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つながりの強いひと
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太鼓奏者
代表プロフィール
太鼓奏者
兒玉 文朋
Fumitomo Kodama
生年月日 1980年12月18日生
出身 東京都 和楽器集団「鳳雛」代表
幼年の頃より、クラシッ... |
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玉村武
<< 川崎町の建設会社会長宅銃撃を受け町長が近く決起大会を開く考え | TOP | 暴力団の名刺を見せ恐喝未遂容疑で逮捕された小梛輝信が市議選に出馬 >> 2011年0... |
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王将太鼓
大阪市浪速区の新世界で結成された日本最初のプロ和太鼓集団。1966年(昭和41年)2月22日、関西プロダクション株式会社(当時、和田四郎社長・会社は現存して... |
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高山正之
日本のジャーナリスト、コラムニスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。 |
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白井淳夫
日本有数のジャズ・サクソフォーン奏者。ビッグバンド「白井淳夫Swingin'Band」リーダー。福井県出身。大学時代に観た「グレン・ミラー物語」に感動してジャ... |
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浅野太
氏名 浅野 太 所属 産業技術総合研究所
情報技術研究部門
メディアインタラクショングループ
民間企業との共同研究の実績 産学に関わる競争的研究... |
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石山修武
石山修武(いしやまおさむ、1944年-)は岡山県出身の建築家。元東北大学非常勤講師。早稲田大学理工学部教授。日本建築学会賞、ヴェネツィア・ビエンナーレ金... |
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伊東豊雄
伊東豊雄(いとうとよお、1941年〈昭和16年〉6月1日-)は日本の建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。元東京大学、東北大学、多摩美術大学非常勤講師。高松宮... |
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和太鼓集団
平成15年10月に結成された中学生・小学生・幼稚園児を中心に活動している和太鼓集団です。 現在では、各イベントのオープニング演奏・各施設の慰問演奏など地... |
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越前龍天太鼓
一般的な宗家とは全く違い弟子や門下生を一切持たず、運営に掛かる費用は高山個人がほぼ捻出し、結成以来メンバーからの会費は受けていない。これは、「伝統... |
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日本の実業家、映画プロデューサー、プロ野球オーナー、馬主。昭和初期から後期(1930年代後半-1980年代前半)にかけて活動していた。大言壮語な語り口から「... |
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大分県大分市出身でセント・フォース所属のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ、タレント、女優。大分市立別保小学校、大分市立鶴崎中学校、大分県立... |
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鼓童
新潟県佐渡市小木の山中の鼓童村を拠点とする約80人のプロ和太鼓集団である。設立は1981年。 |
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プロフィール
- 高山正行とは
- 人物来歴
- 奏法
- プロからアマチュアへの転身
- 越前龍天太鼓宗家として
- 世界初となった和太鼓と金管楽器・洋楽のセッション
- 和太鼓指導法
- 最近の活動
- かつて籍を置いていた和太鼓集団
- エピソード
- 主なテレビ等出演歴
- 過去から現在に至る主な交流人物
高山正行(たかやままさゆき、1942年(昭和17年)-)は、日本最初(日本芸能界初)のプロ和 太鼓奏者。 越前龍天太鼓宗家。福井県出身。1965年(昭和40年)に大手芸能事務所にスカウトされ、1966年(昭和41年)に大阪市にて日本芸能界初のプロ 和太鼓集団「 王将太鼓」を結成し吉本興業舞台デビュー。一躍看板的な存在となり数々の主要舞台に立った。後年は活動の拠点を北陸地方に移し、和太鼓チームの結成や指導・育成などに数多く携わっている。「福井県太鼓協会」創立者(39歳当時)。2010年(平成22年)3月には和太鼓人生として満50周年を迎え ...
