8081
8214
101908
%E9%AC%BC%E5%BA%AD%E7%B6%B1%E5%85%83
%E9%AC%BC%E5%BA%AD%E7%B6%B1%E5%85%83
%E9%AC%BC%E5%BA%AD%E7%B6%B1%E5%85%83
%E9%AC%BC%E5%BA%AD%E7%B6%B1%E5%85%83
%E9%AC%BC%E5%BA%AD%E7%B6%B1%E5%85%83
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 鬼庭綱元の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
伊達成実
戦国時代後期から江戸時代前期の武将。仙台藩初代藩主・伊達政宗の重臣で、仙台藩一門第二席・亘理伊達氏の初代当主。父は伊達実元、母は実元の兄・伊達晴宗... |
|
|
片倉景綱
片倉景綱(かたくらかげつな)は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将である。伊達氏家臣で、伊達政宗の近習となり、のち軍師役を長年務めた。仙台藩片倉... |
|
|
伊達輝宗
戦国時代の武将・戦国大名。伊達氏第16代当主。 |
|
|
片倉小十郎
片倉小十郎景綱 独眼竜の名参謀 学研M文庫 え-5-14 江宮隆之/〔著〕 出版社名 : 学研マーケティング 出版年月 : 2009年6月 ISBNコード : 978-... |
|
|
鬼庭良直
父
戦国時代から安土桃山時代の武将。伊達氏家臣。左月斎の号で知られる。 |
|
|
留守政景
戦国時代から江戸時代の武将。陸奥の伊達氏の一門で、留守氏第18代当主。別名・伊達政景。号は雪斎。通称は六郎、従五位下上野介。伊達晴宗の子(三男)。母... |
|
|
大内定綱
戦国時代の武将。陸奥国安達郡小浜城主。後に伊達氏家臣。 |
|
|
愛姫
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。田村清顕と正室於北(相馬顕胤の娘)の一人娘で、伊達政宗の正室。通称は田村御前。院号は陽徳院。 |
|
|
屋代景頼
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。出羽・陸奥の戦国大名である伊達氏の家臣。屋代閑盛の孫。屋代修理の子。鹿股源六郎の弟。屋代三郎兵衛の父。屋代... |
|
|
上杉景勝
上杉景勝/長尾顕景(うえすぎかげかつ/ながおあきかげ)は戦国時代から江戸時代にかけての武将・大名。豊臣政権の五大老の一人。出羽米沢藩初代藩主。上杉謙... |
|
|
小島弥太郎
戦国時代の武将。上杉氏家臣。諱は一忠(勝忠)。通称は慶之助。妙高高原辺りの出身と言われ、上杉謙信の幼少期から側近として仕えた。強力無双の豪傑で、「... |
|
|
支倉常長
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。伊達氏の家臣。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた。幼名は與市、初名... |
|
|
原田宗時
安土桃山時代の武将。陸奥・出羽の戦国大名伊達氏の家臣。父は山嶺安長源市郎。幼名虎駒。通称左馬之助。原田氏の祖は伊達氏初代朝宗に仕え、伊達氏累世の宿... |
|
|
片倉喜多
片倉喜多(かたくらきた、天文7年(1538年)-慶長15年(1610年)7月)は戦国時代の東北の武家女性。伊達政宗の乳母。父は鬼庭良直。別名「喜多子」「少納言」。 |
|
|
遠藤基信
戦国時代から安土桃山時代の武将。陸奥の伊達氏の家臣。不入斎と号す。子に遠藤宗信がいる。 |
|
|
大谷吉継
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。越前敦賀城主。名前については「吉隆」とも。業病を患い、面体を白い頭巾で隠して戦った戦国武将として有名... |
|
|
大崎義隆
戦国時代から江戸時代初期にかけての大名。大崎義直の子で、大崎氏第13代(最後)の当主。子には大崎義興、義成等。父・義直の時代に伊達氏に服属した大崎氏... |
