| 出版されたシングの日記には、ミドナプールの地方判事E・ウェイトによる宣誓供述書、さらに主教H・パケナム・ウォルシュによる、日記の内容が真実であることを保証すると述べた「まえがき」が付されているこれらは『狼に育てられた子―カマラとアマラの養育日記』1-5頁。 |
| しかし、下記の通り多くの科学者や研究者がこの事例の真実性には数多くの矛盾点があると指摘しており、シングの話は詐欺であったと結論づけられた。 |
| 多くの脚色が原因で、弁明の真実性を主張するシング自身以外立証を得ることは出来なかった。 |
| 多くの科学者や研究者はアマラとカマラは先天的障害を持った精神的知能の遅れた子供たちだと推測しているBrunoBettelheim:''FeralChildrenandAutisticChildren''in''TheAmericanJournalofSociology'',Vol.64,No.5.,March1959,pp455-467。 |
| 社会学者のウィリアム・F・オグバーンは、文化人類学者のニルマール・K・ボースとともに1951年から1952年にかけてこの逸話の真実性についての現地調査を行い、1959年に論文として発表した『野生児と自閉症児―狼っ子たちを追って』 107-244頁。 |
| それによると、アマラとカマラがシングの孤児院にいたことと、カマラが言葉を話せない子供であったことは裏づけがとれた。 |
| しかし、次のような疑問点を指摘している。 |
| #シングの親族(息子、娘)を除くと、カマラを実際に見たことがあると証言する人のうち、四つんばいで移動したり生肉を食べたところを目撃した人はひとりも確認されなかった。 |
| なお、シング夫妻は調査を行った時点ですでに死亡しており、アマラとカマラを保護した際に牧師と同行していたとされる人物たちについても死亡または行方不明となっていた。 |
| アマラの性格については信頼性のある証言は全く得られなかった。 |
| #シングの日記では、「自身がシロアリ塚から2人を救出した」と記されているが、救出したとされる日から約1年後の地方紙(「ミドナポール・ヒアタイシ」1921年10月24日付)には、「サンタル族によって救出され、のちにシングに引き渡された」と記述されており矛盾している。 |
| また、シングのもとにアマラとカマラが連れてこられたのを目撃したとの陳述もあった。 |
| #日記によると救出場所の最寄の村の名前はゴダムリとされているが、地図、税金や人口調査の記録、実地の調査を行ってもその村を発見できなかった。 |
| 1993年、オグバーンと共に、「WolfBoyofAgraandFeralChildrenandAutisticChildren」を共同執筆した発達心理学者、作家のブルーノ・ベッテルハイムは、少女2人が生まれつき精神的、身体的に障害を持って生まれてきたと述べている |
| 大学講師の梁井貴史は以下のような疑問点から、この2人がオオカミによって育てられたとすることに否定的な見解を示している外部リンクの節で示した「“オオカミに育てられた少女”は実在したか」を参照。 |
| オオカミのメスは積極的に乳を与えず、ヒトの乳児も乳首を口元に持って行かないと乳を吸わないため、授乳が成立しない。 |
| また、ヒトとオオカミでは母乳の成分が違うためヒトには消化できない。 |
| オオカミの群れは餌を求めて広範囲を移動するが、その速度は時速50kmに達し、人間の短距離走者でさえ時速35kmほどであることを考慮すると幼児が移動に耐えられるとは考えにくい。 |
| #暗闇で目が光る、犬歯が異常に発達しているなどの、生物学的にあり得ない記述が多々ある。 |
| 1975年、イギリスのチャールズ・マクリーンは、ゲゼル児童発達研究所の屋根裏で発見したジングの残した多数の文書を元に、現地調査を行った。 |
| その結果、次のことがわかった以下、『ウルフ・チャイルド―カマラとアマラの物語』 278-288頁。 |
| ただし、このことによっても、アマラとカマラが狼に育てられたことが証明されたわけではない。 |
| 後の研究で孤児院のための金銭確保を目的に口裏を合わせていたことが判明している。 |