人物来歴
| 母親に背負われている頃から祭太鼓の音に対して異常なほどの反応を示し、幼少年期は祭太鼓はもとより町廻りの太鼓を一人遠方まで付いて回る有り様。 |
| 高校時代には既にあらゆる祭の野良打ち場で大人に混じって見よう見真似、独学で太鼓を打つようになった。 |
| この頃、北陸3県の祭催事を仕切っていた永井末作(「初っ切り太鼓」生みの親)に和太鼓の才能を見い出され、1960年(昭和35年)、高校卒業と同時に日本で初めて誕生した(1950年(昭和25年))舞台興行の和太鼓芸能集団「福井みどり会」『和太鼓・・その心、真髄・・・』2002年(平成14年)3月発表論文 著者:川筋義也(第2回東京国際和太鼓コンテスト・大太鼓部門-最優秀賞受賞者)に入会。 |
| 以降約5年間、永井の付き人を兼ねて北陸各地で様々な舞台経験を積んだ『関西新聞』1966年(昭和41年)5月11日付版。 |
| こうした最中、1965年(昭和40年)、大手芸能事務所「関西プロダクション株式会社」にスカウトされ、翌1966年(昭和41年)2月、大阪にて日本芸能界初のプロ和太鼓集団「王将太鼓」が結成され華々しく芸能界デビューを果たした『京都新聞』『関西新聞』『大阪新聞』『読売新聞』1966年(昭和41年)2月24日付版。 |
| 「王将太鼓」脱会後は和太鼓奏者を本業とせず、海外からの度重なる公演招待も全て断り、地元である北陸地方を中心として一定の領域にとどめた活動に終始している。 |
| 地域風土ごとの伝統や特色を重んじた和太鼓の発展を望んでおり、これが高山の一貫した思考となっているものと考えられる。 |
| 地域を越え画一化されつつある現代日本和太鼓界において特に異色の人物と評価できよう『福井新聞』2003年(平成15年)8月15日付版。 |
| 1979年(昭和54年)、「ふるさと福井80選」(主催:福井新聞社 後援:福井県など)の第16位に選定され『福井新聞』1979年(昭和54年)4月18日付版『福井新聞』1979年(昭和54年)4月25日付版、また、1984年(昭和59年)には、「ふるさと福井85選」(主催:福井新聞社 後援:福井県など)で「ふるさと文化賞」を受賞『福井新聞』1984年(昭和59年)8月18日付版『福井新聞』1984年(昭和59年)8月28日付版。 |
| なお、高山は自身のことを決して「和太鼓奏者」とは呼ばず「太鼓打ち」と称している。 |
奏法
| 福井県伝統の「三ツ打ち」をはじめ「一本打ち」「早打ち」「二ツ打ち」「さんぎり」など多様な「地打ち」はもとより、それら地打ちに合わせた「曲太鼓(曲打ち)」を自由に操る職人肌で、かつ即興ジャズ的である。 |
| また、昭和30年代後半には和太鼓に「歌舞伎や日本舞踊、大相撲、銭太鼓」の要素を積極的に取り入れるなど高山独特のスタイルを確立している。 |
| 特に、太鼓の撥(バチ)で見得を切る姿は高山が「歌舞伎」の仕草をヒントに生み出してから各地に広がったものである『関西新聞』1966年(昭和41年)5月11日付版。 |
| 更に、島根県の「銭太鼓」と群馬県(栃木県)の「八木節」をミックスして演じたのも高山が最初である(八木節銭太鼓)『関西新聞』1966年(昭和41年)5月11日付版。 |
| 音の余韻と間(ま)を最大限に活かした優雅で変幻自在・緩急自在な奏法は、往年の高山のほかに例を見ることは難しい。 |
| なお、昭和40年代後半~昭和50年代前半には既に舞台公演に際して、ブラックライトの活用により演出効果を高めたり、桶胴太鼓本体を機械で回転させながら、更には、長胴太鼓や桶胴太鼓を米俵に見立て、肩の上に担いで太鼓の両面から演奏するなど、当時としては極めて斬新なスタイルを発案し披露している。 |
プロからアマチュアへの転身
| 1966年(昭和41年)、日本芸能界初のプロ和太鼓奏者として吉本興業の舞台で一躍看板の座に就いた高山であったが『関西新聞』1966年(昭和41年)5月11日付版、自身が抱く和太鼓に対する思い入れの深さと興業主側のビジネス戦略が徐々に乖離し始めた事を機に、自らの意志をもって芸能界を去ることとなった。 |
| その後、高山は故郷の福井県に戻って和太鼓とは全く無関係の本業を柱としつつ、自分の理想とする和太鼓活動をアマチュアとして開始するに至った。 |
| なお、その後の舞台活動における構成、演出、照明技術などの知識は吉本興業時代に培ったものである。 |
