| 1971年に『SecondFolkAlbum』と題するオムニバスアルバムでジョニ・ミッチェルの「TheCircleGame」を姉のアイリーン・チャンとカバー。 |
| シングル化されてヒットした。 |
| 1972年には姉と張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシア、タイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。 |
| 香港のテレビ番組『AgnesChanShow』のゲストとして知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日にワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」で日本デビュー。 |
| 当初の衣裳はロングであったが、翌年ミニスカートに変えて人気が急上昇した。 |
| 1973年7月発売の「草原の輝き」が大ヒット、同年12月に第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。 |
| 1973年10月発売の「小さな恋の物語」が自身最大のヒット曲となり、オリコンチャート1位を獲得。 |
| だが、日本デビュー曲の「ひなげしの花」及び前作の「草原の輝き」の印象が強烈である所為か、この曲は世間一般での印象が薄く、テレビの懐メロ番組でも歌われることは少ない。 |
| 1974年、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれる。 |
| また、ブロマイドの売上成績第1位を獲得。 |
| この頃のコンサートではバックバンドに鈴木慶一とムーンライダーズ、司会は植田芳暁を起用していた。 |
| 1976年には「恋のシーソーゲーム」でホットケーキがバックをつとめ、さよならコンサートなどのコンサートに参加した。 |
| 1974年、上智大学国際学部に入学。 |
| 父の勧めもあって、1976年に芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学(編入学)。 |
| 社会児童心理学を専攻。 |
| 1978年、トロント大学を卒業。 |
| 同年8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開する。 |
| 復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。 |
| レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。 |
| 1979年に香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。 |
| 日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNESINWONDERLAND不思議の国のアグネス』と『ABCAgnes』を発売。 |
| 1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。 |
| フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。 |
| 1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。 |
| 4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。 |
| 同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。 |
| 単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌をアムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた。 |
| 1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所トマス・アンド・アグネス社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。 |
| 1987年、テレビ局などへ生後まもない長男を連れて行ったことを林真理子が批判した。 |
| これを端初にアグネス論争が起こる。 |
| 「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、男女雇用機会均等法成立の時期ともあいまって、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。 |
| 1988年、飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。 |
| 1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。 |
| 東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、1994年教育学博士号(Ph.D.)を取得した。 |
| この時の論文は『この道は丘へと続く』と題して2003年に日本でも翻訳出版されている。 |
| 1994年、目白大学の助教授に就任(2008年現在は客員教授)。 |
| 国際コミュニケーション学を担当する。 |
| 1996年、香港にて三男を出産。 |
| その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。 |
| 1998年、初代日本ユニセフ協会大使に就任(後述)。 |
| 2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。 |
| 8月に台場小香港に香港雑貨店「CHAN'S」を出店、2003年にネット通販に移行したが、2010年に販売終了。 |
| 2002年には小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。 |
| 翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。 |
| 2005年にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶のコマーシャルに使われた。 |
| 9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。 |
| 10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。 |
| 2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『 |
| 12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第一弾が行われた。 |
| 年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けるも、その後早くも年明けから芸能活動を行う。 |
| 「そこには幸せがもう生まれているから」など、平和をテーマに山本伸一作詞、自から作曲した3作のシングル(内1作は2008年発売)とアルバム、それに2作の著作を出した。 |
| また、日本各地で民主音楽協会主催による日本デビュー35周年のコンサートツアーが行われており、2008年までに112回開催した。 |
| 10月31日、北京の人民大会堂で同会場初のポップス系の楽曲でチャリティーコンサートを行った。 |
| この前に初期の乳ガンが発見され、摘出手術を受けた。 |
| 11月、民主音楽協会にコンサートツアーの実績が認められ、「民音文化賞」を受賞。 |
| 9月、(財)日本対がん協会「ほほえみ大使」に就任。 |
| 自分の乳がん体験から、日本全国で催されている「リレーフォーライフ」、「ピンクリボン運動」にも参加。 |
| 12月、これまで続けて来た「歌で平和を」活動で、第50回日本レコード大賞特別賞を受賞。 |
| 2009年 9月、ブログ「アグネスちゃんこ鍋」を開設。 |
| 2月、日本ユニセフ協会大使としてソマリアの現状を視察するため、ソマリア北部で事実上ソマリアから独立状態にあるソマリランドの首都ハルゲイサを訪問。 |
| 危険に遭遇した場合に備え、これまでで三度目となる遺書を記した{{Citenews。 |
| ソマリランドはソマリア内戦が続く中にあって比較的安定している地域とも言われているが。 |
| 3月、日本武道館において民主音楽協会主催によるコンサートを32年ぶりに行い、ヒット曲のメドレーなど懐かしい曲を披露し、2月に視察を行ったソマリアの子どもたちへの思いを込めて作詞作曲した「小さな祈り」も披露した。 |
| 4月、AICニュージーランド校(AICJ中学校・高等学校姉妹校)の学園長に就任。 |
| 10月、初のプロデュース活動として、中国出身のローラ・チャンを「ひなげしの花」でデビューさせる旨を発表。 |
| 10月27日「ユニセフ新戦略=僻地の子を最優先に」(読売ホール)にてソマリアの視察報告を行い、今後の人道支援のあり方をテーマにシンポジウムを行う。 |
| 3月11日の東日本大震災で被災した子どもたちを支援するため、日本ユニセフ協会への寄付をよびかけ、自らも1000万円を寄付した |
| また、4月1日には、ジャッキー・チェンの呼びかけで香港で行われた『:zh:愛心無國界311燭光晚會』に参加、香港の救世軍を通じて被災者へ支援物資を送るための募金を呼びかけた |