| 2006-2007シーズン、NHK杯でほぼミスのない演技をして優勝し、フリーでは1年8ヶ月ぶりに4回転ジャンプも成功させた。 |
| 2季連続で進出したGPファイナルは、競技直前からの体調不良による腹痛や吐き気に耐えながら最後まで滑り切り、日本人男子として過去最高の2位となった。 |
| 3位には織田信成が入り、初めてグランプリファイナルの表彰台に複数の日本男子が上がることとなった。 |
| 全日本選手権では2位以下に大差をつけて全日本選手権2連覇を達成。 |
| 2007年冬季ユニバーシアードでも2連覇を果たした。 |
| 世界選手権では、ショートプログラム3位、フリースケーティング1位で、日本男子史上最高位となる銀メダルを獲得した従来の最高位は1977年の佐野稔、2002年・2003年の本田武史の銅メダル。 |
| また、織田信成が7位に入ったため、翌2008年世界選手権の日本男子代表枠は最大の3枠となった。 |
| 2007-2008シーズンは、SPの演技にフィギュアスケートでは珍しいヒップ・ホップを取り入れて臨んだ。 |
| シーズン前にはモロゾフとともに3ヶ月間ニューヨーク・マンハッタンのダンス学校に通ったという |
| GPシリーズ初戦のスケートアメリカで優勝。 |
| 2戦目のNHK杯では日本人男子として五十嵐文男以来26年ぶりのNHK杯連覇を達成し、3季連続のGPファイナル進出を出場ポイント1位通過で決めた。 |
| GPファイナルでは2位。 |
| 2007年12月の全日本選手権ではフリーで4回転ジャンプを2度成功させ、再び2位以下に大差をつけて3連覇を達成。 |
| 2008年四大陸選手権でもフリーで2度の4回転ジャンプを成功させ、SP、フリー、総合得点の全てにおいてパーソナルベストを更新して優勝。 |
| フリーと総合得点ではISU歴代最高記録をも更新した。 |
| 2008年世界選手権ではSPで3位につけたが、フリーではジャンプのミスを連発して総合4位に終わった。 |
| このとき高橋は「精神的に弱かった。 |
| まだ世界のレベルではなかった」と語っている後藤奈美「Ungiornoある日」『PASSION2009フィギュアスケート男子シングルフォトブック』双葉社、2009年2月、p.12。 |
| 2008年5月、ニコライ・モロゾフ・コーチとの契約を契約を解除した。 |
| 離別の理由について、高橋側は「モロゾフと関係は崩れていなかったが、モロゾフが織田信成のコーチに就任したため、ライバルの織田と同じコーチではできなかった」と語っている2008年5月7日日刊スポーツフィギュア高橋がモロゾフ氏との契約解除 |
| 一方、モロゾフ側は「昨シーズンから高橋エージェントとトラブルがあった。 |
| 高橋にコーチとエージェントのどちらを選ぶか尋ねたら、高橋はエージェントを選んだ」としている2008年5月25日ジャパンタイムスMorozovblamesagentforbreakupwithTakahashi |
| 2008-2009シーズン、2008年10月末の練習中に3回転アクセルで転倒し、右膝を負傷したため、出場を予定していたグランプリシリーズ中国杯を欠場NIKKEINET |
| その後の精密検査により右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷していることが分かり、シーズンの全大会の出場を断念して11月に手術をした |
| リハビリを経て2009年4月より氷上での練習を再開 |
| リハビリで体の可動域が広がったため、跳び方を調整する必要があった。 |
| もともとは体が硬くスピン全般を苦手としていたが、手術後のリハビリで柔軟性を高めたことで股関節の稼動域が広がり、様々なポジションを取れるようになった。 |
| 2009-2010シーズン、10月のフィンランディア杯優勝で自らの国際競技会復帰を飾った。 |
| スケートカナダでは表彰台に上り、2季ぶりにGPファイナルにも出場。 |
| 全日本選手権で4度目の優勝を果たし、バンクーバーオリンピックの代表に内定した。 |
| 2010年のバンクーバーオリンピックではSPで90点台をマーク、SP1位のエフゲニー・プルシェンコと0.6点の僅差で3位につけた。 |
| フリーでは冒頭の4回転トウループで転倒したものの、総合得点でステファン・ランビエールを0.51点の僅差で上回り、日本の男子シングルの選手としては史上初のオリンピックのメダルとなる銅メダルを獲得した |
| 世界選手権では、SP、フリーともに1位の完全優勝を果たし、日本人男子初の世界チャンピオンとなった。 |
| フリーの演技冒頭で挑んだ4回転フリップは回転不足、両足着氷の失敗に終わったが、すべてのスピン・ステップで最高評価のレベル4を獲得した |