| 1988年、大阪府枚方市にある関西外国語大学短期大学部穂谷学舎で同じクラスになり、出会う。 |
| 2人が2回生の時、増田が岡田を芸能界に誘うが、岡田が嫌がる。 |
| 卒業後、増田は関西外国語大学に3年編入学、岡田は専門学校へとバラバラになる。 |
| ちなみに、増田が岡田を誘ったのは、元々、それぞれが別々の友人とコンビを組んでいたが、増田が岡田のコンビのネタを見たときに、それをとても面白く思い、ネタを作ったのが岡田だったために誘ったとされている。 |
| しかし、実際には、岡田のコンビのネタはマイナーな4コママンガのパクリで、実際にネタを作ることはできなかったという。 |
| 但し、大阪ローカルでは岡田の男前に惚れ込んだ為に客寄せパンダのつもりでコンビを組みたかったとコメントしている。 |
| 学生時代の岡田はハーフのような濃い顔のイケメンだった。 |
| 増田は4回生で学園祭実行委員となり、イベントの司会などをしているところを、松竹芸能の難波規精マネージャーの目に止まり、スカウトされる。 |
| 再び岡田を芸能界に誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うが、3ヶ月後、岡田がやはり嫌がり、増田は広告代理店「大広(同期に佐々木蔵之介がいる)」、岡田は文具メーカー「クツワ」へと、内定していた就職先に就職し、再び2人はバラバラになる(増田は岡田に拘るあまり就職先の上司が岡田に見えた事がある)。 |
| 就職して4ヶ月たったある日、短大時代の友人の結婚パーティーで久しぶりに2人は再会。 |
| 「サラリーマンの仕事がおもしろくない」ともらした岡田を増田が遂に口説き落とした。 |
| 1993年1月、2人はそれぞれの会社を退職。 |
| 正式に松竹芸能タレント養成所に入所し、コンビを組む。 |
| 1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。 |
| 1994年2月、第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞。 |
| 1994年8月、GAHAHAキング(テレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く。 |
| グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。 |
| 1994年4月8日、超若手の時代に特別番組としてオールナイトニッポンの2部(27:00-29:00)を担当し、当番組のプロデューサーに「いいね!ますだおかだ!秋から2部のレギュラーパーソナリティをやろうか!」と言われ、それが初の東京でのレギュラー番組の仕事となるはずであった。 |
| ところが、プロデューサーが人事異動となり、オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティを逃している。 |
| さらに、1998年ごろにも特番として担当した際にもプロデューサーから「4月からやろうか」と言われたが、またもプロデューサーの人事異動によりレギュラーを逃しており、2006年4月にようやく念願のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めることになった。 |
| 1996年、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、スタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)に参戦。 |
| 正統派漫才を武器に連勝を重ね、1999年には史上初となるパーフェクト(545キロバトル)を達成。 |
| その後もオンエアを重ねゴールドバトラーとなり、当時の番組記録である17戦全勝の記録を樹立した(後にタカアンドトシが18戦全勝、さらに流れ星が20戦全勝の記録を樹立)。 |
| これらの記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「爆笑オンバト初期の立役者といえば、漫才のますだおかだとコントのラーメンズと言える」と番組プロデューサーから評された。 |
| 2001年、M-1グランプリ準決勝で、松竹芸能所属芸人として初めてなんばグランド花月の舞台に立ち、優勝候補の一角として決勝進出するも4位に終わる。 |
| 2002年、本格的に東京進出。 |
| 若手時代に1度失敗しており、2度目の進出。 |
| 12月29日、本命と言われた第2回M-1グランプリで優勝。 |
| 結成10年目のため、これが最後のチャンスだった。 |
| 優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められた増田は、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。 |
| ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます!テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という言葉を残す。 |
| しかし、優勝トロフィーは後にTKOにより道頓堀に投げ捨てられた。 |
| そのため、翌年の2003年大会では手ぶらでトロフィーの返還式に来る羽目になった。 |
| ちなみに、M-1グランプリ歴代優勝コンビの中では決勝1回戦の得点「612/700点」が中川家の「596点」ただし、仮に第1回大会も第2回以降と同様の審査方式が採られていた場合の点数に次いで低い。 |
| 2007年2月27日放送の第7回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルで初優勝を果たす。 |
| 2008年6月11日に増田が「増田政夫」として歌手デビュー。 |
| 2008年10月22日に岡田がAIR BAND(ボーカル)として歌手デビュー。 |
| 2009年からはそれぞれがピンで情報番組の司会を担当しているため、コンビでのテレビ出演が減少している。 |
| またこの頃から岡田のみがテレビ番組にゲスト出演するケースが増えている。 |
| そのため2011年春のオールスター感謝祭において島田紳助に「久しぶりに二人並んでる」といじられていた。 |