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つながりの強いひと
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橘奈良麻呂
奈良時代の貴族。左大臣橘諸兄の子。正四位下・参議。贈正一位・太政大臣。2代目橘氏長者。 |
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安宿王
奈良時代の貴族。天武天皇の後裔で、左大臣・長屋王の五男。もと皇族であったが臣籍降下、氏姓は高階真人。官位は正四位下・内匠頭。 |
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長屋王
奈良時代の皇族、公卿。正二位左大臣。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。 |
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大伴古麻呂
大伴古麻呂(おおとものこまろ、生年不詳-天平宝字元年7月4日(757年7月24日))は奈良時代の貴族。父親については複数の説があり確実なことは不明だが、右大... |
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塩焼王
日本の奈良時代の皇族。のち臣籍降下し氷上塩焼と称した。官位は従三位・中納言。 |
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藤原不比等
母
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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藤原仲麻呂
奈良時代の公卿。名は仲麿または仲丸とも記される。淳仁朝以降は改姓・改名し藤原恵美押勝(ふじわらえみのおしかつ)。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智... |
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親王
東アジアにおいて、最高位の皇族男子に与えられる称号。もともと中国諸王朝(魏朝以後)において用いられ、日本や、朝鮮(大韓帝国期)、ベトナムにおいても... |
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孝謙天皇
日本の第46代天皇(在位:天平勝宝元年7月2日(749年8月19日)-天平宝字2年8月1日(758年9月7日))。父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后... |
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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橘諸兄
奈良時代の政治家・元皇族。敏達天皇の後裔で大宰帥美努王の子。元の名前を葛城王(葛木王・かつらぎのおおきみ)。正一位・左大臣。井出左大臣または西院大... |
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光明皇后
奈良時代の人。聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養三千代(橘三千代)の娘であり、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。名は安宿媛(あすかべひめ)。光明... |
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佐伯全成
奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は従五位上・陸奥守。 |
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天武天皇
7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。 |
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道鏡
奈良時代の法相宗の僧。物部氏の一族の弓削氏の出自で、弓削櫛麻呂の子。俗姓が弓削連であることから、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。兄弟に弓... |
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草壁皇子
天武天皇と皇后鸕野讃良皇女(持統天皇)の皇子。妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である阿陪(あへ)皇女(後の元明天皇)。元正天皇・吉備内親王(後... |
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高市皇子
日本の飛鳥時代の人物で、天武天皇の皇子(長男)である。旧仮名遣いでの読みは同じ。後皇子尊(のちのみこのみこと)と尊称される。672年の壬申の乱勃発時、... |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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プロフィール
黄文王(きぶみおう、生年不詳-天平宝字元年7月4日(757年7月24日))は、奈良時代の皇族。 左大臣・ 長屋王の子。母は 藤原不比等の娘長娥子。官位は従四位上・散位頭。
経歴
| 天平元年(729年)に発生した長屋王の変では多くの兄弟が死罪となったが、藤原不比等の外孫であったことから死を免れる。 |
| 天平9年(737年)従五位下に叙爵され、天平11年(739年)従四位下、天平12年(740年)従四位上と順調に昇進するが、以降昇進は停滞した。 |
| また、天平13年(741年)散位頭に任ぜられ、天平20年(748年)の元正上皇崩御、天平勝宝8年(756年)の聖武上皇崩御に際しては装束司を務めた。 |
| 天平宝字元年(757年)7月に発生した橘奈良麻呂の乱に際し、奈良麻呂により皇位に擁せられたが、道祖王らと共に捕らえられ、久奈多夫禮(くなたぶれ=愚かな者)と改名させられた後、杖で何度も打たれる拷問を受けて卒去した。 |
官歴
| 天平9年(737年)10月20日:従五位下。 |
| 天平11年(739年)正月13日:従四位下。 |
| 天平12年(740年)11月21日:従四位上。 |
| 天平13年(741年)7月3日:散位頭。 |
| 天平20年(748年)4月22日:装束司(元正上皇崩御)。 |
| 天平勝宝8年(756年)5月3日:装束司(聖武上皇崩御)。 |
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