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つながりの強いひと
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辻発彦
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熊本県八代郡宮原町(現:氷川町)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球監督、野球解説者。現役時代は鉄人と呼ばれた。シーズンからは、福岡ソフトバン... |
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徳島県鳴門市出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は魔球と呼ばれたシンカーを駆使し、黄金期のライオンズを支えた。 |
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ファン
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台湾台東市出身の元プロ野球選手(投手)。台湾原住民族アミ族である。日本人女性と国際結婚し、1989年9月日本に帰化。現在の本名は佳久源治。 |
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大分県中津市出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督、野球解説者。 |
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福島県いわき市出身の元プロ野球選手、野球解説者。 |
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高橋一三
広島県府中市出身の元プロ野球選手(投手)。からは、山梨学院大学硬式野球部監督。 |
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プロフィール
- 鹿取義隆とは
- アマチュア時代
- 読売ジャイアンツ
- 西武ライオンズ
- 現役引退後
- プレースタイル
- リリーフに対する考え方
- 打者との対戦
- エピソード
- テレビ出演など
鹿取義隆(かとりよしたか、1957年3月10日-)は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現役時代は巨人、西武で中継ぎ・抑えとして活躍した。現在は スポーツ報知で野球評論家、RFラジオ日本で野球解説者を務める。
アマチュア時代
| 高知商では2年の夏に背番号10の控え投手として甲子園に出場。 |
| 2回戦で山倉和博を擁する東邦高校、3回戦で盛岡三高を破ってベスト8に進出したが、金光興二や達川光男を擁する広島商に2対7で敗れた。 |
| この試合では鹿取も救援で登板し、失点している週刊ベースボール、2001年2月5日号、P.44。 |
| 3年夏は高知県大会の3回戦で同年の南四国大会を制した高知高校に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。 |
| 高校の先輩が数名在籍していた事もあり、野球部のセレクションを受けて明治大学に進学した。 |
| 同期には高橋三千丈や豊田誠佑がいた。 |
| 1年の春から打撃投手を務め、2年春の六大学リーグ戦からベンチ入りしている。 |
| 監督島岡吉郎の下で毎日500球を投げ込むほどの猛練習を重ね、高橋とともに投手陣を支えた。 |
| の3年春の早稲田大学との3回戦では6回から高橋を救援し、道方康友と延長15回まで投げ合ってチームはサヨナラ勝ちを収めた。 |
| この試合直後に島岡監督から泣きながら投球を賞賛され、初めて島岡一族の一員になれた事を実感したという週刊ベースボール、2001年2月5日号、P.45。 |
| 同年は日米大学野球の日本代表に初めて選ばれ、第5戦で先発している。 |
| 一学年上の江川卓を擁する法政大学などに阻まれリーグ戦優勝は遠かったが、の4年春は4回戦までもつれた法政との勝負を制してついに優勝。 |
