| 同年9月1日昼、高橋岩太郎は、自宅の裏の鶏小屋で卵を取っていた。 |
| 同日午前11時58分44秒、関東地震が発生し、関東大震災に発展した。 |
| 東京府立第六中学校は半年間休校となった。 |
| 高橋岩太郎は、休校の間に、酒、煙草、博打を覚え、喧嘩に明け暮れるようになった。 |
| 大正14年(1925年)、高橋岩太郎は、喧嘩で相手を刺傷した。 |
| 高橋岩太郎は、東京府立第六中学校から放校処分を受けた。 |
| 高橋岩太郎は、実家を飛び出し、愚連隊に身を投じた。 |
| その後、高橋岩太郎は、警察から追われるようになり、新宿を離れて、不良仲間だった高円寺の藤井の家に転がり込んだ。 |
| 幸平一家の中野・新井の貸元・大草宇一の若衆が藤井の家に出入りしていた。 |
| 高橋岩太郎は、その大草宇一の若衆の紹介で、大草宇一と知り合った。 |
| 昭和4年(1929年)、高橋岩太郎は、背中に「野ざらし」(長襦袢の袖口から両手を出した足のない幽霊と「南無阿弥陀仏」の文字が入った絵)の図柄の刺青を入れ始めた。 |
| 昭和5年(1930年)5月、大草宇一は、大草の妾の住む沼袋の家に、何日も顔を見せなくなった。 |
| 高橋岩太郎は、大草宇一の妾から、大草宇一の捜索を依頼された。 |
| 高橋岩太郎は、東京市牛込区細工町にある鉄火場・牛込三助部屋を訪ねたが、大草宇一は見つからなかった。 |
| 牛込三助部屋で、高橋岩太郎は、「大草宇一が、賭場で、幸平一家の東京府豊多摩郡戸塚町(現:新宿区早稲田)の貸元・高山寅吉(後の幸平一家七代目)の代貸・石川三郎と金銭の貸し借りで揉め、石川三郎にビール瓶で殴られて、怪我を負った」ことを聞かされた。 |
| 同月、高橋岩太郎は、千住で床屋を営む大草宇一の実姉の家で、大草宇一を発見した。 |
| 高橋岩太郎は、大草宇一の頭に巻かれた包帯を見て、石川三郎を殺害することを決意した。 |
| 同月、高橋岩太郎は、あいくちを懐中に隠して、豊多摩郡戸塚町の石川三郎の賭場の前に張り込み、石川三郎の姿を待った。 |
| 高橋岩太郎は、石川三郎の顔を知らなかったため、表に「石川三郎様」と書いた偽封筒を用意していた。 |
| 同日午前2時ごろ、石川三郎の賭場があがった。 |
| 高橋岩太郎は、客が賭場から出て行った後、5、6人の集団が歩いて来るのを確認した。 |
| 高橋岩太郎は、その集団の前に進み、浅草の若い衆だと偽り、偽封筒を取り出して、「この封筒を石川三郎に直に渡して欲しいと頼まれた」と云った。 |
| 集団の真ん中にいた男が、「自分が石川三郎だ」と名乗った。 |
| 高橋岩太郎は、偽封筒を渡すふりをしながら、あいくちで石川三郎を刺した。 |
| 石川三郎が倒れると、高橋岩太郎は逃走した。 |
| 高橋岩太郎は、橋から小川に飛び込み、橋の下に身を隠した。 |
| 高橋岩太郎は、橋の下で追っ手をやり過ごした。 |
| それから、高橋岩太郎は、大きな屋敷の庭に忍び込み、庭の植え込みの陰に隠れて、夜明けを待った。 |
| 高橋岩太郎は、夜明けとともに、屋敷を出て、省線・高田馬場駅にたどり着いた。 |
| 高橋岩太郎は、線路伝いに、新宿2丁目に向かい、関東国粋会城西支部の事務所を訪ねた。 |
| 高橋岩太郎は、関東国粋会城西支部の小金井一家新宿二代目・平松兼三郎に面会した。 |
| 高橋岩太郎は、平松兼三郎に、「石川三郎襲撃は自分の一存で行ったことで、大草宇一に迷惑がかからないように取り計らって欲しい」と訴えた。 |
| 平松兼三郎は、関係者に電話をかけた。 |
| 二時間ほど後、平松兼三郎は、高橋岩太郎に、石川三郎が生きていることを伝えた。 |
| すぐに、石川三郎の若衆たちが、関東国粋会城西支部の事務所に押しかけてきて、高橋岩太郎を渡すように要求した。 |
| 平松兼三郎は、石川三郎の若衆の要求を拒否した。 |
| 平松兼三郎は、東京・洲崎の武部申策(生井一家五代目・井上吉五郎の舎弟)の若衆・沼田寅松に仲裁人を依頼した。 |