越前龍天太鼓宗家として
| 「越前龍天太鼓」は1968年(昭和43年)5月、当時26歳の高山が個人で初めて立ち上げた和太鼓チーム。 |
| もともと芸能界初のプロ和太鼓奏者であったにも拘らず、あくまでもアマチュアに徹して一切のスポンサーを付けず、全て自ら太鼓道具一式を揃えて活動を開始した。 |
| 以降、和太鼓未経験者を含め多様なメンバーがチームに出入りすることとなり、その結果、県内外を問わず本格的な和太鼓奏者を輩出している。 |
| なお特筆すべきは、一般的な宗家とは全く違い弟子や門下生を一切持たず、運営に掛かる費用は高山個人がほぼ捻出し、結成以来メンバーからの会費は受けていない。 |
| これは、「伝統芸能をビジネス化せず」という高山の信念からである。 |
世界初となった和太鼓と金管楽器・洋楽のセッション
| 1973年(昭和48年)8月2日、「第20回福井まつり(現在の名称は福井フェニックスまつり)」(主催:福井市など)の名物的な催しである「75万人のための吹奏楽”夢のドリルショー”」(現在の名称は「100万人のためのマーチング)」において、福井県警察音楽隊との共演を披露している。 |
| これは、世界で最初に公式の場で公演された和太鼓と金管楽器・洋楽のセッションである。 |
| また、同年同月には「日本海博」(主催:石川県・富山県・福井県・金沢市・北國新聞社・富山新聞社)において、再び福井県警察音楽隊との共演を披露している。 |
和太鼓指導法
| ビジネスを目的とした指導にかかわることは一切ない。 |
| よって、有料の太鼓教室や太鼓道場などは持たない。 |
| 『多くの太鼓を使った揃い打ちに取り組むよりも、まずは個人打ちを徹底的に体得した方が、後々になって比較にならない程の大差が出る』という考えが高山の経験を根拠とした大原則である。 |
| よって個人打ちの指導が柱である。 |
| ただ、揃い打ち否定派ではなく、事情のある要請があれば揃い打ちの指導も独特の企画構成を加えて行なう。 |
| 全般的に見て、地打ちに最も比重を置いた指導となっている。 |
| 「地打ち次第で、打ち込みを生かすも殺すもできる」という高山の経験則からである。 |
| 打ち込みの指導においては、極力テンポの遅い打ち込みにこだわっている。 |
| 「テンポの遅い打ち込みを自然体で保つためには、十分な間(ま)の所作が必然的に求められる」という考えからである。 |
| これは、今までに高山が踏んできた無数の舞台経験から得た視点、つまり「間(ま)の所作次第で、打ち込む者の姿が観客に対して美しくも映り、逆に醜くくも映る」という経験則を根拠としている。 |
| 十分な間(ま)の所作を習得する方法として、高山自身の経験から銭太鼓の習得を挙げている。 |
| テンポの遅い打ち込みを体得できればスピーディーな打ち込み程度は自然と身に付くものだという。 |
| ゆえに、緩急自在な打ち込みが自然な形で出来るようになる。 |
| 初心者や若年層、セミプロはスピーディーな打ち込みを多分に求めたがる傾向にあるが、そうなると演奏に緩急が付けられず仕舞いで、単調かつうるさいだけの太鼓となってしまう。 |
| 高山が最も好まない打ち込みは、間(ま)に欠けた全力打ちである。 |
| このような打ち込みは初心者や若年層、そしてセミプロが最も陥りやすい大きなワナであり、これを初期の段階で身に付けてしまうと、以降、多様な種類の地打ちに合わせた自然な打ち込み、緩急・客観美・情緒を兼ね備えた打ち込みが身に付き難くなるという。 |
| その結果、年齢を重ね体力が減少していくうち、終いには和太鼓をぎこちない形でしか打てなくなってしまうという。 |
最近の活動
| 1993年(平成5年)、51歳の若さで「福井県太鼓協会」を自ら引退して以降は、無位無冠を旨として表舞台に立つことを極力避け、本業のかたわら、地元の学校や和太鼓チームの要請に応えてのみボランティアレベルで和太鼓の指導や構成・演出を行うに限定している。 |
| 2007年(平成19年)7月28日、福井県坂井市春江町で開催された「春江イッチョライでんすけ祭」『福井新聞』2007年(平成19年)7月29日付版で小学生達の和太鼓演奏をたまたま観覧していた際、1人の少年(山内嶺央・当時小学3年生)に稀代の才能を感じ取ったと和太鼓関係者に語っている。 |
| そして後日奇跡的な偶然が重なって、この少年と和太鼓指導の交流が始まるに至った。 |
