主催する「... |
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陳舜臣
推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市... |
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李靖
中国唐代に太宗に仕えた軍人・政治家。李勣とともに初唐の名将として知られ、突厥征伐などで戦功を挙げた。字は薬師。衛公に封じられた。李靖と太宗の対話は... |
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張騫
張騫(ちょうけん、?-紀元前114年)は中国前漢代の政治家、外交官。字は子文。漢中郡(顔師古注によると成固)の出身。武帝の命により匈奴に対する同盟を説く... |
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封常清
コブスの中にあるコンテンツの単語とウィキペディアの中にある単語を結びつけるコンテンツです。リンクされたキーワードをクリックするとその意味を表示しま... |
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李白
中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
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史思明
唐中期の大規模な反乱であった安史の乱の指導者。突厥出身で、安禄山と同郷だったため親しい仲にあった。また、自身も6ヶ国語に通じた教養に通じる人物であっ... |
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李林甫
唐代玄宗朝の政治家であり、唐朝の宗室。貴族派の代表として、張九齢など科挙出身者の派閥との権力抗争に勝ち、その後も他の政治家たちを謀略の末に追い落と... |
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程千里
夫蒙霊詧に 高仙芝 を讒言していた。しかし、天宝7載( 748年 )、夫蒙霊詧の後任に高仙芝が任じられ、代わりに程千里の上司となった。高仙芝に、「お前は男... |
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高力士
中国唐代の宦官。唐の第6代皇帝玄宗の腹心として仕え、権勢を振るった。 |
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王仙芝
王仙芝(おうせんし、生年未詳-878年)は中国唐代の反乱指導者。濮州(現在の山東省甄城県の北)で生まれ、若いときから私塩の密売に関っていた。874年(乾符... |
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阿倍仲麻呂
奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。中務大輔・阿倍船守の子。弟に阿倍帯麻呂がいる。唐で科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果た... |
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蔡倫
中国後漢代の宦官。字は敬仲。製紙法を改良し、実用的な紙の製造普及に多大な貢献をした人物として知られている。 |
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劉邦
前漢の初代皇帝(在位:前202年2月28日-前195年6月1日)。沛県の亭長<REF>亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと</REF>であったが、反秦連合に参加... |
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韓信
中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。世界軍事史上の名将として... |
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安禄山
唐代の中国の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン(rwxšn/roxš(a)n明るい... |
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プロフィール
- 高仙芝とは
- 西域での奇功
- タラス河畔の戦い
- その最期
- エピソード
- 伝記資料
- 主人公とした小説
- 主人公とした漫画
- 参考文献
- 関連サイト
高仙芝(こうせんし、GaoXianzhi,?-天宝14載(755年))は、高句麗系の唐の軍人。西域で活躍し、 タラス河畔の戦いでアッバース朝のイスラム軍と交戦した。
西域での奇功
| 高句麗の出身で、父の名は舎鶏といった。 |
| 容貌が美しく、騎射に長け、勇敢で決断力があったが、父からは柔弱なところがある性質を心配されていたという。 |
| 父が河西軍に従軍して功績があったので、安西軍に入って、二十歳余で遊撃将軍を拝した。 |
| 安西節度使の田仁琬、蓋嘉運だったころには名は知られていなかったが、その後任の夫蒙霊詧に重用された。 |
| 開元29年(741年)、達奚部落が唐に反し、北上し、碎葉城に向かって移動していた。 |
| 都知兵馬使となっていた高仙芝は、夫蒙霊詧の命令で2千騎で討伐に赴き、追いつき、疲れを見せていた達奚部落を皆殺しにした。 |
| 同年に、安西副都護・四鎮都知兵馬使に任命された。 |
| 小勃律(ギルギット)国が唐に反して吐蕃(チベット)につき、付近20数カ国が吐蕃に与していたおり、田仁琬の頃から三回も討伐軍を出していたが、いずれも失敗に終わっていた。 |
