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プロフィール
- 高石真五郎とは
- 経歴
- IOC委員
- スポーツ振興
- 参考文献
高石真五郎(たかいししんごろう、9月22日-2月25日)は、日本のジャーナリスト、実業家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。毎日新聞社最高顧問。特殊法人日本自転車振興会第2代会長。
経歴
| 千葉県鶴舞町(現在の市原市)で高石四郎治の五男として生まれた。 |
| に慶應義塾大学法学部を卒業すると共に、紹介により小松原英太郎の秘書となるが、7月に小松原が当時社長を務めていた大阪毎日新聞社に外国通信部員として入社する。 |
IOC委員
| 1940年の東京五輪・札幌五輪を控えたのヘルシンキオリンピックからとなる。 |
| この頃1960年の東京オリンピック招致を目指していたJOCは高石にも協力を依頼するが、海外特派員としての経験から外国人との交流や折衝に長けていた高石の存在は、次第にJOCにとっても欠かせないものとなる。 |
| しかしのIOC東京総会では、高石は病の床から抜け出し会場内に医師を待機させた上で「東京での開催を見るまで死ねない」とアピールする。 |
| これに対し「ならば高石を死なさないため東京開催に反対する」というユーモア発言も生まれたが、のミュンヘン総会投票で1964年の東京オリンピック開催が正式に決定した。 |
| 開催決定後は地元のIOC委員として多くの会議や他の委員への応対に当たり、開催時は柔道などの表彰式でメダル授与役などを行っていたが、特に男子マラソン競技では、当時のアベリー・ブランデージIOC会長の秘書役の機転で会長に代わりメダル授与役を務め、円谷幸吉に銅メダルを掛けた出典:2006年2月22日朝日新聞朝刊。 |
| 次いで高石は札幌オリンピックの招致にも力を注ぐことになるが、開催地投票が行われる4月のIOCローマ総会への参加は病身のため断念する。 |
| しかし高石は病床から他のIOC委員全員に対し札幌開催への協力を依頼する書状を送付し、さらに招致を訴える自身のコメントをテープに録音してそれを総会で流すよう依頼する。 |
| そしてローマの総会で高石のコメントが流されると委員から大きな反響を呼び、その様子を見たブランデージ会長が発した「高石への見舞いに札幌開催を」という言葉が札幌開催決定に大きく影響することになった。 |
| 出典:日本オリンピックアカデミー編『オリンピック事典』1981年出典:『高石さん』における東龍太郎『高石さんとオリンピック』より。 |
スポーツ振興
| 高石はIOC委員としての活動と共に日本国内のスポーツ振興にも力を入れ、日本ビリヤード協会などの会長も務めた。 |
| また日本アマチュア自転車競技連盟(当時)の会長を当時の北沢清理事長からの依頼で務めていたことから、通産省(当時)関係者からも依頼を受けてより競輪を統括する日本自転車振興会の会長を6年間務め、当時相次ぐ事件で窮地に立たされていた競輪の存続に尽力した。 |
| ただし当時はスポーツのプロ・アマ分離が厳しかったことから、日本自転車振興会の会長就任にあたってはIOCに対し職務の説明を行ないIOC委員としての活動を継続させていた。 |
| 自身も慶應義塾の予科で短艇部、大学部で野球部に所属しており、野球部のチームメイトには平沼亮三や堀切善兵衛などがいた。 |
| また40代の後半からは日本における有数のゴルフ愛好家としても名を馳せるようになり、ゴルフで築き上げた人脈は数知れず、時には仕事を蹴ってゴルフを優先させたほどである。 |
| そして87歳までエージシュートを目指して18ホールをプレーし、各地のカントリークラブに経営者として名を連ねていた。 |
参考文献
| 『高石さん』高石真五郎伝記刊行会(毎日新聞社内)1969年。 |
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