|
|
島津義久
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。薩摩国の守護大名・戦国大名。島津氏第16代当主。島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧する。その後... |
|
|
小野忠明
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、剣豪。将軍家指南役。前名は『寛政呈譜』では神子上典膳(みこがみてんぜん、『寛永系図』では御子神)で、後に母... |
|
|
織田信忠
安土桃山時代の武将・大名。織田信長の嫡男で世子である。 |
|
|
プロフィール
- 鬼庭綱元とは
- 戦国時代
- 出奔
- 江戸時代
- 人物・逸話
- 系譜
- 参考文献
- 関連項目
鬼庭綱元(おににわつなもと)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。陸奥・出羽の戦国大名である伊達氏の家臣。
戦国時代
| 天文18年(1549年)、伊達郡赤館城主・鬼庭良直(左月斎)の嫡男として生まれる。 |
| 天正3年(1575年)、父の隠居にともない家督を相続し、長井郡川井城主となる。 |
| 天正13年11月(西暦では1586年1月)、人取橋の戦いでは殿軍を務め、主君・伊達政宗を逃がすために奮戦するが、父・左月斎は討死にした。 |
| 天正14年(1586年)には奉行職に任ぜられ、天正16年(1588年)には安達郡百目木城主となり所領を5,000石に加増された。 |
| 天正18年(1590年)、奥州仕置にともなう知行再編により柴田郡沼辺城主となる。 |
| 同年に発生した葛西大崎一揆を政宗が煽動していたことが露見すると、豊臣秀吉への弁明のために京に派遣され、以後秀吉との折衝役を務めることになる。 |
| 天正19年(1591年)に政宗が岩出山に減転封されると、磐井郡赤荻城主となった。 |
| 文禄元年(1592年)、文禄の役の際には肥前国名護屋に在って留守居役を務める。 |
| この時、秀吉が「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」という理由で、姓を茂庭に改めさせたという。 |
| 同年、長男・安元が病死したため、八幡氏に養子に出していた二男・良綱を呼び戻して跡取りとした。 |
出奔
| 秀吉が綱元を気に入り、直臣として召し出そうとしているとの噂を耳にした政宗は、次第に綱元を疑うようになり、ついに文禄4年(1595年)、政宗の命により良綱に家督を譲ることを迫られ、隠居に追い込まれた。 |
| この時綱元に与えられた隠居料はわずか100石に過ぎず、加えて隠居料以外の収入を得た場合には、良綱が相続した茂庭氏の本領5,000石をも没収するという条件が付けられたため、憤激した綱元は伊達家から出奔した。 |
| この時、本多正信を介して徳川家康から誘いを受けたものの、政宗の奉公構により破談となる。 |
| 綱元の境遇にいたく同情した家康は、中白鳥毛槍・虎皮の鞍覆・紫縮緬の手綱を贈り、また当座の資金として関八州の伝馬10疋の朱印状及び永楽銭200貫文を与えた。 |
| 慶長2年(1597年)、赦免されて伊達家に復帰する。 |
江戸時代
| 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、最上義光への援軍第一陣として留守政景の指揮下に入る。 |
| 綱元は政景の命により別働隊を率いて長井方面へと進攻し、9月25日に刈田郡湯原城を攻略すると、さらに二井宿峠を越え高畠城へと向けて兵を進めていたが、政宗の命令により、突如として屋代景頼らと共に福島表の兵力不足を補うために呼び戻され、10月6日の福島城攻めに参加した。 |
| 同年末、隠居料として改めて栗原郡文字に1,100石を与えられ、慶長6年(1601年)9月に政宗が上洛する際には、すでに普請が始まっていた仙台城の留守居役を任され、さらには父・左月斎が輝宗の代に務めていた評定役仙台藩における評定役の職務権限は、第2代藩主・伊達忠宗により大幅に縮小され、複数人制による奉行職の補助機関へと移行したが、輝宗・政宗の代における評定役は一人制で、評定の場では奉行衆よりも一段高い敷居に席が置かれており、評定役のほうが格上であった。 |