| 鹿取自身も、右手中指のマメを焼き潰したと言われるほどの熱投を見せた。 |
| 同年の日本選手権は決勝で専修大学を完封して優勝している。 |
| 前年に続いて日米大学野球の日本代表に選出され、4試合に登板したものの先発した第5戦では敗戦投手となった。 |
| 六大学リーグでは通算58試合に登板して21勝14敗、防御率1.89、219奪三振の成績を残した。 |
| 卒業後は社会人野球の日本鋼管に進む予定で、江川事件により巨人がボイコットした同年11月22日の同年のドラフト会議ではどの球団からも指名を受けなかった週刊ベースボール、2001年2月12日号、P.44。 |
| しかしドラフト会議直後に巨人のスカウト沢田幸夫から旧知の島岡監督に獲得の打診があり、プロ入りに反対していた祖父からも高知での家族会議を経て承諾を得て、ドラフト外で入団が決まった。 |
| なお、中日に1位指名で入団した高橋と同等の契約条件を巨人は提示したという。 |
読売ジャイアンツ
| 入団当時の巨人には、同じサイドスローの投手として小林繁と田村勲の2名がいた。 |
| 1年目のの合同自主トレでは小林の速球を見てプロでの活躍をあきらめかけたが、江川卓とのトレードで1月31日に小林が急きょ阪神に移籍し、さらに浅野啓司が足首を捻挫したため2月のキャンプで4日目に二軍から昇格すると、そのままシーズンを通じて一軍に定着している。 |
| また大学時代からの知り合いという縁もあって、オープン戦から遅れて合流した江川に心得などを伝達する担当に任命され、江川係と呼ばれるようになった週刊ベースボール、2001年2月12日号、P.45。 |
| 宿舎で同室になったり、キャッチボールの相手を務めることも多かったという。 |
| 同年は開幕戦となる4月7日の対中日戦でいきなり登板し、高木守道を中直に打ち取った。 |
| その後も6月9日の対中日戦で初勝利を挙げるなど、38試合に登板して3勝を挙げた。 |
| 秋には若手中心の伊東キャンプでギリギリのところまで自分を追い詰めるほどの猛練習を積み、終わった時には非常な解放感があったという。 |
| 伊東キャンプでの成長もあって2年目となるは51試合に登板して防御率も1点台と翌年への手応えを感じたが、一方でオフに監督の長嶋茂雄の辞任と王貞治の引退があり、幼少期からファンだったONがいなくなることに大きな衝撃を受けた。 |
| なお、藤田元司が監督だったこの頃にはアンダースローへの転向を命じられたこともあった。 |
| 投球フォームがどうしても合わずに転向は断念したが、自身の投球を見つめ直す機会になったという。 |
| 王貞治が監督に就任したはリリーフとして自分の立場を確立し週刊ベースボール、2001年2月19日号、P.45、48試合に登板して自己最多の10SPを挙げた。 |
| その後も勝ち試合など重要な場面での起用が増え、にサンチェが加入すると角三男と翌年まで3人で競争しながらお互いを信頼し、強力なリリーフ陣を形成している週刊ベースボール、2000年12月25日号、P.29。 |
| しかしは長年の疲労や、藤田監督による先発完投のチーム方針の下で登板間隔が開きがちになる調整の難しさから調子を落とした。 |
| 球威の低下週刊ベースボール、2001年3月12日号、P.44や、投球時に重心が高くなる傾向が見られ、先発の槙原寛己がリリーフに起用される事もあった。 |
| 同年は2勝3セーブに終わり、シーズン終盤には来季の構想外と受け取れるような起用をされてスポーツ紙に去就が取り沙汰されている。 |
| 同年の日本シリーズでは第2戦で2/3回を投げただけだった。 |
| 11月6日には多摩川グラウンドでの練習の際に藤田監督から「放出するつもりはないが来季も起用法は変えないので、トレードを希望するなら他球団からのオファーに応じる」と伝えられた。 |
| その後、パームスプリングスでのキャンプでも残留は要請されず決断を迫られ、移籍を志願。 |
| 西岡良洋との交換トレードで西武ライオンズに入団した。 |
西武ライオンズ
| 移籍1年目のはマウイ島での自主トレにも参加し、同学年で日米大学野球の代表でも一緒だった石毛宏典らとのゴルフなどを通じてチームに溶け込んだ週刊ベースボール、2001年3月12日号、P.45。 |
| キャンプでは秋山幸二や平野謙、羽生田忠克らの外野守備のレベルの高さに衝撃を受けている週刊ベースボール、1990年3月26日号、P.112。 |
