| 柔道をバックボーンにリングスに入団。 |
| 1994年8月20日、鶴巻伸洋戦でデビュー。 |
| 1995年10月13日、トーナメント・オブ・J'95に出場し、優勝を果たした。 |
| 1996年1月24日、リングスでモーリス・スミスにギブアップ勝ち。 |
| 1997年10月11日、アメリカ合衆国アイオワ州で開催された「TheContenders」(組み技限定の格闘技イベント)でトム・エリクソンに判定負け。 |
| 1998年にはアメリカに拠点を移し、モーリス・スミスらとトレーニングを行う。 |
| 同年3月13日、UFC16でキモに判定勝ち。 |
| 同年10月16日、UFCBrazilでピート・ウィリアムスに判定勝ち。 |
| 1999年1月9日、UFC18で元パンクラスのバス・ルッテンとUFCヘビー級王者決定戦で対戦。 |
| TKO負けしたものの「世界のTK」の名を世界の格闘技ファンに轟かせた。 |
| その後、リングスでギルバート・アイブルに2回に及ぶ敗退、11月のUFC-Jではペドロ・ヒーゾにKO負けと精彩を欠く。 |
| 2000年7月15日、アメリカユタ州で開催されたリングスUSARISING-STARSABlockを勝ち抜き、決勝大会への切符を手に入れたが、9月30日の決勝大会は欠場した。 |
| 2000年12月22日、KINGOFKINGS2000の1回戦でイリューヒン・ミーシャにKO勝ち。 |
| 2回戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。 |
| 高阪が放ったフックでカット・出血によりドクターストップ勝ち。 |
| ただし、ヒョードルは反則の肘打ちでのカットだと強く主張。 |
| {{要出典範囲|高阪自身ものちに「アクシデントだった」と発言している。 |
| 2001年2月24日、KINGOFKINGS2000決勝トーナメントの準々決勝では当時UFCヘビー級王者だったランディ・クートゥアと対戦し、判定負け。 |
| 敗れはしたものの高い評価を得た。 |
| リングス解散後はUFC、アブダビコンバット、DEEP、新日本プロレス(アルティメット・クラッシュ)などで活躍。 |
| リコ・ロドリゲス、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、ファブリシオ・ヴェウドゥムなどの世界の強豪とも対戦をしている。 |
| 2003年5月2日、新日本プロレスのリングでドルゴルスレン・スミヤバザル(朝青龍の実兄)にTKO勝ち。 |
| 2004年2月4日、U-STYLE1周年興行で田村潔司と対戦し、15分51秒腕ひしぎ十字固めで一本負け |
| 2004年11月7日、パンクラスでロン・ウォーターマンと対戦し、判定勝ち。 |
| 初代スーパーヘビー級キング・オブ・パンクラシストとなった。 |
| 2005年4月3日にはPRIDEに参戦。 |
| ヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと再戦するが、TKO負けを喫した。 |
| 新日本プロレスでは総合格闘技ルールの試合だけではなくプロレスも経験しており、2002年10月14日に新日本プロレス初参戦。 |
| NWFトーナメント1回戦で安田忠夫に勝利するも |
| 2005年3月26日の永田裕志戦では胴締めスリーパーで勝利するも、「試合に勝って勝負に負けた」と納得のいかない高阪が再戦を要求(高阪はこの試合で膝を壊され、PRIDEでのヒョードル戦に影響が出てしまった) |
| 5月14日の再戦では、永田にバックドロップホールドを決められ、リベンジを許してしまう |
| 2006年2月26日、PRIDE.31でマリオ・スペーヒーに右フックでKO勝ち。 |
| 試合後のリング上で、同年5月開催の無差別級トーナメントを最後に引退することを宣言。 |
| この日は自身の子供の出産予定日でもあった |
| 2006年5月5日、PRIDE無差別級グランプリ2006開幕戦では、マーク・ハントと真っ向から殴り合った末にTKO負けを喫したが、ハントのパンチでフラフラになりながらも前に出続けた。 |
| 敗北したことでこの試合が現役最後の試合となった。 |
| 試合後に控え室を訪れたジョシュ・バーネットが、高阪の引退を想い号泣した。 |
| 指導者としても名高く、モーリス・スミス、フランク・シャムロック、吉田秀彦(学生柔道時代からの友人)などを指導した。 |
| また、実況席における明晰な解説ぶりも高い評価を受けている。 |