| また、政宗から綱元に直接下される機密文書には専用の印章が使用されていた佐藤憲一『伊達政宗の手紙』113~114頁。 |
| 洋泉社、2010。 |
| に就任し、六人制の奉行職の上に立ってこれを指導・監督した。 |
| またこの頃、政宗がかつて秀吉から賜った愛妾・香の前を下げ渡され、政宗と香の前との間に生まれた一女一男(津多・又四郎)は、綱元の子として育てられることになった。 |
| 慶長9年(1604年)、政宗の五男・宗綱が栗原郡岩ヶ崎城主になると、評定役の職に留まったまま、その後見役を命じられた。 |
| 慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では政宗の長男・秀宗の陣に属し、翌慶長20年(1615年)2月、秀宗に伊予国宇和島藩10万石が与えられると、綱元は良綱と共に宇和島に赴き、宇和島藩の統治機構の立ち上げにたずさわり、同年4月の大坂夏の陣には宇和島城から出陣した。 |
| 元和4年(1618年)、宗綱が早世すると、その菩提を弔うため入道して了庵高吽と号し、高野山成就院に赴き三年間にわたって供養を行った。 |
| 帰国後、政宗より宮城郡下愛子の栗生に館を拝領すると、以後はここに居住した。 |
| 寛永13年(1636年)5月24日、政宗が死去すると政務を離れ、栗生の館を五郎八姫に譲って隠居領の文字に隠棲する。 |
| 翌年には同地に洞泉院を創建し、その境内に政宗のために阿弥陀堂を、宗綱のために妙覚堂を、それぞれ建立した。 |
| 政宗の四回忌にあたる寛永17年(1640年)5月24日死去。 |
| 洞泉院の石仏を以て墓石とした。 |
| 隠居領は三男・実元が相続した(着坐・文字茂庭氏)。 |
人物・逸話
| 人取橋の戦いで父・左月斎を討ち取った岩城氏家臣・窪田十郎が後に伊達軍に捕らえられた際には、「虜囚を斬るのは士道に悖る」として窪田を赦した。 |
| これに感服した窪田は願い出て綱元の家来となった。 |
| 茂庭氏が代々長寿の家系であると聞いた秀吉は、その秘訣を探ろうとして綱元に日頃の暮らしぶりについてあれこれ下問した。 |
| この時綱元が、日頃から米粉を湯に溶いたものを服用していると答えたので、秀吉もこれを「石見湯」と名づけて服用するようになったという。 |
| 綱元が隠居に追い込まれた原因として、賭け碁に勝った綱元が秀吉から香の前を賜ると、政宗が綱元に香の前を差し出すように命じたが、綱元がこれを拒んだために政宗の怒りを買ったとする説が有る。 |
| この説によれば、帰参の条件には香の前を差し出すことが有ったともいう。 |
| 別名の延元は、寛文年間に公文書上で第4代藩主・伊達綱村の諱を避けるため、綱元の孫・定元(寛文元年(1661年)に改名)の旧名を転用したものであり、生前に綱元はこの名を名乗っていない。 |
系譜
| 父:鬼庭良直(左月斎)。 |
| 母:牧野刑部の娘。 |
| 正室:新田景綱の娘。 |
| 南(守屋貞成室)。 |
| 茂庭良元良綱。 |
| はじめ八幡宗実養子、実家に戻り相続。 |
| 茂庭実元(着坐・文字茂庭氏初代)。 |
| 猪苗代盛元(猪苗代盛次養子)。 |
| 軽部常元(軽部壱岐養子)。 |
| 側室:香の前。 |
| 津多原田宗資室。 |
| 実父は政宗。 |
| 亘理宗根亘理重宗養子。 |
| 実父は政宗。 |
| 片倉景重。 |
| ┣━━━━片倉景綱。 |
| ┣━━━━片倉喜多。 |
| 鬼庭良直。 |
| ┣━━━━鬼庭綱元。 |
関連項目
| 『独眼竜政宗』(1987年NHK大河ドラマ、演:村田雄浩)。 |
|
1549年
|
伊達郡赤館城主・鬼庭良直(左月斎)の嫡男と... |
|
1575年
|
父の隠居にともない家督を相続し、長井郡川井... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
鬼庭綱元さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|