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つながりの強いひと
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桓武天皇
先祖
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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百済
先祖 カヴァー
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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光仁天皇
第49代天皇(在位:宝亀元年10月1日(770年10月23日)-天応元年4月3日(781年4月30日))。 |
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武寧王
百済の第25代の王(在位:502年-523年)。『三国史記』百済本紀・武寧王紀によれば先代の牟大王(東城王)の第2子であり、諱を斯摩、分注では隆とする。『梁... |
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百済王
百済王氏と古代日本 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 大坪 秀敏著 税込価格: (本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 60 ... |
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早良親王
奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。生母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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平城天皇
平城天皇(へいぜいてんのう、へいじょうてんのう、宝亀5年8月15日(774年9月25日)-弘仁15年7月7日(824年8月5日))は第51代天皇(在位:延暦25年3月17日(... |
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井上内親王
井上内親王(いのえないしんのう/いがみないしんのう、養老元年(717年)-宝亀6年4月27日(775年5月30日))は第45代聖武天皇の第1皇女。母は夫人県犬養広刀... |
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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山部王
日本の飛鳥時代の皇族である。系譜は明らかでないが、舒明天皇の皇子である蚊屋皇子の子とし、子に三島垂水(垂水王)がいたとする系図がある。672年の壬申の... |
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在原業平
平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。三品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。また『伊勢物語』の主... |
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藤原旅子
藤原旅子 【ふじわらのたびこ】 2件の用語解説(藤原旅子で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:天平宝字3(759) 没年:延暦7.... |
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他戸親王
奈良時代末期の皇族・皇太子。父は光仁天皇(当時は白壁王)、母は井上内親王。聖武天皇の外孫にあたる。<SMALL>『水鏡』の年齢記事によれば「宝亀三(772年... |
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藤原種継
奈良時代末期の公卿。藤原式家の祖、参議・宇合の孫。無位・藤原清成の長男。官位は正三位・中納言、贈正一位・太政大臣。 |
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藤原乙牟漏
奈良時代末期の皇妃。第50代桓武天皇の皇后、第51代平城天皇・第52代嵯峨天皇の生母となった。父は藤原式家の藤原良継、母は尚侍兼尚蔵(就任時期不明)阿倍... |
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天武天皇
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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嵯峨天皇
日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月8日)-弘仁14年4月16日(823年5月29日))。諱は神野(かみの)。 |
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伊都内親王
伊都内親王 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
BIGLOBE百科事典に関するご利用上の注意 伊都内親王 (いずないしんのう、生年不詳 - 貞... |
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今上天皇
第2話「Audience」 日本帝國 帝都東京''''皇居''「 今上天皇 陛下にあらせられる」 侍従武官の東條英機大佐の紹介の元、御簾越しではあるものの、天皇の姿を... |
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プロフィール
- 高野新笠とは
- 略伝
- 新笠出自と子孫
- 住宅地
- 平野神社と久度神社
- 八幡信仰
- 関連サイト
