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つながりの強いひと
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藤原道隆
平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤原兼家の長男。官位は従一位・摂政関白内大臣。中関白(なかのかんぱく)と称する。花山天皇退位事件で... |
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藤原伊周
藤原伊周(ふじわらのこれちか、天延2年(974年)-寛弘7年1月28日(1010年2月14日))は平安中期の貴族。藤原北家、摂政関白内大臣藤原道隆の嫡男(三男)。... |
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高階成忠
平安時代中期の公卿。姓は真人のち朝臣。宮内卿・高階良臣の子。官位は従二位・式部大輔。高二位と称す。 |
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一条天皇
平安時代中期の第66代天皇(在位:寛和2年6月23日(986年7月31日)-寛弘8年6月13日(1011年7月16日))。諱は懐仁(やすひと)。 |
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枕草子
平安時代中期に中宮定子に仕えた女房清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕... |
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藤原定子
平安時代、第66代一条天皇の皇后(号は中宮、のち皇后宮)。脩子内親王・敦康親王・媄子内親王の生母。通称は「一条院皇后宮」。『枕草子』の作者清少納言が... |
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中宮定子
瞬時に定子の謎を解き、言葉ではなく自らの行動でもって応えて見せたのである。 清少納言が中宮定子に仕え始めたのは28歳の時、その時定子は17歳であったとい... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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藤原隆家
平安時代の公卿。一条天皇の摂関を務めた藤原道隆の四男(高階貴子を母とする兄弟では次男)。極官は正二位中納言。幼名は阿古(あこ)。 |
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赤染衛門
平安時代の女房・女流歌人。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。大隅守・赤染時用の娘。歌集は『赤染衛門集』。『栄花物語』の作者とも目される。 |
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三条天皇
三条天皇(さんじょうてんのう、天延4年1月3日(976年2月5日)-寛仁元年5月9日(1017年6月5日))は第67代天皇。諱は居貞(おきさだ/いやさだ)。享年42。在... |
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高階泰経
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。後白河法皇の側近(院近臣)。 |
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在原業平
平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。三品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。また『伊勢物語』の主... |
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高階栄子
平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての女性政治家。父は法印澄雲とも上座章尋とも言われている。通称は丹後局。 |
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藤原原子
平安時代中期の皇妃。三条天皇の東宮時代の妃。摂政藤原道隆次女、母は高階貴子(高階成忠女)。同母兄弟に伊周、隆家、一条天皇皇后定子らがいる。正暦4年(... |
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紀長谷雄
平安時代前期から中期にかけての公卿・文人。弾正大忠・紀貞範の子。官位は従三位・中納言。字は寛。通称は紀納言。 |
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小野小町
平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。 |
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藤原兼家
平安時代の公卿。従一位摂政・関白・太政大臣に昇る。藤原北家流の藤原師輔の3男で、母は藤原経邦の娘盛子。道隆、道兼、道長らの父。妻の一人に『蜻蛉日記』... |
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プロフィール
高階貴子(たかしなのきし/たかこ、生年不詳-長徳二年(996年)10月没)は平安時代の女流歌人。 女房三十六歌仙に数えられる。通称は高内侍(こうのないし)、または儀同三司母(ぎどうさんしのはは)。前者は女官名、後者は息子 藤原伊周の官名(儀同三司)による。
生涯
| 従二位高階成忠(923年-998年)の娘、生母は不詳。 |
| 成忠室には紀淑光女が知られ、貴子はその所生だとすれば、名だたる学者・紀長谷雄の血をひくことになる。 |
| 兄弟に右中弁信順・木工権頭道順・伊予守明順らがいる。 |
| 和歌を能くし、女ながらに詩文に長けた由、『大鏡』など諸書に見える。 |
| 円融朝に内侍として宮中に出仕し、漢才を愛でられ殿上の詩宴に招かれるほどであった。 |
| おなじ頃、中関白藤原道隆(953年-995年)の妻となり、内大臣伊周(974年-1010年)・中納言隆家(979年-1044年)・僧都隆円(980年-1015年)の兄弟及び長女定子を含む三男四女を生んだ。 |
| 『古今著聞集』によれば、道隆との関係にはじめ成忠は乗り気ではなかったが、ある後朝のあさ、帰って行く道隆の後ろ姿を見て、「必ず大臣に至る人なり」といって二人の仲を許したという。 |
| 夫・道隆が永延3年(989年)に内大臣、永祚2年(990年)5月に関白、次いで摂政となり、10月に定子が一条天皇の中宮に立てられたため、同年10月26日、従五位上から正三位に昇叙。 |
| 一方、貴子腹の嫡男伊周も急速に昇進し、正暦3年(992年)十九歳にして権大納言に任ぜられ、翌々年さらに内大臣に昇ったため、貴子は末流貴族の出身ながら関白の嫡妻、かつ中宮の生母として栄達し、高階成忠は従二位と朝臣の姓を賜った。 |
| ところが、長徳元年(995年)4月10日に夫・道隆が病死すると、息子の伊周と隆家は叔父道長との政争に敗れ、権勢は瞬く間に道長側に移った。 |
| 翌年になって、伊周と隆家は、花山院に矢を射掛けた罪(長徳の変)によって大宰権帥・出雲権守にそれぞれ左降・配流。 |
| 貴子は出立の車に取り付いて同行を願ったが、許されなかった。 |
| その後まもなく病を得て、息子の身の上を念じながら、同年10月末に薨去した。 |
| 四十代であったと推定される。 |
| 「中の関白かよひそめ侍りける頃」詠んだという次の和歌が小倉百人一首に採られている。 |
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