| 夏目漱石の小説『吾輩は猫である』で猫の主人となる苦沙弥先生は、作者と同じく鼻毛を抜いて原稿用紙に植え付ける癖があり、別のところでは白髪の鼻毛を見せて妻を追っ払うシーンがある。 |
| 短編『硝子戸の中』でも鼻毛を抜くシーンがあり、漱石は最も鼻毛にこだわりを持つ文学者と言えよう。 |
| 正岡子規の『萬葉集を讀む』には、歌で韻律を重要視する文法至上主義は、感情を制する弊害があり、文法の例には歌を引く学者を揶揄した上で、矛先は文法御用歌人に向かう。 |
| そこには鼻毛を使った秀逸な揶揄表現がある。 |
| 「但文法の例に引かるゝやうな歌をつくりて滿足し居る歌人の鼻毛こそ海士が引く千尋繩(ちひろたくなは)よりも長かめれと氣の毒に思はるゝなり。 |
| 1920年に『赤い鳥』に掲載された、宮原晃一郎『漁師の冒険』には、おかしみのあるファンタジーの道具として鼻毛が登場する。 |
| 漁師である仙蔵と次郎作が、巨人の島に流され、スイカを食べる。 |
| スイカ畑で二人をとらえた巨人の孫とおじいさんであったが、ある日おじいさんが孫にこう提案したことから、もうひとつの漁師たちの冒険が始まる。 |
| 「これ/\孫や、俺(わし)にお前の虫を貸してくれまいか。 |
| 」「おぢいさん、貸してあげてもいゝですが、何をなさるんですか?」「あのね、あの虫は大変賢いだらう。 |
| だから俺(わし)の鼻の孔(あな)に沢山毛が生えて、垢(あか)もついてゐるから、毛をかつたり垢を掃除したりさせるのだよ。 |
| 夢野久作の随筆『鼻の表現』には、「鼻毛が長い」「鼻毛をよむ」「鼻毛を勘定する」など、鼻毛のほか、鼻という部位を使った慣用句をユーモラスに綴っている。 |
| 夢野久作『超人鬚野博士』の「惜しい鼻柱」には、鬚野博士がバレンチノ似の若い色男医学士・羽振とのユーモラスな鼻毛論争の末、鼻柱を引っ剥がす。 |
| 成る程のう……ところで加賀の国の何代目かの殿様は、家老や奥女中から笑われるのも構わずに鼻毛を一寸以上伸ばして御座ったという話だが、アレは君が教えたのか」(中略)「よく知らん知らんと云うのう。 |
| それじゃ鼻毛のよく伸びる奴は、大てい女好きで長生きをするものだが……俺なんかは無論、例外だが……アレはやっぱりホルモンの関係じゃないのか」「サア、わかりませんが。 |
| 研究中ですから……」「そんな研究ではアカンぞ」「ヘエ、相済みません」(中略)「成る程、君はその方の専門だったね、失敬失敬。 |
| 今の鼻毛の話よ。 |
| 鼻毛は健康の礎(もとい)……ホルモンのメートルだという……」。 |
| 宮本百合子『氷蔵の二階』にあるのは、鼻毛抜きに関する徹底的なリアリズム。 |
| 「眺め飽きると、志野は手を延し、脇の小棚から懐中鏡をとり出した。 |
| 鏡を開いて片手に持ち、片方の指で頻りに鼻毛を抜き出した。 |
| 円いくくれた顎をつき出し、一心に目を据えてぐっと引張るが、なかなか抜けて来ない。 |
| 小熊秀雄の詩『初雪の朝』には、「鼻毛をくすぐるほどの柔かい風に吹かれて」という、ユーモラスな表現がある。 |
| 太宰治が『日本永代蔵』巻五の五、三匁五分曙(あけぼの)のかねを翻案した『新釈諸国噺』の『破産』では、女房が放蕩夫へ、悋気混じりにこう痛罵する。 |
| 「あたしの田舎の父は、男というものは野良姿(のらすがた)のままで、手足の爪(つめ)の先には泥(どろ)をつめて、眼脂(めやに)も拭(ふ)かず肥桶(こえおけ)をかついでお茶屋へ遊びに行くのが自慢だ、それが出来ない男は、みんな茶屋女の男めかけになりたくて行くやつだ。 |
| (中略)くやしかったら肥桶をかついでお出掛けなさい、出来ないでしょう、なんだいそんな裏だか表だかわからないような顔をして、鏡をのぞき込んでにっこり笑ったりして、ああ、きたない、そんな事をするひまがあったら鼻毛でも剪(つ)んだらどう? 伸びていますよ、くやしかったら肥桶をかついで」。 |