高野新笠(たかののにいがさ、生年不詳720年頃生-延暦8年12月28日(790年1月21日))は 桓武天皇の生母。 光仁天皇の側妾、後に大夫人。百済から大和朝廷へと献上された人質であった 武寧王の10世孫とされる。出身一族は6代前に帰化をし、和姓を下賜されている。高野朝臣(たかののあそみ)という氏姓は、新笠が 光仁天皇の側妾となった際に下賜されたもの。
略伝
| 新笠は和乙継(やまとのおとつぐ)の娘で、母は土師宿禰(のち大枝朝臣と改姓)真妹である。 |
| 天智天皇の孫にあたる白壁王後の光仁天皇。 |
| 生没年:709年-782年)の側妾となり、733年に能登女王、737年に山部王(後の桓武天皇)、その後早良王を生んだ。 |
| だが白壁王は、744年に聖武天皇皇女・井上内親王を妃に立てる。 |
| その後、770年には天皇に擁立され、62歳にして光仁天皇(在位:770年-781年)となった。 |
| 光仁天皇の皇后に井上内親王、皇太子にはその子の他戸親王が立てられたのは、井上の出自の高さから見て当然であった。 |
| 身分の低い新笠の生んだ皇子たちには、後継の芽はないかに見えた。 |
| しかし、772年に井上皇后は呪詛による大逆を図ったとして突如皇后を廃され、皇后が生んだ他戸親王も皇太子を廃されて、都から追放された。 |
| その二年後に、井上内親王と他戸親王は幽閉先で相次いで死去した一説には自殺したとも、藤原一族の手によって毒殺されたとも言われる。 |
| これらの事件の結果、新笠自身が皇后に立てられることはなかったが、新笠が生んだ山部親王が立太子し、のちに光仁天皇の跡を継いで桓武天皇(在位:781年-806年)となる。 |
| 桓武即位に際しては、桓武実弟の早良親王も立太子された。 |
| しかし早良親王は、785年に藤原種継事件に連座して淡路へ流されることになり、自ら命を絶った。 |
| 天皇家周辺に陰謀と暗殺が渦巻いた時代であった。 |
| 新笠は桓武天皇即位後は皇太夫人と称せられ、790年に死去すると皇太后、また806年には太皇太后を追贈された。 |
| 墓は京都市西京区に高野新笠大枝陵(宮内庁管理)。 |
新笠出自と子孫
| 父の和乙継は百済系渡来人の子孫で、姓(かばね)は和史(やまとのふびと)と推定されているが、詳細は不明。 |
| 夫の白壁王(光仁天皇)即位後に高野朝臣と改姓した。 |
| 続日本紀延暦8年12月28日条に。 |
| 「皇太后姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女(むすめ)なり。 |
| 母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。 |
| 后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。 |
| 、、、、皇太后曰く、其れ百済の遠祖都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり、皇太后は即ち其の後なり。 |
| 」とあって、和氏が武寧王から出た百済王族であることを明らかにしている。 |
| 日本書紀によれば継体天皇7年(西暦513年)百済太子淳陀死去とあり、純陁と淳陀が同一人物ではないかと考える学者も存在する。 |
| ただし、朝鮮側の資料には武寧王の子として純陁、もしくは淳陀に比定できる人物が存在していない。 |
| このことをもって高野新笠の由来を懐疑的に見る説もある。 |
| なお、天平宝字元年(757年)に「大倭国」が「大和」に改められた際、「大倭宿禰」などの字(あざな)もすべて「大和」に改められており、和氏ももとは倭氏と名乗っていた可能性が高い。 |
| 和乙継の牧野墓は奈良県広陵町にあるバクヤ塚が推定されているが、これは馬見古墳群に属する「古墳」であって築造年代が異なる。 |
| 高野近傍には土師氏の根拠地である菅原伏見、また秋篠がある。 |
| ここには菅原寺、秋篠寺などが営まれ、また長岡京が大枝におかれたことからみても、母方の土師(大枝)氏一族は貴族として以後重んじられていった。 |
| 一方、高野朝臣と改姓した父方和氏一族のその後は、ほとんど知られていない。 |
| しかしながら桓武天皇の子孫は現天皇家や皇族に繋がっているだけでなく、臣籍降下して源氏や平家の武家統領などになった子孫も多く、高野新笠自身の血筋は繁栄している。 |
| 高野新笠の出自が百済王族に繋がるという事で、今上天皇の「韓国とのゆかり」発言にも繋がった。 |
住宅地
| 「高野」の字(あざな)は、こんにちの奈良市高の原に比定される。 |
| 神功陵古墳の裏手にあたり、現在では新興住宅地であるが、『万葉集』では鹿の音もわびしい山野と詠まれ、孝謙・称徳天皇の陵がおかれたばかりであって、その当時は本貫地・居住地としての賑やかさの実体はまったく窺えない。 |
平野神社と久度神社
| 現・京都市北区平野宮本町に鎮座する延喜式名神大社平野神社は高野新笠と縁の深い神社である。 |
| 平野神社の祭神は今木神、久度神、古開神、比咩神の四座で、平安京遷都によって京都に遷座した。 |
| 今木神の今木は今来のことで、渡来人を意味する。 |
| 平城京時代に田村後宮にあった今木大神は高野新笠と山部親王が祭祀していたことが判明している。 |
| また久度神は竃神とされ、この神を祭るのは現・奈良県北葛城郡王寺町の延喜式内社・久度神社だけであり、その近くには和乙継の墓もあることから、百済系渡来人和氏が祭祀していた神とされる。 |
| とすれば和氏の本拠地はもともとこのあたりと推定される。 |
| 平野神社の久度神は平城京の内膳司に祭られていたというから、王寺町の久度神社から平城宮に移り、さらに平野神社に移ったと考えられている。 |
八幡信仰
| 奈良時代、新羅との関係が緊張すると、宇佐から八幡神が上京し、和気清麻呂の託宣でも知られるように、にわかにその信仰が高まった。 |
| 八幡神は神功皇后、応神天皇を祭ったものとされ、三韓平定の説話をともなうことから朝敵や「異境の毒気」とされた渡来の悪疫を払うものと考えられた。 |
| 神功皇后は母方に「渡来系氏族」の血を引く。 |
| それゆえに朝鮮半島を平定する権利があったと信じられていたならば、この時代に育った桓武天皇らが、新羅調伏のためにあいまいな母方の血筋を強調したのはきわめて当然のことであったといえよう。 |
| 孝謙・称徳天皇の時代、白壁王は暗殺を恐れ、大納言を致仕し郊外の田邑邸で酒色にふける「陽狂」の日々を送っていた。 |
| 当時は采女といって身分の低い女性が高貴な者に奉仕することがふつうだったので、采女である新笠がたまたま白壁王の目に止まり、枕席に侍り情を受けたというのが真相ではあるまいか。 |
| 帰化人の血筋の有用性を強調したのは、井上皇后一派を失脚・排斥したイメージを払拭するため、桓武擁立派の企てと見るのが自然だろう。 |
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