| 当時名門に数えられていたロータスに移籍し、通算16戦目となる第2戦ポルトガルGPで自身初のポールポジション(以下:PP)を獲得した。 |
| 豪雨の決勝でもスタートから終始トップを走行、2位のミケーレ・アルボレートに1分以上の差、3位以下は全て周回遅れにする独走劇で、念願のF1初優勝を果たす。 |
| その後のシーズン前半は安定感に欠け、入賞レースがポルトガルGPのみという状況だったが、FLや連続PPを記録するなど速さは見せていた。 |
| シーズン後半は結果も安定して残すようになり、第10戦オーストリアGPから5戦連続で表彰台に登る。 |
| 特に、雨模様となった第13戦ベルギーGPでは、予選2位からスタートでトップを奪取、以後ゴールまで独走という、ポルトガルGPと類似した展開で自身2勝目を挙げた。 |
| この年は計7回のPPを獲得したものの、マシントラブルやガス欠などにより、PP数に対し優勝は上記の2回と少ないものとなった。 |
| しかし、後半に安定してポイントを積み重ねたことで、チームのエースだったエリオ・デ・アンジェリスを上回るランキング4位となった。 |
| 「予選」と「雨」に強さを見せることとなったが、一方で問題も起こった。 |
| 予選においては、車体下面・後方から立ち上がる火花などから、レギュレーション違反を疑われ車体下面が歪み、グランドエフェクトを発生しているのではないか等。 |
| セナは「「とにかくライドハイドが低い」と、火花の理由を語っていた。 |
| 検査もなされた(結果的に違反は見当たらなかった)。 |
| 決勝においてはダーティーな走りが問題にされ、特に第4戦モナコGP予選では、他者のタイムアタックを妨害したとしてアルボレート、ニキ・ラウダらに非難され、後にセナが謝罪する事態となった。 |
| アンジェリスがシーズン後にブラバムへ移籍し、ロータスは後継のドライバーにデレック・ワーウィックを推そうとしたが、セナは強硬に反対し、ワーウィックの移籍は破談になった。 |
| 当時のワーウィックは実力者と評価されており、イギリスのチームであるロータスに同国籍のワーウィックが加入した場合に、チーム内での自分の立場が危うくなると感じての行動であった。 |
| このため、後継ドライバーは新人のジョニー・ダンフリーズとなった。 |
| 前年は名目上No.2ドライバーであったが、この年よりチームのNo.1ドライバーとなる。 |
| 第2戦スペインGPにて、背後に迫るマンセルを0.014秒という僅差で抑えきり、シーズン初勝利を記録。 |
| 完全ドライのレースでのF1初勝利ともなった。 |
| これを含めシーズン前半は手堅くポイントを獲得し、混戦の中で自身初のチャンピオン争いを経験することとなった。 |
| しかし、第7戦デトロイトGPでシーズン2勝目を挙げて以降、エンジンを中心にトラブルが続き、リタイヤが多くなっていった。 |
| 第13戦イタリアGPにおいては、クラッチ・トラブルでスタート直後にリタイヤ、この時点で4戦を残しチャンピオン争いから脱落した。 |
| 最終的なランキングは4位。 |
| 予選では前年を上回るシーズン16戦中8度のPPを獲得するも、決勝においては前年同様2勝に留まった。 |
| またウィリアムズ・ホンダ勢との争いの中、その強さを身をもって体感したことで、ホンダエンジンを手にしたいとの思いを抱くようになった。 |
| ロータスとセナは念願のホンダエンジンを獲得、これに伴いホンダと縁の深い中嶋悟がチームメイトとなった。 |
| しかし実戦に投入した開発途上のアクティブサスペンション当時は技術が未熟であり、翌1988年には姿を消した。 |
| 本格採用は1992年。 |
| に不具合が多発し、苦戦を強いられる結果となった。 |
| それまでの2年間多数獲得していたPPも、この年は第2戦サンマリノGPのみに留まっている。 |
| それでも市街地で行われた第4戦モナコGP・第5戦デトロイトGPでは、タイヤの磨耗が少ないというアクティブサスペンションの利点を生かし、タイヤ無交換で走り切り2連勝を果たすが、以後はシーズンが進むに従って成績が下降していった。 |
| 第7戦イギリスGPでは3位となり、4位に入った中嶋とともにホンダエンジン勢1-4位独占の一角を占めるものの、1-2位フィニッシュを決めたウィリアムズ勢には周回遅れとされる。 |
| 第11戦イタリアGPではレース終盤までトップを走行、久々に優勝のチャンスが巡って来たが、残り3周というところで、最終コーナーにてコースアウト。 |
| ピケに抜かれて2位に終わり、この時点で5戦を残しチャンピオン争いから脱落した。 |
| このようにウィリアムズ・ホンダによって支配されたシーズンだったが、16戦中11戦入賞と、それまでと比較し勝利レース以外でも堅実な結果を残した為、ランキングは3位に上昇した(最終戦オーストラリアGPでの2位が失格とならなければ、負傷欠場したマンセルを上回りランク2位となっていた)。 |
| また、初めて鈴鹿サーキットで開催された第15戦日本GPでは、予選7位から2位でフィニッシュし、ホンダエンジンに母国での初表彰台をもたらしている。 |