| 入党後は政権戦略研究会(羽田グループ)に所属する。 |
| 当初は領袖である羽田の首相再登板を目指していたが、離脱者の続出や羽田の高齢化などから現在ではあまりグループの行動は見られない。 |
| 民主党では入党後から副代表に就任したほか、国会対策委員長や党憲法調査会会長などを務めるが、2002年に業際研事件が発覚。 |
| 元秘書の経営するコンサルタント会社が公共工事の口利きに関与したとして元秘書が競争入札妨害罪及び収賄罪の疑いで逮捕される。 |
| その際、この会社に鹿野が秘書給与を肩代わりさせていた事実が発覚し、2月に民主党を離党。 |
| 同年、9年間にわたり親族が経営する企業に元秘書3人の給与3390万円を肩代わりさせていた事実も発覚した。 |
| その後民主党に復党したが、翌年の第43回衆議院議員総選挙では山形県第1区で自民党の遠藤利明に敗れ、比例復活により辛勝。 |
| さらに2005年の第44回衆議院議員総選挙では小泉旋風の煽りを受けて再び遠藤に敗れ、比例復活もできず議席を失った。 |
| 2009年の第45回衆議院議員総選挙では遠藤を破り、国政復帰を果たした。 |
| ただし、過去に遠藤を破った第42回衆議院議員総選挙に比べて票差は小さく、遠藤に約2,000票の僅差まで詰め寄られ、比例復活を許した。 |
| この選挙により民主党は政権交代を果たし、鹿野も羽田内閣以来15年ぶりに与党復帰を果たした。 |
| 9月、衆議院予算委員長に就任。 |
| 12月に発生した天皇特例会見問題では予算委員長として政府に対し、天皇の公的行為に関する統一見解を出すよう要請した。 |
| 2010年9月、菅改造内閣で21年ぶりに農林水産大臣に就任し、通算3度目の入閣を果たした。 |
| なお、この内閣改造に先駆けて行われた民主党代表選挙では、支持する候補者を明らかにしていなかったが、菅直人の再選により一時は鹿野の民主党幹事長への起用も取り沙汰された。 |
| 結局岡田克也外相が幹事長に就任し、農林水産大臣の山田正彦は小沢一郎を支持していたため、鹿野が山田に代わり農林水産大臣に任命された。 |
| 就任直後、政策秘書が、政策秘書の知人の居酒屋社長とその従業員の間の紛争示談を仲介したことが週刊誌で報道された。 |
| 2011年1月の菅再改造内閣発足に際し、菅直人首相が推進の立場を取るTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に対して、「アジア太平洋の経済連携にはTPP以外の選択肢もある」と態度を明確にしていなかったため留任は微妙との見方もあったが、最終的に留任した。 |
| 諫早湾干拓事業で漁業関係者らによる有明海の環境変化とそれによる漁業被害を巡る裁判で福岡高等裁判所は2010年12月6日、「5年間の潮受け堤防排水門開放」を国に命じる判決を言い渡した。 |
| 2011年1月15日、農林水産省としての「上告・開門調査」の意向を覆し、菅首相が上告を断念すると表明したことで判決が確定した。 |
| 佐賀県をはじめとする漁業を優先とする近隣県はこの上告断念を高く評価したが、長崎県は防災、農業経営の継続という観点から強く反発した。 |
| 鹿野の意思とは異なる総理決断であったが、1989年に諫早湾干拓事業が着工した際の農林水産大臣であったこともあり、閣僚の一人として長崎県の開門反対派に謝罪するため1月23日長崎県諫早市を訪問した。 |
| 中村法道長崎県知事の抗議をはじめ2時間半にわたる怒声の中で鹿野は「皆様方に申し訳ない」と何度も謝罪した。 |
| 2011年2月19日、反捕鯨団体「シーシェパード(SS)」が南極海で日本の調査捕鯨船に妨害行為を続けている問題で、執拗な攻撃からの調査団員、船員の安全確保が第一であるとし、南極海での調査捕鯨活動をやむなく中止し船団を早期に帰国させることを決めたことを閣議後会見で明らかにし、調査捕鯨船は帰国した。 |
| 閣僚の不祥事・不手際などで低迷が続いた菅内閣の中では安定した仕事ぶりで、農林水産大臣として事務方の評価も高かった。 |
| 民主党参加以降は必ずしも代表候補とはみなされていなかったが、党内で数少ない経験豊富な議員であること、激しい対立を繰り広げていた菅執行部・小沢派どちらとも等距離を保つ中間派とみなされていたことから、2011年初頭から「ポスト菅」として鹿野の名前が一部で報じられていた。 |
| 同年8月に菅首相が退陣の意向を表明すると、鹿野と共に働く篠原孝・筒井信隆両農林水産副大臣ら有志議員が19日に代表選への立候補を要請、「政治人生の中で最も重い要請を頂いた」と前向きに応じる構えを見せ熟慮を重ねていた。 |
| 8月26日に首相が退陣を正式に発表したことを受け、2011年民主党代表選挙への出馬を正式に表明。 |
| 大畠章宏国土交通大臣を選対本部長に迎えた。 |
| 記者会見において、消費税は経済状況が好転しない限り増税しないことや、原発は安全を点検し情報を開示した上で再稼動に理解を求めることを主張した日本経済新聞2011年8月28日朝刊。 |
| 選挙戦では、海江田万里経済産業大臣との決戦投票になった場合に反小沢票が鹿野に集まることを警戒した海江田陣営の切り崩しに遭う |
| 5人が立候補した8月29日の民主党代表選挙では52票で4位 |
| 野田佳彦と海江田万里の2名による決戦投票では、上着を脱いで野田への投票を合図し、野田代表選出に一役買った |
| 代表選後の8月31日、自身を支持した議員35名と共に政策グループ(鹿野グループ)を立ち上げた |
| 9月2日に発足した野田内閣でも農林水産大臣に再任され、また、鹿野グループからは前田武志が国土交通大臣として入閣を果たした。 |