| 千葉県柏市にて出生。 |
| 小学校2年生の時に両親の都合で千葉県柏市から沖縄県へ引っ越す。 |
| 小学校6年生の時に再び両親の都合により埼玉県新座市に転居。 |
| 小学6年次・中学校・高校時代を新座市で過ごす。 |
| 中退理由は、友人数人と「勢い」で辞めたと『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)に出演した際に述べている。 |
| 高校中退後は10種類余りの職を転々とした。 |
| 中でも焼き鳥店に至っては、勤務初日に「昼ご飯を食べに行く」と言い残し、そのまま戻らず辞めたという『ズバリ言うわよ!』より。 |
| 1994年、15歳でボクシングの名門ヨネクラボクシングジムに入門。 |
| しかしプロテストをドタキャンし、そのままジムを去る。 |
| その後、「喧嘩に使えそうだから」との理由でキックボクシングに転向、17歳で藤ジムに入門する。 |
| 1997年3月23日、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で竹原太と対戦し、1RKO勝ち。 |
| 1997年5月30日、小比類巻貴之と対戦し、膝蹴りの連打により3RKO負け。 |
| 初黒星を喫した。 |
| 共にデビュー2戦目同士で3回戦の前座扱いであったが、メイン、セミの試合のキャンセルが相次ぎ、繰上げでその日の興行のメインイベントになった。 |
| この試合を、『格闘技通信』(ベースボール・マガジン社)は急遽見開き2ページ、オールカラーで掲載した。 |
| 魔裟斗は敗北したが、魔裟斗の入場シーンを1ページ丸々の一枚写真を使用するという異例の扱いであった。 |
| 2000年1月21日、全日本キックボクシング連盟主催『LEGEND-I』のダブルメインイベント(セミファイナル)でモハメッド・オワリ(ベルギー)と対戦予定であったが、魔裟斗が試合出場を拒否し「試合放棄」とされた。 |
| 3月14日付けで藤ジムと全日本キックボクシング連盟に退会届を提出し、同連盟ウェルター級王座も返上、「シルバーウルフ」所属となった。 |
| その後しばらくは、総合格闘技団体・パンクラスの東京道場や新日本キックボクシング協会の伊原道場を間借りして練習を行う。 |
| 魔裟斗は「自分のジムもなくて、いつ試合ができるかも分からないこの時期が一番つらかった」と語っている。 |
| 2000年7月26日、初の自主興行『WolfRevolution』を開催し、メインイベントでクレイトン・コリヤーに1RKO勝ち。 |
| 2000年11月1日、K-1WORLDMAXの前身に当たる興行『K-1J・MAX』で、ムラッド・サリ(フランス)とI.S.K.A.世界オリエンタルウェルター級タイトルマッチを行い、2Rに左フックでKO勝ち。 |
| 試合後、リング上でマイクを握った魔裟斗は「これからは俺の時代です」と宣言した。 |
| 2000年12月5日、タイで行われた『タイ国王生誕記念大会』でスリヤー・ソー・プルンチットと対戦し、判定負け。 |
| 小比類巻貴之戦以来、3年6か月ぶりの敗戦となった。 |
| 2001年1月12日、WolfRevolution〜SecondWave〜にて1年前に対戦予定だったモハメッド・オワリを一方的に打ちのめして3RTKO勝ち。 |
| 2001年3月30日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟主催『ODYSSEY-1』で伊藤隆の引退試合(エキシビションマッチ)の相手を務めた。 |
| 2002年2月11日、K-1WORLDMAX日本代表決定トーナメントに出場。 |
| 1回戦、準決勝共にKO勝ちで決勝に進出し、小比類巻貴之と対戦。 |
| 2002年5月11日、K-1WORLDMAX2002世界一決定戦の準決勝でアルバート・クラウス(オランダ)と対戦。 |
| 2002年10月11日、K-1WORLDMAX2002世界王者対抗戦でアルバート・クラウスと対戦。 |
| 2003年3月1日、K-1WORLDMAX2003日本代表決定トーナメントに出場。 |
| 2003年7月5日、K-1WORLDMAX2003世界一決定トーナメントの1回戦でマイク・ザンビディス(ギリシャ)と対戦。 |
| 2003年12月15日、『WOLFREVOLUTIONmeetsLUZ』で宇野薫とエキシビションマッチを行った。 |
| 1Rはキックボクシングルールであったが、2Rは総合格闘技ルールとなり、オープンフィンガーグローブでの戦いを披露した |
