| 長編アニメ映画「やぶにらみの暴君」(「王の鳥」の原型)に感銘を受けて、アニメ業界入りを決意。 |
| 大学卒業後に東映動画に入社。 |
| 「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になり、テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビュー。 |
| その仕事ぶりを認められ、長編アニメ「太陽の王子ホルスの大冒険」の演出(≒監督)に抜擢される。 |
| 『ホルス』は興行的には惨敗するが、高い評価を得た。 |
| その後、宮崎駿らと共にAプロダクションに移籍、ルパン三世・第一シリーズ後半パートの演出を宮崎と共に担当し後のルパンシリーズの原型を作り上げた。 |
| また、映画「パンダ・コパンダ」「パンダ・コパンダ/雨降りサーカス」の監督を務めた。 |
| この作品は脚本の宮崎駿のアイデアが存分に盛り込まれ「となりのトトロ」のルーツとされる。 |
| ズイヨー映像(のちに日本アニメーションに改組)に移籍「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」の演出を担当、海外ロケハンや徹底的に調べ上げた資料を元に生活芝居を中心としたリアリズムあふれるアニメを構築し評価を高めた。 |
| 場面設計だった宮崎駿、絵コンテを担当していた富野由悠季に与えた影響は大きい。 |
| 「未来少年コナン」では初監督で苦しむ宮崎駿を演出としてアシストした。 |
| のちにテレコム・アニメーションフィルムへ移籍。 |
| ここで大きな転機が訪れる。 |
| 1980年、当時一部で非常に人気を集めていた漫画『じゃりン子チエ』の映画化の企画が持ち込まれた。 |
| 高畑は当初、この企画が『吉本興業』の肝いりで、声優に吉本の芸人を使わなければならないこと、公開予定が決まっており制作期間が短いこと、原作の漫画を読んだが、今一つ面白さが理解できなかったことなどがあり、当初は難色を示していた。 |
| しかし研究熱心な高畑は、いつものように原作の舞台である大阪の下町に出かけていき、そこでこの原作で描かれている内容が非常にリアルで緻密に描かれていることに感じ入り、そこで始めて原作の面白さを理解し、監督を引き受ける。 |
| 1981年に公開された映画は、非常に制約の多い中で制作されたにもかかわらず、完成度は高く興行的にも成功した。 |
| その後、映画の好評を受けてTV版が制作されることになり、再び高畑の元へと依頼が来る。 |
| この時、高畑は引き受ける条件として、映画版で主役・竹本チエを務めた中山千夏、準主役・竹本テツを務めた西川のりおを起用すること、それ以外の声優に関しても、ナチュラルな大阪弁が話せる声優を起用すること、というかなり厳しい条件を出したが、制作側がその条件を呑み、チーフプロデューサーを務めることとなった。 |
| この『じゃりン子チエ』における西川のりおの怪演は、アニメ界における一つの伝説と言える。 |
| 台本を無視してアドリブを連発し、スタッフや共演者が笑ってしまい、NGになることは日常茶飯事で、アドリブが行きすぎ、アニメの画面とシンクロしなくなるということもしばしばあった。 |
| 実際、アドリブがあまりにも面白かったため、作画をそれに合わせて作り直すと言うことまであった。 |
| 声優経験がなかった西川のりおの演技に高畑は感じ入り、本作以降の作品では声優の経験のない人間を積極的に作品に起用するようになった。 |
| また、その影響は宮崎駿の作品にまで及ぶこととなる。 |
| 高畑自身、この作品を非常に気に入っており、別名を使ってコンテを切ったり演出をしている。 |
| その時に使っていた別名は、本作で西川のりおが演じた竹本テツをもじった「武元哲」であり、本作への思い入れの強さを伺わせる。 |
| その後、宮崎が監督する『風の谷のナウシカ』に参加しプロデューサーを務める。 |
| この『風の谷のナウシカ』は成功を収めたことから、宮崎はこの映画で得た資金を有意義に使いたいと考え、今度は高畑が監督する映画を製作しようと提案した鈴木敏夫「宮崎駿のスタジオジブリは『毎日が綱わたり』」『文藝春秋』88巻11号、文藝春秋、2010年9月1日、272頁。 |
| しかし、高畑があまりにも巨額な製作費を費やしたため、宮崎が用意した資金を全て使い果たした挙句、宮崎の自宅を抵当に入れざるを得ない事態となった。 |
| 困惑した宮崎は徳間書店の鈴木敏夫に相談し、『柳川堀割物語』の製作費を回収するには、新作アニメーション映画を製作しその収入で賄うしかないとの結論に至る。 |
| その後、宮崎と鈴木は新作映画『天空の城ラピュタ』の製作を目指し奔走することになる。 |