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プロフィール
- 黒江透修とは
- 経歴
- エピソード
- 年度別打撃成績
- 通算監督成績
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 解説者としての出演番組
- 関連項目
黒江透修(くろえゆきのぶ、1938年12月12日-)は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、監督、野球解説者、野球評論家。愛称は「豆タンク」(165cmと小柄で、なおかつ太っていたのが由来)。
経歴
| 鹿児島高校から杵島炭鉱、日炭高松、立正佼成会を経て、1964年に読売ジャイアンツ(巨人)に入団。 |
| 165cmと小柄ながら堅実な守備で、土井正三とともにV9巨人の内野の要となった。 |
| 1967年には129試合に出場し、.278の好打率を残し、レギュラーに定着した。 |
| 1968年には遊撃手でベストナインに選出される。 |
| 以降、まで毎年ほぼフル出場、打率.270前後とコンスタントな成績を残す。 |
| しかし、より河埜和正に遊撃手を明け渡すようになり、同年限りで現役引退{{G5000|堅実な守備、コーチとしての指導能力の評価が高い旨記されている。 |
| p.51}}。 |
| 引退後は、指導者として主に名参謀として活躍し、長嶋茂雄、近藤貞雄、広岡達朗、森祇晶、江尻亮、王貞治、渡辺久信らを支えた。 |
| コーチ歴はまで横浜ベイスターズ一軍ヘッドコーチ(2002年は打撃コーチも兼務していたが、監督の森祇晶解任に伴いシーズン途中より監督代行)を歴任。 |
| 6球団のうち4球団で優勝、西武と福岡ダイエーでは日本一に貢献している。 |
| 野球解説者、野球評論家としては1979年~1980年まで日本テレビ、1986年~1989年までテレビ東京、1995年はテレビ朝日、1997年は文化放送・東京中日スポーツで解説者・評論家を務めた。 |
| 2003年~2007年までは東京中日スポーツ、JSPORTS(主に西武、ロッテの本拠地ゲームの試合)、東海ラジオで評論家を務めた。 |
| 一時期、NHK(BS1)でも野球解説者を務めていた。 |
| 2009年4月から全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の新理事長に就任し2年間務め、2011年3月18日に再任された |
| 再び、JSPORTS(ロッテ戦、2009年のみ)、東京中日スポーツの野球解説者を務めている。 |
エピソード
| 子供のころ右手に大怪我を負い、その影響で送球がクセ球になる(ややシュート気味の変化球のようになり一塁手をはじめ他の野手がキャッチしにくくなる)ことを守備面で大きなネックとしていた。 |
| 当時投手コーチだった藤田元司と座布団にボールをぶつけるという特訓でクセの無い送球を出来るようになった(月刊ジャイアンツに連載されていた、過去の選手をテーマとした漫画で黒江が取り上げられた際に描かれていた)。 |
| 遠征中の宿舎においては、土井正三とともに常に長嶋茂雄とは同部屋であったので、夜中でも素振りに付き合わされた。 |
| それは土井と黒江が畳を頭の上にのせ、畳に沿って長嶋が素振りをするものである。 |
| しかし長嶋はスイングに納得せず、畳を担いだまま2時間、中腰のまま部屋の中を走り回ったという。 |
| 現役時代の1967年、鹿児島県人が多い大相撲の井筒部屋で自主トレを行ったことがある。 |
| 「週刊ベースボール」2011年1月31日号(懐かしのプロ野球自主トレ企画)では、当時現役だった鶴ヶ嶺(後の井筒親方)の下、黒江がテッポウをしている写真が掲載された。 |
| 第一次長嶋政権時の巨人コーチ時代に悪ふざけでクライド・ライトの乳首を押したところ、反撃に遭い殴られてしまった。 |
| 1982年の最終戦(大洋vs.中日)にて、首位打者のタイトル争いでトップにいる大洋の長崎啓二を僅少差で追いかけていたチームメイトの田尾安志が敬遠攻めに激怒。 |
| 絶対に当たらない敬遠球に空振りを2球続けたあと黒江が三塁コーチボックスから飛び出し、「俺たちはお前が首位打者だと思っているから馬鹿な真似はよせ」と田尾をなだめたという。 |
| 西武のコーチだった1985年、広岡達朗監督が痛風で欠場したため、監督代行として初采配を振った近鉄戦で西武のリーグ優勝が決定した。 |
| 試合終了後に胴上げされ、大阪府内で優勝祝賀パーティーをしたが、ビールかけはせず、改めて帰京して広岡が復帰後、ビールかけを西武球場内で行った。 |
| 1997年オフ、ダイエーの助監督に就任。 |
| 会見では「ワンちゃんを男にする」とコメント。 |
| 早速背広姿のままグラウンドで選手たちに挨拶を行っている最中、熱弁の余りか二度にわたって差し歯が飛ぶというハプニングがあった。 |
| 1999年、キャンプ中の朝の声出しで「冥土の土産に胴上げ(=優勝)をお願いします!」と叫んだところ、本当にダイエーが優勝した。 |
| また優勝祝賀会のスピーチの際には城島健司などの主力選手から「冥土の土産!」と野次を飛ばされた。 |
| 2000年にリーグV2を達成した際、王監督に続いて胴上げされた。 |
| 巨人時代のチームメイトでダイエー助監督時代の監督だった王貞治は「クロちゃんは選手に好かれようとしない、嫌われてもズケズケモノを言うのが一番いいところ」と語っている。 |
| 横浜のヘッドコーチに就任した2001年、チームカラーにちなんで白髪をブルーに染めたことがある。 |
表彰
| ベストナイン:1回(1968年)。 |
| 日本シリーズ優秀選手賞:2回(1970年、1971年)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:6回(1967年-1969年、1971年-1973年)。 |
| 通算1000試合出場:1973年7月8日(167人目)。 |
背番号
| 67(1964年-1967年)。 |
| 5(1968年-1974年)。 |
| 75(1975年-1978年)。 |
| 65(1981年-1983年)。 |
| 82(1984年-1985年、2001年-2002年)。 |
| 85(1990年-1994年)。 |
| 77(1996年)。 |
| 81(1998年-2000年、2008年)。 |
解説者としての出演番組
| PRIDE&SPIRIT日本プロ野球-出演していた、日本テレビのプロ野球中継の現行タイトル。 |
| 全力闘球-出演していた、テレビ東京のプロ野球中継の現行タイトル。 |
| 激生!スポーツTODAY-テレビ東京。 |
| ゴールデンナイター/パワーアップナイター/プロ野球中継-テレビ朝日。 |
| 文化放送ライオンズナイター(1997年)。 |
| 文化放送ホームランナイター(1997年)。 |
| JSPORTSSTADIUM(西武戦、ロッテ戦、2003年~2007年、2009年)。 |
| 東海ラジオガッツナイター(2003年~2007年)。 |
| NHKプロ野球-BS1。 |
| プロ野球まるごと中継熱闘!BS11ナイター(西武戦、2009年)。 |
関連項目
| 鹿児島県出身の人物一覧。 |
| 読売ジャイアンツの選手一覧。 |
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1938年
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黒江 透修(くろえ ゆきのぶ)は、鹿児島県出... |
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1964年
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読売ジャイアンツ(巨人)に入団 |
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