| 高倉の神学は、植村正久から連続するものである宇田進『福音主義キリスト教と福音派』いのちのことば社p.163。 |
| 彼は植村と同様に、聖書の無誤性を否定し、「我らは聖書のゆえにキリストを信ぜず、聖書においてキリストを見出せし故に聖書を信ずる」というマルチン・ケーラーに同意した。 |
| 「聖書は神に関して我らに教える書ではなく、活ける神そのものに直面せしめ、その実在にまのあたりふれしめる書である。 |
| 聖書において我らに迫り来る神は絶対他者としての活ける神、我らの罪をさばくことによって、これを赦したもう聖なる父である。 |
| 聖書は神に関する真理を観照せしめるよりも、むしろ活ける贖いの神そのものを罪ある我らに経験せしめるものである。 |
| 聖書において真に神を知るとは、罪ゆるされて、神との交わりに入ることにほかならない。 |
| かかる意味で聖書は神の言葉である。 |
| 「預言者や使徒をして神の言を語らしめし同じ御霊が、現在の我らを導きて、聖書に於いて神の言を確信せしめるのである。 |
| 生まれながらの人にとっては、聖書の言は単に人の言であって、とくに之を神の言と認めることは出来ない。 |
| 御霊の導とあつき祈祷のみ、人の手となりし聖書を、同時に神の書としてあがめしめるのである。 |
| 植村の教会主義に対しては高倉はより個人的な傾向を持っていた。 |
| 高倉は恩寵を神学的に明確にしたといわれ、「日本の神学史においては、一つの新しい到来」と評される桑田秀延『高倉神学とその特色』。 |
| 処女作『恩寵の王国』では、自我の問題と神の恩寵が語られている。 |
| 「顧みて私は自我に醒め、自我にさいなまれてここまでやって来た。 |
| 私は生来ほんとうに遅鈍で、意気地なしである、重い足を引きずってようやく恩寵の殿まで辿りついた。 |
| 私のようなものでも、否、私のような醜い弱いものだから、キリストは手をとって恩寵の殿に手引きして下さるのである。 |
| 」「まだまだ私は恩寵の王国の民とはなり切っていない。 |
| しかし衷心の願いは、主の恵みが私の魂の底まで染み通ることである。 |
| どうかもっともっと深刻な恩寵の体験をさずけられたいと祈ってやまぬ。 |
| 「この窮せる自我に活路を与え、新天地にこれを飛躍せしめるものは、恩寵をほかにしては断じてないと私は確信する。 |
| 高倉はカール・バルト以前のバルトといわれたピーター・フォーサイスの神学の感化を受けた。 |
| 富士屋の3階でフォーサイスの著書に沈潜し、福音主義の本質を彼によって力強く鮮明にされ、プロテスタント教会の意義と教会と神学との因縁の重大なる所以をつかむことを教えられた。 |
| 歴史的信仰によって立つ教会のあるところに、神学はあるのであり、フォーサイスは、『教会及び国家における神学』の序文に「神学なきところ教会なし」と云っている。 |
| 今の日本のキリスト教会においては弱弱しいセンティメンタリズム、浅薄なユーチリタリアニズムが横行して神学の真の意義が認められていない。 |
| 真の神学のないところに、実は力強い信仰もないのである。 |
| 高倉は教会の純粋性を求めようとし、戸山教会とともに高倉の信仰は進展した。 |
| 「要するに教会の問題は量にあるのでなく質にあるのである。 |
| 教会はいくら量において増していっても質において失敗であるなら、始めからやり直すべきものと信じる。 |
| 現代の祖国において神の求め給う教会は、分量においてでなく、信仰の素質において純なる教会であると思う。 |
| キリストとその十字架の贖罪的真理に立って内なる交わりがなされ、妥協無なき福音においてのみ伝道が励まるる教会に神の国は託されている。 |
| 汝らに御国を賜うことは汝らの父の御心なり」(ルカ12:32)、われらは小さき群れたるを懼るる必要はない。 |
| ただこの小さき群れのうちに主の福音がはたして徹底的に生かされているかどうかを御前に顧みておそれなければならない。 |
| 」(1930年9月28日信濃町教会献堂式)。 |
| 「自分の福音的信仰は、戸山教会とともに進展して行ったといってよい。 |
| 主の十字架の恩寵が究極の実在なることは、わかっていた。 |
| しかし十字架の恩恵に砕かれたるものが、必然に召命の生活に追いやられるとの真理は、戸山教会の教会生活の実践において初めて体験せしめられたものである。 |
| 神の言葉と聖霊との必然関係の認識も、キリスト教を良心宗教として、終末的な真剣さにおいて体験することも、戸山教会に奉仕することによって許されたのである。 |
| 彼はブルンナー、ゴーガルテン、アルトハウス、ハイムらの弁証法神学を福音的信仰と見なし、日本のエキュメニカル派の神学を大きく規定した。 |