| 翌日、沼田寅松は、東京・椎名町の幸平一家六代目・足立勘助総長の自宅を訪ねて、足立勘助から一任を取り付けた。 |
| その後、高橋岩太郎は左手の小指を詰めた。 |
| 昭和6年(1931年)、高橋岩太郎は、賭場で同門の幸平一家の者を斬り、幸平一家から追放された。 |
| 高橋岩太郎は、再び高円寺の不良仲間・藤井の家に転がり込み、愚連隊に身を投じた。 |
| 同年、警視総監・丸山鶴吉は、初めて、大規模な暴力団摘発を実施した。 |
| 高橋岩太郎は、杉並警察署に逮捕され、市ヶ谷拘置所に移送された。 |
| 高橋岩太郎は、大陸浪人を自称する黒田と同房になった。 |
| 黒田は、高橋岩太郎に、12、13人分の汚物が入った桶を表に出させたりした。 |
| 高橋岩太郎は、29日間の拘留の末、黒田より早い釈放となった。 |
| それから、高橋岩太郎は、高円寺で通行人に絡んでいた黒田と出会った。 |
| 高橋岩太郎は、飛び出しナイフで、黒田の左頬と右頬を切り裂き、腹部を刺した。 |
| 高橋岩太郎は、杉並警察署に自首した。 |
| 黒田は、落合一家の大竹仙太郎落合一家渋谷大和田の貸元・山田重吉の養子で、山田重吉の娘婿。 |
| 後の落合一家五代目総長に説得されて、告訴しなかった当時、傷害罪は親告罪だった。 |
| 高橋岩太郎は、送検されず、20日間の拘留の末、釈放された。 |
| その後、高橋岩太郎は、新宿で、大竹仙太郎と会った。 |
| 大竹仙太郎は、高橋岩太郎が愚連隊にいることを知ると、高橋に落合一家に遊びに来るように誘った。 |
| 高橋岩太郎は、これを契機に、大竹仙太郎のもとで、博打打ちの修業に励むことになった。 |
| 当時、落合一家は、四代目・菅沼清兵衛(通称:喧嘩清兵衛)の時代だった落合一家は、初代が落合円次郎(通称:広尾の円次)、二代目が安藤兵太郎(落合円次郎の舎弟分)、三代目が松原富蔵(安藤兵太郎の子分)だった。 |
| このころ、高橋岩太郎は、目黒・駒場で開帳された常盆で、立ち番(警察の手入れを防ぐための見張り、及び、警察に踏み込まれたとき、賭場の客を逃がすための食い止め役)を務めた。 |
| 高橋岩太郎は、右手の小指を詰めて、大竹仙太郎に詫びを入れた。 |
| それから、高橋岩太郎は、目黒での賭場に、警察の手入れが入った際に捕まり、懲役6ヶ月の判決を受けて、服役した。 |
| 出所後、高橋岩太郎は、青山のノルウェイ公使館での賭博開帳図利罪で逮捕された。 |
| 高橋岩太郎は、巣鴨拘置所に拘留されて裁判を受け、懲役1年の判決を受けて、府中刑務所に服役した。 |
| 昭和11年(1936年)、高橋岩太郎は、3年間の部屋住み修業を終えた。 |
| 同年、大竹仙太郎の若衆・宮本が、目黒・駒場の大竹仙太郎の賭場に、酔っ払ってやって来た。 |
| 翌日の夜明け、高橋岩太郎は、大竹仙太郎の若衆・水岡辰也(高橋岩太郎の愚連隊時代の舎弟)と大竹仙太郎の若衆・堀川義生(高橋岩太郎の舎弟格)とともに、5人の見届け役を引き連れて、目黒・駒場の宮本の自宅を襲撃した。 |
| 昭和12年(1937年)、高橋岩太郎は、大竹仙太郎から、自分の事務所を持つことを許された。 |
| 賭場に出入りしていた替え銭屋(賭場で貸元の許可を得て、両替や金貸しの商売をする者)の婆さんが、大竹仙太郎の賭場の上客を引っ張って、内会(土地の貸元に内緒で打つ博打)の博打を開帳した。 |
| その後、高橋岩太郎は、湯河原の博打専門旅館「曙」で、磧上義光後の住吉一家四代目総長。 |
| 高橋岩太郎と磧上義光は、湯河原や熱海、箱根の賭場で、博徒らに対する恐喝を繰り返し、博徒らから金銭を奪った。 |
| 昭和13年(1938年)、高橋岩太郎と磧上義光の恐喝が、湯河原に遊びに来ていた上萬一家貸元・磧上義朝(磧上義光の兄。 |
| 昭和19年(1944年)、高橋岩太郎は、召集令状を受け、教育召集として、東京・赤羽の工兵隊に入営した。 |
| 昭和20年(1945年)、関東国粋会は、「武蔵挺身隊」を設立し、東部軍に協力した。 |