| また、監督の森祇晶からはストッパーとしての起用を明言されていたが、前年の不振から通用するかという不安やプレッシャーもあったという。 |
| 同年の初登板となった4月14日の平和台での対ダイエー戦では森監督や内野陣に激励を受け、2安打を浴びながらセーブを挙げて祝福されてチームの一員という実感が一気にわいたという。 |
| その後も好投を続け、5月30日の西武球場での対ダイエー戦でNPB新記録(当時)となる10試合連続セーブを達成した。 |
| セットアッパーの潮崎哲也の活躍もあり、シーズンでは27セーブポイントを挙げて初タイトルとなる最多セーブ投手を受賞し、起用法や守備など周囲に支えられた事を深く感謝している。 |
| 巨人と対戦した同年の日本シリーズでは第2戦で9回の1イニングを無失点に抑えたが、チームが4連勝して西武の強さを改めて実感したという。 |
| 同年の日本シリーズは第1戦で延長10回からマウンドに上がり、又従兄弟(後述)でこの試合を完投した岡林洋一と投げ合った。 |
| この試合は10回に岡林に四球を与えるなどリズムに乗り切れず、12回に杉浦享にサヨナラ本塁打を打たれて敗戦投手となっている。 |
| しかし、第4戦では渡辺智男の後を受けて再び岡林と投げ合い、5回2/3を3安打無失点に抑える好投で勝利投手となった。 |
| 第6戦では逆転直後の6回に登板するも、3回を投げて6安打3失点とリードを守れなかった。 |
| 同年オフの契約更改では、年俸が初めて1億円(推定)に到達しているNumber、1993年1月20日号、P.105。 |
現役引退後
| 引退後のに巨人の二軍投手コーチに就任。 |
| 岡島秀樹に対し、投球中に打者や捕手から目を切る頭の動きを修正せず、肩などの細かい部分の調整を指導することで低めへの制球力を付加した。 |
| 同年の日米野球から一軍ベンチに入り週刊ベースボール、2001年1月29日号、P.42、長嶋監督の下で働くようになった。 |
| 翌は水野雄仁とともに一軍投手コーチとなったが、戦力の見極めがうまくできずに葛藤している。 |
| チームは日本一になったものの同年オフに巨人を退団し、には現役引退時からの念願通り1Aのベロビーチ・ドジャースにコーチ留学した。 |
| これに先立って2月にはアリゾナ州のキャンプで三星ライオンズの臨時投手コーチを務めた。 |
| サイドスローの林昌勇を指導する予定だったが、契約問題で林が帰国しており他の投手の指導を行なっている。 |
| シーズン終了後は翌年から2Aに昇格する話も出ていたが、同年オフに巨人監督に就任した原辰徳の要請で帰国してヘッドコーチに就任したNumber、2002年10月10日号、P.132。 |
| には新設された茨城ゴールデンゴールズのヘッドコーチに就任し、同年限りで退任した。 |
| また、マスターズリーグでは札幌アンビシャスに所属している。 |
プレースタイル
| 右サイドスローからの多彩な変化球が持ち味で、キレの良いスライダーとシンカーに加え、頃からはチェンジアップも持ち球に加えていた。 |
| サイドスローのため左打者を苦にすると見られる事が多かったが、膝下に落ちるスライダーなどがあって左打者の方が抑えやすかったという週刊ベースボール、1990年3月26日号、P.113。 |
| 現役時代はブルペンで3球投げれば肩を作れるというタフさで知られNumber、1991年1月20日号、P.30、プロ2年目のにはベンチで目が合った長嶋茂雄監督に直接マウンドに送られた事も2回あったという週刊ベースボール、2000年12月25日号、P.28。 |
| 鹿取自身は、必ずしも肩の仕上がりは早くなかったが、チャンスをつかんだり信頼に応えるために努力した、と述べている。 |
| リリーフで連投の疲れがたまった時は球威を落として制球を意識しながら投げ、変化球の曲がりが悪化するのを逆手にとって打者のイメージとのギャップを利用するなどの工夫をしていた。 |
| 普通のクローザーと違い、キャンプでは1日に150球近くを投げ込む日もあった週刊ベースボール、1990年3月26日号、P.112。 |
| 西武では投手コーチの八木沢荘六がノースローなどについて裁量を認めており、調整がしやすかったという。 |
| なお、巨人と西武ではローテーションの谷間などで計16回、先発を経験した野球小僧、2010年2月号、P.130。 |
