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つながりの強いひと
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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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山田美妙
日本の小説家・詩人・評論家。SF・ミステリ作家の加納一朗は孫。 |
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見坊豪紀
日本の日本語学者・辞書編纂者である。『三省堂国語辞典』の編纂者として辞書史に大きな業績を残した。 |
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斎藤勇
斎藤勇(さいとうたけし、1887年2月3日-1982年7月4日)は英文学者。文学博士。日本学士院会員。 |
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井上哲次郎
井上哲次郎(いのうえてつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日)-1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代に活躍した日本の哲学者であり、1884-90年、7年近... |
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神田乃武
日本の英語学者。能楽師・松井永世の次男として江戸に生まれる。幼名は松井信次郎。神田孝平の養子となる。明治4年(1871年)、公使森有礼に従って渡米、アマ... |
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服部宇之吉
中国哲学者。東京大学卒。東京帝国大学教授、ハーバード大学教授、東方文化学院院長などを歴任。帝国学士院会員。福島県出身。 |
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渋沢栄一
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主... |
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新渡戸稲造
流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。拓殖大学名誉教授。 |
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南条文雄
日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。南條文雄とも表記される。字は碩果、松坡。近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観... |
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佐竹秀雄
佐竹秀雄(さたけひでお、1947年-)は国語学者。武庫川女子大学文学部教授、同言語文化研究所の所長。大阪府生まれ。横書きの国語辞典「デイリーコンサイス国... |
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沖森卓也
日本の日本語学者、立教大学教授。専攻は日本語学。 |
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萱野茂
日本のアイヌ文化研究者(学術博士)であり、彼自身もアイヌ民族である。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館... |
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上田竹翁
明治・大正・昭和期に活躍した文人。写真研究家。『藝術冩眞』主幹、「コダック研究会」幹事。 |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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大正九年
日本のミュージシャン。静岡県出身。作詞・作曲からボーカル、編曲・打ち込み・サンプラーまで全て一人でこなす。小学生時代から作詞作曲を行い、学生時代に... |
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阪倉篤義
阪倉篤義(さかくらあつよし1917年5月23日-1994年10月22日)は日本の国文学者・国語学者。京都大学名誉教授。 |
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松村明
日本の国語学者、東京大学名誉教授。『大辞林』の編纂者として知られる。 |
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坂間勇
日本の物理学者。茨城大学助教授。駿台予備学校講師。 |
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プロフィール
齋藤精輔(さいとうせいすけ、1868年-1937年)は、三省堂創業期の辞書編集者で編纂者。約50年間にわたって辞書の編集を続け、日本における近代的辞書の礎を築いたひとり。
生涯
| 山口県に生まれ、毛利公爵家の私教師をしながら東京農学校に通っていたが、三省堂創業者の亀井忠一に請われて同校を退学し、辞書編纂の仕事に没頭。 |
| 『博言博士イーストレーキ、文学士棚橋一郎共著、ウェブスター新刊大辞書和訳字彙』を刊行して成功を収める。 |
| 英語には「教壇英語」と「辞書英語」があるというのが齋藤の信念で、「教壇英語」は現代でいうコミュニケーションのための英語、意味を通じさせることを目的とした英語でこと足りるが、「辞書英語」は和漢英の教養をもった編者によって練られた、文語として洗練されたものであるべきだと考えていた。 |
| 彼はさらに、みずから黒子に徹し、イーストレーキのような外国人や、棚橋一郎のように学位を持った人間の名前を借りることで辞書に権威づけをするという戦略をとった。 |
| その後も裏方に徹した辞書編纂を続け、そのことが彼の人脈を拡げることにもつながった。 |
| 地理書や教科書の編集にも関わるいっぽうで、漢和辞典の編纂もおこない、また山田美妙の日本大辞典の版権を買って、それを基に『帝国大辞典』を手がけるなどした。 |
| 辞書編集にたずさわるうち、彼は日本で近代的な百科辞典を編纂、刊行することの必要を強く感じるようになる。 |
| 三省堂から『日本大百科辞典』の刊行を企て、大隈重信等の著名人の名を編者にかかげ、五巻まで刊行したが、莫大な資金がかかったために三省堂が倒産してしまう。 |
| その後、大隈らがこの百科辞典を完成させるべく実業家、学者、華族、政治家を巻き込んで運動を起こし、大正九年に無事全十巻刊行の偉業を達成することができた。 |
| 「日曜祭日の休日を廃し、連日連夜校正の事に当たる」(『辞書生活五十年史』)徹底ぶりで出版界を牽引し、日本における百科事典編纂の歴史にその名を残したパイオニアであった。 |
略歴
| 編者名はどちらもあまり記載がなく、「三省堂の100年」などを参照-->。 |
| 1868年-周防国岩国(現在の山口県岩国市)に生まれる。 |
| 1880年-山口県に初めて作られた中学校(旧制)に第一期生として入学する。 |
| 1881年-亀井忠一が神田神保町に古書店として三省堂書店を設立。 |
| その後、出版にも進出。 |
| 1887年-亀井に懇願され、東京農学校(現在の東京農業大学)を退学し、三省堂の編集者となる。 |
| 1888年-『ウエブスター氏新刊大辞書和訳辞彙』イーストレーキ,棚橋一郎。 |
| 1891年-三省堂編修所が設置される。 |
| 1892年-神田大火により三省堂消失。 |
| 1896年-『ブリンクリー和英大辞典』ブリンクリー,南条文雄,岩崎行親。 |
| 1903年-『漢和大字典』三省堂編修所。 |
| 1906年-『日本百科大辞典』を全2巻で構想。 |
| 1907年-『辞林』金沢庄三郎。 |
| 1908年-『日本百科大辞典』大隈重信の第1巻。 |
| 発刊を記念する園遊会が大隈邸で開かれ、渋沢栄一などが出席。 |
| 1911年-『模範英和辞典』神田乃武。 |
| 1912年-『日本百科大辞典』を第5巻まで刊行した段階で資金不足に陥り、三省堂が倒産。 |
| 1913年-実業家、学者などによる日本百科大辞典完成会が資金を援助。 |
| 1915年-三省堂書店の出版、製造部門が独立し、株式会社三省堂が設立される。 |
| 1917年-『ABC引き日本辞典』井上哲次郎,服部宇之吉,新渡戸稲造ほか。 |
| 1919年-『日本百科大辞典』全10巻が完結。 |
| 1925年-『広辞林』金沢庄三郎。 |
| 1928年-『三省堂英和大辞典』三省堂編修所。 |
| 1931年-『図解現代百科辞典』。 |
| 1934年-『新修百科辞典』。 |
参考文献
| 齋藤精輔『辞書生活五十年史』1991年図書出版社ISBN4-8099-0502-0。 |
| 『三省堂の百年』1982年三省堂。 |
| 『三省堂図書目録1995』1995年三省堂。 |
| 惣郷正明『辞書風物誌』1970年朝日新聞社。 |
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