| 以降、この少年は2008年(平成20年)9月23日、10歳にして福井県越前市で開催された「太鼓ふれあいフェスティバル“太鼓魂”」(主催:福井県太鼓連盟 後援:財団法人日本太鼓連盟・北陸三県太鼓協会・浅野太鼓楽器店)に「越前龍天太鼓」名義で出演。 |
| 更に翌年2009年(平成21年)5月10日には、齢わずか11にして石川県金沢市で催された「第20回石川の太鼓」(主催:社団法人石川県太鼓連盟・財団法人日本太鼓連盟石川県支部 共催:財団法人石川県芸術文化協会・北國新聞社)に招かれ福井県を代表し「越前龍天太鼓」名義で特別出演の演奏(約15分間)を披露している。 |
| その際、地打ちとして高山も陰ながら出演している。 |
| 2009年(平成21年)9月20日、福井県鯖江市で開催された「太鼓ふれあいフェスティバル”太鼓魂”」(主催:福井県太鼓連盟 後援:財団法人日本太鼓連盟・北陸三県太鼓協会・財団法人げんでんふれあい福井財団・浅野太鼓楽器店)において、「福井の太鼓名人饗宴」で個人打ちを約16年振りに披露。 |
| その際の地打ちは高山に2年間師事している小学5年生の山内嶺央が、篠笛は第2回東京国際和太鼓コンテスト最優秀賞受賞者である川筋義也が担当した。 |
| 2009年(平成21年)10月12日、福井県坂井市で開催された「御神鹿打込太鼓結成10周年記念演奏会(チャリティー共同募金)」に同チーム指導者の立場として個人打ちで賛助出演。 |
| また、同チームの揃い打ちの一部は青森県の「ねぶた太鼓」を高山が編曲し盛り込んだ演奏となった。 |
かつて籍を置いていた和太鼓集団
| 福井みどり会-1950年(昭和25年)、福井県福井市勝見地区にて日本で初めて誕生した舞台興行目的の和太鼓芸能集団。 |
| 現在の「曲太鼓」の起源となった集団。 |
| 現存はしていないが、発足時メンバーが現在も1名健在であり(斉藤茂雄)、白髭神社(福井市勝見)「七夜祭り(例年8月17日から21日の5日間開催)」の保存会々長を務めている。 |
| 加賀白山太鼓-1964年(昭和39年)、石川県加賀市において「三ツ打ち」「早打ち(4分6)」伝承系である「福井みどり会」の派生集団「白山太鼓(代表:永井末作)」として高山など6名によって結成。 |
| その後「二ツ打ち」伝承系である加賀の和太鼓奏者、高銃太郎や北本某など数人が入会し「加賀白山太鼓」と改名された。 |
| 2009年7月現在、「加賀白山太鼓吹雪会(代表:高銃太郎)」として今もなお存続している。 |
| なお、現在の通称「加賀太鼓」は「加賀白山太鼓」を源流としている。 |
| [参考]高銃太郎は「第2回日本太鼓シニアコンクール全国大会(2005年11月27日開催・主催:財団法人日本太鼓連盟)」の名人(最高位)受賞者であり、また、高山とは今なお親友の間柄である。 |
| 九頭龍太鼓(=湯の元太鼓)-福井県大野市の「奥越太鼓」のメンバーによって同県あわら市(芦原温泉)で結成された和太鼓集団。 |
| この模様はテレビ朝日の人気ワイドショー番組「アフタヌーンショー」の中で、番組メイン司会者である俳優の山田吾一と小鳩くるみが現地芦原温泉に赴いて全国に放映された。 |
| また、当日の見物客は約5,000人にも膨れ上がり『朝日新聞・福井版』1973年(昭和48年)10月7日付版、芦原温泉街は前代未聞の活況を呈した。 |
| [参考]2009年現在、芦原温泉にて活動している「九頭龍太鼓」とは無関係である。 |
| また、福井県坂井市の「九頭龍伝承太鼓」も無関係である。 |
エピソード
| 後にプロ和太鼓奏者・林英哲や創作和太鼓グループ「鼓童」を輩出した「鬼太鼓座」が佐渡で結成された1971年(昭和46年)当時、「鬼太鼓座」の創立者である田耕(でんたがやす)から和太鼓指導の要請を受けたが、その頃の高山は既に「和太鼓を本業とせず」のスタンスで独自の理想とする和太鼓活動をしていた為、これを固く辞退している。 |
| 東京都・深川富岡八幡葵太鼓(会長:滑川智大)の曲目には、高山に敬意を表して氏の名前を冠した「酒豪乱れ打ち・高山」がある。 |
| これは、高山の神業的バチさばきに魅せられた滑川智大が、その太鼓を広く周知させようと作られた曲であるNEVERGIVEUPチャリティーコンサート『蘇れ、美しき郷、中越!!』2005年(平成17年)1月30日開催(後援:新潟県、中野区、深川富岡八幡宮、世田谷区教育委員会)。 |