| 2004年7月7日、K-1WORLDMAX2004世界一決定トーナメントでジャダンバ・ナラントンガラグ(モンゴル)、アルバート・クラウスをそれぞれ判定で下し、決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)と対戦。 |
| また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった |
| 2004年12月31日、K-1PREMIUM2004Dynamite!!で山本"KID"徳郁とK-1ルールで対戦。 |
| 1R、山本にダウンを奪われた直後、ローキックが山本の金的を直撃し試合が中断する。 |
| 2005年7月20日、K-1WORLDMAX2005世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でマイク・ザンビディスと対戦。 |
| 2006年6月30日、K-1WORLDMAX2006世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝で小比類巻貴之と通算3度目の対戦。 |
| 2006年12月31日、K-1PREMIUM2006Dynamite!!において対戦予定だった元WBA世界スーパーフェザー級王者・チェ・ヨンス(韓国)が練習中に負傷したことにより、試合10日前に対戦相手がボクシング元日本ミドル級王者・鈴木悟に変更。 |
| 2007年2月11日、女優・タレントの矢沢心と6年間の交際、5年間の同棲を経て入籍 |
| 2007年10月3日、K-1WORLDMAX2007世界一決定トーナメント決勝戦では、自ら指名した前年度王者ブアカーオ・ポー.プラムックと準々決勝で対戦。 |
| 準決勝ではアルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)に2Rにカウンターの左フックでKO勝ち。 |
| 決勝ではアンディ・サワーと対戦したが、2試合を戦ったダメージの蓄積に加え、サワーの猛攻で足が限界に達し、2R終了時に立ち上がることが出来ず、セコンドがタオルを投入しTKO負け。 |
| 2007年12月31日、K-1PREMIUM2007Dynamite!!で前年に対戦予定であったチェ・ヨンスと改めて対戦。 |
| 2008年10月1日、K-1WORLDMAX2008FINALのトーナメント準決勝で、かねてから魔裟斗との対戦を熱望していた佐藤嘉洋と対戦。 |
| 2009年3月22日、東京マラソン2009に出場し、3時間51分41秒で完走した |
| 「大晦日のDynamite!!で今年のトーナメント優勝者と戦いたい」「アンディ・サワーとは2度戦ってまだ勝っていないから、是非ともサワーに優勝してもらって挑戦したい。 |
| 2009年4月21日、引退発表後の「初戦」として出場したK-1WORLDMAX2009FINAL16で、「魔裟斗の後継者」と目されるHIROYAとエキシビションマッチを行った |
| 2009年7月13日、K-1WORLDMAXでのラストマッチとなったK-1WORLDMAX2009FINAL8にて、ファン投票で推薦された総合格闘家・川尻達也と対戦。 |
| 2009年10月26日、K-1WORLDMAX2009FINALにてジョルジオ・ペトロシアンが圧倒的な強さで優勝。 |
| しかし、その翌日、ペトロシアンが準決勝山本優弥戦の時点で既に右手の指を骨折していたことが発覚したため、対戦の正式決定には至らなかった |
| 2009年11月7日、「SILVERWOLFpresentsFINALREVOLUTION〜大宮司進FINAL〜」で行われた「大宮司進引退エキシビションマッチ」(K-1ルール・3分2R)で大宮司進と対戦した |
| 2009年11月12日、世界王者ジョルジオ・ペトロシアンの右手の指の骨折が完治しないため、準優勝者であり過去2戦2敗のアンディ・サワーとの大晦日での引退試合が決定した。 |
| 過去2度の対戦は、既にダメージが溜まっているトーナメントの準決勝と決勝だったけど、お互いが無傷で公平なワンマッチなら俺の方が強い」と語っていた |
| 2009年12月31日、さいたまスーパーアリーナにて行われたDynamite!!〜勇気のチカラ2009〜でアンディ・サワーとK-1特別ルール(3分5R延長1R、サワーが希望するシュートボクシングのロングスパッツ着用可)で自身の引退試合を行った。 |