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つながりの強いひと
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渡辺崋山
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江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮... |
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家老
武家の家臣団のうち最高の地位にあった役職で、複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営した。 |
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土井利位
下総国古河藩の第4代藩主。土井家宗家11代。江戸幕府の老中(首座)である。 |
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大塩平八郎
江戸時代後期の儒学者で、大坂町奉行所の与力。大塩平八郎の乱を起こした。平八郎の父も大坂町奉行所与力であり、初代の大塩六兵衛成一から数えて8代目であり... |
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古河公方
室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方足利成氏が、享徳の乱の際に鎌倉... |
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永井路子
日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいたひろこ)。 |
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土井利勝
安土桃山時代の武将。江戸時代前期の譜代大名であり、江戸幕府の老中・大老である。下総国小見川藩主、同佐倉藩主、同古河藩初代藩主。土井家宗家初代。徳川... |
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大黒屋光太夫
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大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう、宝暦元年(1751年)-文政11年4月15日(1828年5月28日))は江戸時代後期の伊勢国白子(現三重県鈴鹿市)の港を拠点とし... |
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谷文晁
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江戸時代後期の日本の画家。江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。名は正安。はじめ号は... |
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土井利厚
江戸時代後期の大名、政治家。下総古河藩第3代藩主。土井家宗家10代。 |
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川路聖謨
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江戸時代末期(幕末)の旗本。日田代官所属吏・内藤吉兵衛歳由の長男、母は日田代官所手付の高橋誠種の娘。号は敬斎。幼名は弥吉。弟に井上清直、母方の従弟... |
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奥原晴湖
幕末から明治期の画家。野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分した。本名は池田せつ(節)、通称せい子。... |
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吉田桂二
吉田桂二(よしだけいじ、1930年9月16日-)は岐阜県出身の日本の建築家。1級建築士、工学博士。1級建築士事務所・株式会社連合設計社市谷建築事務所(東京都... |
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司馬江漢
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江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重(すずきはるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。字は君嶽、君岡、司馬氏を称した。ま... |
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鳥居耀蔵
江戸時代の幕臣、旗本。耀蔵は通称、諱は忠耀(ただてる)。 |
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高島秋帆
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江戸時代後期・幕末期の砲術家。名は茂敦。通称は糾之丞、四郎大夫、喜平。号は秋帆。高島流砲術の創始者(流祖)。「火技之中興洋兵之開祖」と号すことを認... |
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桂川甫周
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医師及び蘭学者。名は国瑞(くにあきら)であり、甫周は通称である。月池・公鑑・無碍庵などの号を用い、字は公鑑。父桂川家3代目桂川甫三は、前野良沢、杉田... |
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伊能忠敬
江戸時代の商人・測量家である。1800年(寛政12年)から1816年(文化13年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴... |
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間宮林蔵
間宮林蔵(まみやりんぞう、安永9年(1780年)-天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の... |
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河鍋暁斎
河鍋暁斎(かわなべきょうさい、1831年5月18日(天保2年4月7日)-1889年(明治22年)4月26日)は幕末から明治にかけて活躍した絵師である。最初の妻の父は鈴... |
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プロフィール
- 鷹見泉石とは
- 来歴
- 渡辺崋山筆 鷹見泉石像
- 鷹見泉石日記
- 関連サイト
鷹見泉石(たかみせんせき、天明5年6月29日(1785年8月3日)-安政5年7月16日(1858年8月24日))は江戸時代の蘭学者であり、下総国古河藩の家老である。名を忠常、通称を又蔵、十郎左衛門。字を伯直(はくちょく)。号は泉石の他に楓所(ふうしょ)、泰西堂(たいせいどう)、可琴軒(かきんけん)。また、ヤン・ヘンドリック・ダップル(JanHendrikDaper)という蘭名も署名に用いている。
来歴
| 1785年、古河藩の御使番役・鷹見忠徳(250石)の嫡男として古河城下に誕生する。 |
| 1797年、調役給仕として出仕して以降、目付、用人上席、番頭格などを経て1831年には280石の家老(役高500石)に昇進した。 |
| 譜代大名の土井氏は代々幕府の要職を歴任しており、土井利厚・利位父子もまた寺社奉行や大坂城代、京都所司代、老中などの要職を務めていた。 |
| 泉石は藩主に近侍して全国各地へ同行し、これら職務の補佐に務めた。 |
| 「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれるほどに、その能力は賞賛を受けた。 |
| 1845年、加増をうけ330石となるが翌1846年に免職となって古河に隠居している。 |
| 1858年、古河長谷町の隠居屋敷(現:古河歴史博物館の鷹見泉石記念館)にて死没。 |
| 対外危機意識の高まるなか幕政に当たる譜代大名の重臣という立場から早くから海外事情に関心を寄せ、地理、歴史、兵学、天文、暦数などの文物の収集に努めまた川路聖謨、江川英龍などの幕府要人、渡辺崋山、桂川甫周などの蘭学者、箕作省吾などの地理学者、司馬江漢、谷文晁ら画家、砲術家の高島秋帆、海外渡航者の大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平、中山作三郎ら和蘭通詞、オランダ商館長(カピタン)のスチュルレ(JohanWillemdeSturler)など当時の政治、文化、外交の中枢にある人々と広く交流を持って洋学界にも大きく寄与した。 |
渡辺崋山筆 鷹見泉石像
| 1838年、泉石54歳のときの肖像。 |
| 渡辺崋山の描いた「鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)」は西洋の画法も取り入れた近世画の傑作として、国宝に指定されている。 |
| 烏帽子と服は線描を使った東洋の伝統的な画法、相貌は西洋の陰影法や彩色法を使うという対照的な技法を用いながら全く違和感なく融合させ人物の内面まで感じさせる高い完成度をもつ。 |
| ちなみに絵画の部門では最も時代が新しい国宝である。 |
鷹見泉石日記
| 『鷹見泉石日記』は彼が職に就いた12歳から、60年間にもわたった自らの公務を中心に書き留められたもの。 |
| 彼の交友の広さと、客観に徹した文章のために史料価値は高い。 |
| 特に、藩主利位の大坂城代在職中に起こった大塩平八郎の乱については彼自身が鎮圧に当たったこともあって詳しく記載されている。 |
| 蘭学者らしく日記中に各所へカステラを贈答する記事が記載されているが、どこで製造されたものか詳細不明である。 |
| 古河歴史博物館編全8巻が吉川弘文館より刊行されている。 |
| 『鷹見泉石日記』をはじめ書状・地図・書籍・絵画・器物など、古河歴史博物館が所蔵する鷹見泉石関係資料3157点が、2004年に国の重要文化財に指定された。 |
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1785年
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古河藩の御使番役・鷹見忠徳(250石)の嫡男... |
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1838年
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泉石54歳のときの肖像 |
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