| 434年、ルーア王が死去し、フン族全体を統べる者として甥のブレダとアッティラが残された。 |
| 兄弟が即位するとフン族は逃亡者(主にローマ側に雇われていたフン族兵士『アッチラとフン族』p81)の送還について東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世の使節と取り引きを行っている。 |
| 翌年、アッティラとブレダ兄弟はマルゴス(現ポジャレヴァツ)で帝国使節団とフン族の慣習に従って騎乗して会見し、ローマ側は逃亡者たちを送還するだけでなく、ルーア王に納めていた貢税を倍額の金700ローマ・ポンド(250kg)とし、市場のフン族商人への開放そしてローマ人捕虜一人当たり8ソリドゥス金貨の身代金の支払に同意する有利な条約を結んだ『図説 蛮族の歴史』p85。 |
| 送還された逃亡者の中にいた2人の少年の王族は十字架にかけられて処刑された『図説 蛮族の歴史』p85『アッチラ王とフン族の秘密』p49。 |
| フン族は条約に満足して東ローマ領から立ち去り、おそらく自らの帝国を固め強化するために、ハンガリー平原へ戻った。 |
| テオドシウス帝はこの機会を利用してコンスタンティノープルの城壁の強化、最初の海上城壁の建設そしてドナウ川沿いの国境陣地を構築した。 |
| 436年にはブルグント王国に侵攻し、グンダハール率いるブルグント軍を壊滅に追い込んでいる『アッチラとフン族』p66。 |
| File:DeNeuville-TheHunsattheBattleofChalons.jpg|thumb|200px|女性や赤子を蹂躙するフン族騎兵。 |
| デ・ノイビル画、19世紀。 |
| その後数年間、フン族がサーサーン朝へ侵略したために彼らはローマの視野の外にあった。 |
| アルメニアでサーサーン朝に敗退したため、彼らは侵略を放棄して関心をヨーロッパへ戻した。 |
| 440年、マルゴスの司教がフン族の王族の墓を暴いて財宝を奪ったとしてブレダとアッティラは罪人の引き渡しを求め『アッチラとフン族』p72、これを口実にフン族は再びローマ国境に現れ、条約によってつくられたドナウ川北岸の市場の商人たちを攻撃した。 |
| 彼らはドナウ川を渡って川沿いのイリュリア諸都市や砦を略奪し、モエシア(現セルビア-ブルガリア)のウィミナキウム(現コシュトラッツ)は完全に破壊された『アッチラとフン族』p73。 |
| フン族がマルゴスを攻めた時、侵攻の口実をつくり引き渡しを求められていた司教が密かにフン族から助命の約束を受けて城門を開き、町は陥落した『アッチラとフン族』p73。 |
| フン族がドナウ川の防衛線を制圧した頃、ガイセリックに率いられたヴァンダル族が440年に西ローマ帝国アフリカ属州の首都カルタゴを占領しており、441年にはサーサーン朝のシャー・ヤズデギルド2世がアルメニアを侵略していた。 |
| ローマ帝国の最も豊かな州であり主要な食糧供給地であったアフリカ属州をヴァンダル族から奪い返すためにバルカン半島の軍隊は剥ぎ取られ、これによりアッティラとブレダにイリュリアを経てバルカンへ入る道が開かれ、441年に彼らは侵攻した。 |
| マルゴスとウィミナキウムを略奪したフン族はシンギドゥヌム(現ベオグラード)とシルミウムを奪取した。 |
| 騒乱は442年にも続き、テオドシウス帝はシチリアから軍隊を呼び寄せ、フン族との戦争の財源として新貨幣を大規模に発行している。 |
| これらの準備を行った上で、彼はフン族の要求を拒否しても安全だと考えた。 |
| ブレダとアッティラは443年の戦役でこれに応えた。 |
| フン族はドナウ川沿いを攻撃してラチアリア(現アルカール)の軍事拠点を蹂躙し、破城槌と攻城塔を用いて(フン族にとっては最新の軍事技術だった)ナイスス(現ニシュ)の包囲を成功させた。 |
| それからニシャバ川沿いを進軍してセルディカ(現ソフィア)、フィリッポポリス(現プロヴディフ)そしてアルカディオポリスを占領した。 |
| フン族はコンスタンティノープル城外で東ローマ軍と遭遇してこれを撃破し、コンスタンティノープルの城壁の前でようやく止まった。 |
| 別の東ローマ軍もカリポリス(現ゲリボル)で敗北し、もはや対処すべき軍隊を持たないテオドシウス帝は敗北を認め、廷臣アナトリウスを送り講和条件を交渉した。 |
| 条件は以前の条約よりも厳しいものになり、皇帝は侵略時の条約不遵守の賠償として金6,000ローマ・ポンド(2000kg)の支払いを認めた。 |
| 貢税の年額は3倍にされ金2,100ローマ・ポンド(700kg)とされた。 |
| 更にローマ人捕虜の身代金は一人12ソリドゥス金貨に引き上げられた。 |
| 要求は当分の間満たされ、二人のフン王は彼らの帝国内へ引き上げた。 |
| 歴史家ヨルダネスによるとフン族が東ローマ帝国から引き揚げた和平期間(445年頃)にブレダが死に(雷に打たれた「ローマ人の物語15」p214ともローマ側の史料『図説 蛮族の歴史』p55では弟が仕掛けた狩猟中の事故で殺されたとある)、アッティラがフン族の単独統治者となった |