| 東京都板橋区出身。 |
| 3姉妹の末っ子として誕生し、芸事の好きな母の影響で4歳でタップダンスを習い、5歳の時日劇にて初舞台を踏む。 |
| 小学2年の時、神奈川県藤沢市辻堂へ転居。 |
| 藤沢市立辻堂小学校を卒業。 |
| 藤沢市立湘洋中学校へ進学。 |
| 中学2年の時、大田区立大森第三中学校へ転校。 |
| 中学3年の時、新宿区立大久保中学校(現在の新宿区立新宿中学校)へ再転校栃内良「ちあきなおみ、その沈黙の理由」『団塊パンチ3』、135-136頁、2006年、飛鳥新社ISBN9784870317437。 |
| 米軍キャンプ、ジャズ喫茶やキャバレーで歌ったり、演歌歌手としての修行をしたり、下積み時代の10代は芸名を変えながらいわゆるドサ回りで全国を回る。 |
| 橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務める。 |
| 実力のあったちあきはすでに一家にとって大黒柱的存在になっていた。 |
| 日本コロムビアのオーディションを受け保留となり、作曲家鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受け、1969年21歳の時「雨に濡れた慕情」で念願の歌手デビュー。 |
| デビュー当時のキャッチフレーズは「苗字がなくて名前がふたつ」「魅惑のハスキーボイン」芸名は当時フジテレビプロデューサー千秋予四夫のせんしゅうをちあきと読ませ、坂本龍馬の本名直柔からなおみとした。 |
| 作詞家の吉田旺はデビュー曲のほかに大ヒットとなった「喝采」「紅とんぼ」「冬隣」など数々の曲を作り上げてきた。 |
| 今でもちあきと交信できる数少ない人物である。 |
| 1970年に「四つのお願い」がヒットし、人気歌手となる。 |
| 同年『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場、以降1977年まで8回連続出場。 |
| その後、「紅とんぼ」のヒットで1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に11年ぶりの出場を果たした。 |
| 「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃はいわゆるお色気アイドル路線にて活躍。 |
| 『元祖どっきりカメラ』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』など、歌手でありながら体当たりな仕事もこなした。 |
| 1972年、代表曲となる「喝采」が第14回日本レコード大賞を受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計で80万枚を売り上げる大ヒットとなる。 |
| この曲は当時ちあきの実体験を元にして作詞されたという触れ込みでプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。 |
| 実際には前座歌手時代に兄の様に慕っていた若手役者が急死した体験を持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために「実体験」とすることでプロモーションに活かすという戦略をとったといわれている。 |
| レコード大賞受賞後も1973年に「夜間飛行」、1974年に「円舞曲」などのポップス系ヒット曲を発表する一方、演歌では船村演歌ならやってみたいと1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し(酒場川のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」などの作曲家船村徹の作品を多く歌った。 |
| またニューミュージックのアーティストに楽曲提供を受け、1977年に中島みゆきの「ルージュ」や友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。 |
| さらに1980年代前半にはアルバム『それぞれのテーブル』でシャンソン、『THREEHUNDREDCLUB』ではスタンダードジャズ、そしてポルトガル民謡のファドを歌ったアルバム『待夢』を発表するなど洋楽のカバーアルバムを発表。 |
| 1976年2月、テレビドラマ『大都会闘いの日々』第8話に、「俺の愛した、ちあきなおみ」(脚本倉本聰、監督村川透)というサブタイトルをもつ作品が制作、放映された。 |
| 実在する現役歌手がサブタイトルにフィーチャーされること自体異例であり、ちあきおよび彼女の楽曲「喝采」がドラマの内容に深く関わっているものであった。 |
| 1978年に郷鍈治と結婚。 |
| 以降は歌手としてのテレビ出演の機会が減ったが、レコーディングはマイペースながらも精力的に行われた。 |
| また、本人の演劇性やコミカルな面を活かし、女優やタレントとしての才能も買われ、テレビでの活躍の場を広げた。 |
| 1987年からの大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMシリーズでは、癖のある主婦を好演(怪演)。 |
| 1990年の自転車に乗った共演者・美川憲一に「もっと端っこ歩きなさいよ」と注意されるバージョンは話題を呼び、美川の再ブレイクのきっかけにもなった。 |
| 水原弘のオリジナル曲をカバーし1991年に発表された「黄昏のビギン」は同年(京成電鉄・スカイライナー)と1999年-2003年(ネスカフェ・プレジデント)に、戦後間もない頃に小畑実が歌った曲をカバーした「星影の小径」は1986年(AGFマキシム・レギューラーコーヒー)、1992年(Audi)、2006年(キリンビバレッジ「実感」)にテレビCMに使われた。 |
| 「かもめの街」や「冬隣」、現時点でのラストシングル「紅い花」などを作曲した杉本眞人は「もっとも尊敬する歌手はちあきなおみ」と語る。 |
| 1992年に郷鍈治と死別。 |
| 郷が荼毘に付されるとき、柩にしがみつき「私も一緒に焼いて」と号泣したという。 |
| 郷の死去以降は一切の芸能活動を停止。 |
| 引退宣言もないまま現在まで公の場所にも全く姿を現していない。 |