| 天宝6載(747年)、高仙芝は配下の封常清・李嗣業・監軍の辺令誠ら歩騎一万を率いて討伐に出た。 |
| 歩兵も全て馬を持ち、安西(クチャ)を出発し、カシュガルを通り、パミール高原に入り、五識匿国(シュグナン地方)に着いた。 |
| その後、軍を三分して、趙崇玼と賈崇カンに別働隊を率いさせ、本隊は護密国を通って、後に合流することにした。 |
| 高仙芝たちはパミール高原を越え、合流に成功し、急流のパンジャ川の渡河にも成功する。 |
| この地で吐蕃軍が守る連雲堡(サルハッド?)を落とし、5千人を殺し、千人を捕らえた。 |
| ここで、進軍に同意しなかった辺令誠と3千人の兵を守備において、さらに行軍した。 |
| 峻険な20kmもほぼ垂直な状態が続くと伝えられるダルコット峠を下り、将軍・席元慶に千人をつけ、「大勃律へ行くために道を借りるだけだ」と呼ばわらせた。 |
| 自身の小勃律の本拠地・阿弩越城への到着後、吐蕃派の大臣を斬り、小勃律王を捕らえ、パンジャ河にかかった吐蕃へ通じる藤橋を切った。 |
| その後、小勃律王とその后である吐蕃王の娘を連れ、帰還する。 |
| 西域72国は唐に降伏し、その威が西アジアにまで及んだ。 |
タラス河畔の戦い
| 途上に都・長安に直接、判官・王庭芬を使わして戦勝報告を行った。 |
| そのため、無視された夫蒙霊詧の怒りを買ったが、辺令誠が玄宗に彼をかばう上奏をしたため、夫蒙霊詧は都に呼び返され、高仙芝が代わりに安西四鎮節度使に任命され、鴻臚卿、仮の御史中丞に任じられた。 |
| その後も、高仙芝が夫蒙霊詧に謹直な態度をとったために、夫蒙霊詧は恥じいったという。 |
| 副都護・程千里、衙将・畢思シンたちは夫蒙霊詧に高仙芝を讒言していたが、各々、一言ずつ侮辱しただけで「もう恨みはしない」と断言したため、軍は安んじたという。 |
| 天宝8載(749年)には左金吾衛大将軍の官位を加えられ、天宝9載(750年)にはトハラ(吐火羅)国からの要請に応じ、吐蕃と結んだといわれる朅師(チトワール?)国を攻め、王を捕らえ、別王を立てている。 |
| また、西トルキスタンのタシケント(石国)に、偽って和睦を結んで攻撃し王を捕らえ、その財宝を略奪した。 |
| 天宝10載(751年)長安に入朝した後、タシケント王を献上してから殺し、開府儀同三司を加えられた。 |
| タシケント王子が逃亡し、各地の王に唐の横暴を説いて回った。 |
| 当時、勃興したばかりのイスラム・アッバース朝の勢力が西トルキスタンに及び始めており、諸国の訴えを聞いたホラーサーン総督アブー・ムスリムがイスラム軍を派遣。 |
| 高仙芝は李嗣業、段秀実ら3万人を率いて、長躯してタラス城に着き、イスラム軍と対峙したが、カルルク部族が造反し挟撃され、大敗した。 |
| 高仙芝は李嗣業の意見に従い、退却した。 |
| (タラス河畔の戦い)高仙芝は長安に戻り、右羽林大将軍・密雲郡公に任じられた。 |
その最期
| 天宝14載(755年)安禄山が反乱を起こし安史の乱が勃発。 |
| 栄王・李琬(玄宗の皇子)が討伐軍の元帥に、高仙芝が副元帥に任じられた。 |
| 高仙芝は飛騎、彍騎などの軍に募兵を加えた、総勢数十万といわれる天武軍を率い、すでに討伐軍の将に任じられていた封常清に続くことになった。 |
| 陜郡まで来たところで、安禄山側に洛陽を奪われて敗走してきた封常清と会う。 |
| そこで、封常清の進言に従い、潼関まで退くことを決める。 |
| 太原倉を開いて全て兵士に渡し、残りを焼いて退却した。 |
| その時、安禄山軍に攻められて、唐軍は多くの兵が逃げて、踏みにじりあって死に、大量の武器、鎧、兵糧が放棄された。 |
| しかし、潼関への退却は成功し、安禄山軍は撤退した。 |
| しかし、再び監軍となっていた辺令誠が口出しするのを無視したため、封常清とともに、玄宗に対する讒言を受けてしまったと言われる。 |
| 玄宗は両名に対する処刑命令を辺令誠に下した。 |
| まず、封常清が処刑され、高仙芝も戻ってきたところを捕らえられた。 |
| 高仙芝は「退却したのが罪なら、死も辞さないが、資財、兵糧を盗んだというならば冤罪だ」と言い、配下に向かって「私に罪があるなら、うち明けるがよい。 |
| そうでなければ『枉』(冤罪)と叫べ」と呼びかけると、軍中からの「枉!」という叫びが大地を揺るがした。 |
| 封常清の死体に「君は私が抜擢し、私に代わって節度となった。 |
| 今度は君と同じ所で死ぬ。 |
| 天命なのだな!」と語り、処刑された。 |
| 将軍・李承光が代わりに指揮したが、新たに副元帥に任じられた哥舒翰は潼関の守備に失敗し、玄宗は長安を出奔する結果となった。 |
エピソード
| 高句麗は668年に唐に滅ぼされ、多くの高句麗人が唐に連行されている。 |
| 高仙芝は、姓が高句麗王と同じであり、高句麗王族の子孫という話もある。 |
| 兵士が険阻な地形で怯えないようにするため、先行した兵を小勃律国の降伏の使者に仕立て上げ、歓迎する旨を伝えさせ、偽って兵を喜ばせ安心させてから進軍させた。 |
| 阿弩越城を落とした時、勅命と偽って絹を渡し、小勃律人を呼び寄せて、大臣が来た時その全員を捕らえた。 |
| 杜甫の『高都護驄馬行』は彼の馬をうたったものである。 |
| 詩人の岑参も彼の配下であった時期がある。 |
| 貪欲で多くの私財をため込んでいたが、物惜しみせず人がほしがるものは気前よく与えていた。 |
| タラス河畔の戦いにより、杜佑の従子である杜環が捕虜となった。 |
| また、捕虜の中に製紙技術を持った者がおり、この時、西方に紙が伝来したと言われている。 |
| 探検家のオーレル・スタインは、パミールの実地を調査し、高仙芝の軍事行動を高く評価している。 |
伝記資料
| 『旧唐書』巻百四列伝第五十四「高仙芝伝」。 |
| 『新唐書』巻百三十五列伝第六十「高仙芝伝」。 |
| 『資治通鑑』。 |
主人公とした漫画
| 園田光慶「高仙芝」(「中国英傑伝1」収録、講談社漫画文庫、1997年)。 |
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