| 巨人時代は結果を残そうと必死だったが、西武の時は5回まで投げる事を目標に長いイニングを消化して中継ぎの負担を減らそうとし、結果的に好投に繋がったという。 |
リリーフに対する考え方
| 他チームのクローザーでは、津田恒実や山本和行、江夏豊のような味方に安心感を与える投手に感心したという週刊ベースボール、2001年9月3日号、P.35。 |
| なお津田は常時150km/h台前半の速球を投げており、自身が見た中で最も球の速い投手だったと述べている週刊ベースボール、2001年3月5日号、P.44。 |
打者との対戦
| 現役時代に対戦して最も印象に残った打者としては、山本浩二の名を挙げている。 |
| 山本は非常に読みが鋭く、わざと空振りをして球種の選択を誤らせてくるような駆け引きもあり、一方で普段のイメージと違うキレの悪い変化球を打ち損じる事もしばしばあったという週刊ベースボール、2001年2月26日号、P.48。 |
| この他にセ・リーグでは衣笠祥雄は連続出場記録があるため内角を攻めづらく、掛布雅之や長嶋清幸が苦手だったという週刊ベースボール、2001年2月26日号、P.49。 |
| また、球が良ければ抑えられる達川光男のようなタイプを得意とし、逆にケン・モッカやフェリックス・ミヤーンには良い球でもしばしばヒットにされた。 |
| はシーズン4本塁打の田尾安志に2度サヨナラ本塁打を浴びている。 |
| パ・リーグは指名打者制のため息を抜ける場面がなく、またいてまえ打線に象徴されるような思い切りの良いバッティングが多く失投が長打に繋がりやすかったという週刊ベースボール、2001年3月19日号、P.49。 |
| 特にラルフ・ブライアントのスイングの速さは衝撃を受けるほどで、外角低めの投球が強烈なピッチャーライナーになるほどだった。 |
| また、自分の世界に浸っていて待ちが読めない山本和範や、良い場面で打たれる事の多かった藤本博史が印象に残ったという。 |
エピソード
| 岡林洋一とは母親同士がいとこで、又従兄弟の関係に当たる。 |
| このため、岡林のプロ入りの決断やリリーフとしての心構えなどについて相談に乗ったり、自主トレを一緒に行なったりしていたNumber、1992年11月20日号、P.32。 |
| リーグ最多登板を記録した頃に、六本木で会った東尾修に「言われるままに投げるだけでなく、自分を大事にしろ」と言われたが、「(東尾のような)先発の代わりはいないが、中継ぎはいくらでもいるから黙って投げないといけない」と答えたという。 |
| このように謙虚な姿勢を見せ、西武入団後のある年の契約更改で球団から年俸1億円の提示を受けたが、「1億円は主役の金額」と固辞してその手前の金額にした事もあった。 |
テレビ出演など
| 1983年11月25日、笑っていいとも!のテレフォンショッキングに、渡辺徹から紹介を受けて現役プロ野球選手として初めて登場した。 |
| また、現役晩年の1997年には同じく現役プロ野球選手として初の個人ホームページを制作している(現在は閉鎖)。 |
| 萩本欽一とは現役時代より親交があり、オフには仮装大賞など萩本の番組のゲストに呼ばれるのが常だった。 |
| 2006年に公開された映画『出口のない海』の制作にあたっては、自身と同じ明治大学の投手という役を演じた市川海老蔵にサイドスローの指導をしている。 |
| また引退後も120-125km/hの速球を投げ、2007年3月17日放送のブロードキャスターではジャイロボールを投げてみせた。 |
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1957年
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鹿取 義隆(かとり よしたか)は、高知県香美... |
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1982年
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先発予定の定岡正二が腰痛で登板回避した仙台... |
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鹿取義隆さんについてのひとこと紹介
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