| 小学生時代から仏像と怪獣が好きな少年で、京都や奈良の仏像をめぐる。 |
| 高校時代から絵描きを目指し、二浪後に武蔵野美術大学に入学。 |
| 在学中から、友人が糸井重里の事務所に勤めていたため、特に何をするでもなく入り浸り、糸井が「タダでイラストを仕上げる奴がいる」と紹介し、カットの仕事をもらっていた。 |
| 1980年に『ガロ』誌上でデビュー。 |
| ガロに持込をしたのは他に掲載させてくれる雑誌はないと周囲に言われ判断した為だが、それでも、当時編集長の渡辺和博の判断で何度もボツになった。 |
| デビュー作の「うしの日」も、一旦はボツになったが、その後、渡辺と親交の深かった糸井の「載せてあげれば?」の一言で掲載された。 |
| なお、初期の画風は現在と全く違い、デビュー前は和田誠の真似的絵柄、デビュー時は「ヘタクソなひさうちみちお」のような絵であった。 |
| 当初、ガロは汚い表紙の雑誌だと思っていたが、父親が間違えて貸し本屋でガロを借りてきてしまい、つげ義春の漫画の温泉シーンで抜いたのがきっかけであるという。 |
| 本人曰く、漫画を描くのは大嫌いであるが、完成原稿を並べて俯瞰で見ることだけが楽しみで描いているという。 |
| 1982年には講談社の発行する『週刊ヤングマガジン』のちばてつや賞で佳作を受賞。 |
| 以後、『ビックリハウス』や『宝島』などの各雑誌で、関西ネタや怪獣ネタのエッセイやイラストを執筆。 |
| 1986年に刊行された、糸井重里を「相談」役にすえた漫画集『見ぐるしいほど愛されたい』で、現在のスタイルを確立。 |
| 1980年代後半からテレビ・ラジオでの出演も増え多彩な活動を見せ始め、1989年には『いかすバンド天国』に喜国雅彦、滝本淳助(写真家)らと「大島渚」(由来は同名の映画監督の大島渚より)という名のバンドを結成し出演した。 |
| 1991年ごろには女装に凝り、いとうせいこう、安斎肇と「バギナーズ」という「女装バンド」を結成。 |
| 「ナオミ」の名でボーカルとギターを担当(安斎は「キャンディ・O」、いとうは「マリエ」)。 |
| 巧みな化粧とセクシーな衣裳で、かなりの「美女」に変身していた。 |
| バギナーズは外タレという設定で「遂に来日」「日本上陸」等と謳っていた。 |
| 1994年にはハリウッド俳優のチャールズ・ブロンソンの男気に憧れるあまり、映画俳優の田口トモロヲとユニット「ブロンソンズ」を結成。 |
| 1996年にはいとうせいこうと「TheRock'nRollSliders」を結成し、みうらが撮影した写真にいとうが突っ込みを入れるという「ザ・スライドショー」が初めて開催され、以後何度も開催される人気公演となる。 |
| 1996年には青林堂からみうら漫画のベスト選集『はんすう』が刊行。 |
| 渡辺和博が解説を書いているが、「初めてみうら先生のオフィスに玉稿をいただきにいった時は、非常に緊張した。 |
| みうら先生からは、卓越した漫画にたいする意見をいただいた」という、現実にまったく反するイヤミな内容が書かれている。 |
| 1997年に自由国民社の『現代用語の基礎知識』による新語・流行語大賞のトップテンに「マイブーム」(後述)が選出され表彰される。 |
| 2003年には自伝的コミック『アイデン&ティティ』が、田口トモロヲの初監督作品として映画化され再び脚光を浴びる。 |
| 『シベリア超特急』が縁で交流のある水野晴郎が世話人を務める日本映画批評家大賞では2004年度に功労賞を受賞。 |
| 「勝手に観光協会」などのコラムの他、エッセイ、小説など文章の世界でも活躍中である。 |
| 歌手birdとの不倫(後にみうらの子を出産)が発覚し、前夫人と2007年春に離婚した。 |
| birdとは2006年末から「パートナー」という形で共同生活をしていたが、第二子の妊娠をきっかけに2009年に入籍をした。 |
| 2008年には興福寺創建1300年記念『国宝阿修羅展』(2009年に東京・福岡で開催)にともない発足する『阿修羅ファンクラブ』の会長となる。 |
| 「阿修羅ファンクラブ」の公式ソング「愛の偶像(ラブ・アイドル)」(作曲:高見沢俊彦、作詞:みうらじゅん)は、高見沢俊彦のアルバム『Kaleidoscope』に収録。 |
| テリー伊藤の司会を務めるNHKの視聴者参加番組『テレ遊びパフォー!』にて怪獣デザインマスターを名乗り、全国より怪獣デザインを公募、その中の一枚のデザインから『長髪大怪獣ゲハラ』のシナリオを執筆し、樋口真嗣制作総指揮の短編映画として完成するまでに携わった。 |