| #オグバーンの調査の結果とは異なり、アマラとカマラがオオカミのように振舞っているのを見たという証言が得られ、シングに敵意を持っていると思われる人であっても、アマラとカマラの逸話に真実性を疑っているわけではなかった。 |
| #ゴダムリ村は発見され、名前はゴラバンダと変わっていた。 |
| 村人たちから、チュナレム(シング牧師に化け物退治を依頼した人物)が、数年前までその村にいたことの証言が得られた。 |
| さらに、近くのデンガナリア村に住むラサ・マランディという老人は、16歳だった当時にシングとともにアマラとカマラの保護に参加したと話した。 |
| #オグバーンの論文で指摘された地方紙「ミドナポール・ヒアタイシ」のほかにも、「ステーツマン」誌やシング牧師が福音伝道協会に宛てた書簡、そしてシングのかつての教師であるブラウン神父の書簡といったものに「アマラとカマラはサンタル族によって保護され、その後シング牧師に引き渡された」と記されており、いずれもシング牧師の日記と矛盾していることがわかった。 |
| なぜこのような食い違いがあるのかについて、マクリーンは詳細は不明としながらも、シング牧師が2人の救出時に狩猟者の役割をしたことを伝道協会に知られたくなかった可能性や、野生児見たさに孤児院に殺到する見物人に辟易として矛盾を含んだ話をするようになってしまったという可能性を示している。 |
| フランスの外科医、セルジュ・アロール(SergeAroles)によると、「アマラとカマラ」は野性児の考察においての最もスキャンダラスな詐欺事件であるとしている。 |
| 彼は自身の著書「L'Enigmedesenfants-loup(邦題:オオカミに育てられた謎の子供たち)」で、この事件の研究について記述した。 |
| #シングが書いたと主張する日記「dayafterdayduringthelifeofthetwowolf-girls(2人のオオカミ少女たちの毎日)」は、間違いである。 |
| これは、インドでカマラの死の6年後の1935年に書かれたものである(原稿はワシントンD.C.にあるアメリカ議会図書館の原稿部門に保存されている)。 |
| #四つ足で歩き、生肉を食べたりするなどしている2人の写真は、彼女たちが死んだ後の1937年に撮影されたものである。 |
| この写真は、ミドナプールから来た女の子たちがシングのリクエストに応じ、ポーズをとっているのを示している。 |
| その写真の中の女の子の身体と顔は、実際の写真のカマラのものとは、完全に異なるものであった。 |
| #孤児院を担当していた医師によると、(シングによってでっち上げられた)とても鋭利で長い歯や、固定された関節での四足歩行や、夜間に強い青の光を放つ夜行に適した眼などに類似したものを、カマラは一切持ち備えていなかった。 |
| #1951年から1952年にかけて集められた信頼できるいくつかの証言TheGeneticPsychologyMonographs,1959,n°60,pp117-193によると、シングは、見物人の前でカマラが自分の言ったようにするように、暴力を振るっていた。 |
| #この詐欺は、金銭的なもうけを得るために引き受けられていた。 |
| アロールは、ジングによって話の金銭的価値への確信が表現されている内容の、シングとの間で交換された手紙を見せ、シングの日記の出版の後、ジングは孤児院を維持するための資金を必要としていたシングに500USドルを送ったP.J.Blumenthal:''KasparHausersGeschwister-AufderSuchenachdemwildenMenschen''(Deuticke,Vienna/Frankfurt,2003,ISBN3-216-30632-1)。 |
| #アマラはレット症候群に冒された精神障害者だった。 |
| また、鈴木光太郎は証拠とされる写真について、別々の日に撮影されたはずの写真にもかかわらず背景が酷似しているなどの点からなんらかの作為が感じられると指摘している『オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険』、11-15頁。 |