| 現在、福井市に太鼓道場を設けてプロとして活動している車屋正昭(響太鼓代表・車屋グループ代表・車竜代表・車屋正昭太鼓道場主宰)は、高山が結成した「越前龍天太鼓」に約6年間、準メンバーの一人として在籍していた。 |
| 和太鼓に関する日記や情報を「太鼓乃備忘録」と題して17歳当時(昭和34年9月1日)からほぼ毎日のように記述しており、2009年(平成21年)9月時点で188巻目に突入している。 |
主なテレビ等出演歴
| ズバリ!当てましょう (司会:泉大助、松本めぐみ・1969年9月25日フジテレビ第7スタジオ収録・フジテレビ系列全国放映)。 |
| アフタヌーンショー (司会:山田吾一・1973年10月5日テレビ朝日系列全国放映)。 |
| 競演福井の太鼓 (司会:松沢アナウンサー・1981年5月22日NHK北陸東海エリア全域放映)。 |
| 風雪を越えて (福井県企画のドキュメンタリー映画・1982年4月3日一般公開)。 |
過去から現在に至る主な交流人物
| 夢路いとし・喜味こいし (上方漫才界の重鎮)『農協共済記念大会』(主催:滋賀県共済農業協同組合連合会)1966年(昭和41年)6月20日興行プログラム。 |
| 秋田Aスケ・Bスケ (横山ノックの師匠)『なんば花月(現在の「NGKなんばグランド花月」)』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)。 |
| ヘレン杉本 (西川きよし夫人である西川ヘレン)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)・『奈良県演芸会』(主催:奈良県)1966年(昭和41年)10月8日、10月15日興行プログラム。 |
| 平参平 (吉本新喜劇の黄金時代を担った名看板座長)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)。 |
| 白木みのる (俳優・1960年代を代表するTVコメディー「てなもんや三度笠」珍念役など)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)。 |
| 岡八郎 (吉本新喜劇黄金時代の喜劇俳優・オール阪神・巨人の師匠)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)。 |
| 花紀京 (同上・横山エンタツの次男・間寛平の師匠)『京都花月』1966年(昭和41年)6月1日~6月10日興行プログラム(№145号)。 |
| 笑福亭仁鶴 (上方落語界の重鎮・吉本興業株式会社特別顧問)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)・『京都花月』1966年(昭和41年)6月1日~6月10日興行プログラム(№145号)・『奈良県演芸会』(主催:奈良県)1966年(昭和41年)10月8日、10月15日興行プログラム。 |
| ぴんからトリオ (後の「ぴんから兄弟」・シングル500万枚を売上げた「女のみち」が代表作)『なんば花月』1966年(昭和41年)5月1日~5月10日興行プログラム(№102号)・『京都花月』1966年(昭和41年)6月1日~6月10日興行プログラム(№145号)。 |
| ニューマリオネット (社団法人落語協会所属の操り人形グループ)『中村大劇』1966年(昭和41年)3月22日~3月31日開場記念興行プログラム。 |
| 西川きよし・横山やすし (伝説の漫才コンビ)『奈良県演芸会』(主催:奈良県)1966年(昭和41年)10月8日、10月15日興行プログラム ・・・「王将太鼓」の前座として司会をしていた。 |
| 楠年明 (俳優・人気刑事ドラマシリーズ「部長刑事」レギュラーなど)。 |
| 小口大八 (御諏訪太鼓宗家)。 |
| 白井淳夫 (日本有数のジャズ・サクソフォーン奏者)『福井新聞』1981年(昭和56年)3月21日付版。 |
| 中嶋如仙 (元「王将太鼓」のメンバーで高山にとって最高の相棒であった人物・世界的水墨画家である渡辺悟仙の一番弟子で『県民福井』2000年(平成12年)8月24日付版、現「福井県水墨画協会」顧問)。 |
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