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プロフィール
- アマラオとは
- 来歴
- 評価
- エピソード
- 所属クラブ
- 指導歴
- 監督成績
- 関連項目
- 外部リンク
アマラオ(Amaral)こと、本名ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ(WagnerPereiraCardozo,1966年10月16日-)は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。Amaral( アマラオ)という愛称は、1970年代のブラジル代表ディフェンダーだった アマラウに由来する。日本では一般的に アマラオと表記されるが、ブラジルポルトガル語の発音は アマラウ(厳密にはアマラゥ)が近い。
来歴
| 1987年、サンパウロ州の3部に所属していたコメルシアルとプロ契約。 |
| カッピバリアーノ、イトゥアーノと移籍した後、1992年に当時SEパルメイラスの監督の任に就いていたネルシーニョにプレーを認められFC東京ファンブック200075頁名門パルメイラスにレンタル移籍で加入。 |
| 移籍初戦となったフルミネンセ戦でゴールを決める。 |
| その直後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた東京ガスサッカー部から勧誘を受け、1992年5月13日に初来日FC東京ファンブック200072頁。 |
| 1994年には天皇杯上位進出、1998年には旧JFLでの優勝に貢献するなど活躍。 |
| この年の5月には東京ガスがサッカー部を翌1999年からプロクラブ化し、FC東京となる事も発表され、アマラオも引き続いてFC東京と契約しJ2リーグを戦う事となった。 |
| 1999年は一時怪我で戦線離脱したがJ2準優勝に貢献し、自身も来日9年目にしてようやく日本のトップカテゴリー・J1の檜舞台に立つことになった。 |
| 2000年のシーズン終盤には、翌年からの横浜F・マリノスへの移籍話が実現しそうになったこともあったが、結局2003年シーズン終了までの4シーズンの間、FC東京でJ1を舞台に戦った。 |
| しかしチームが若返りを図る一方で本人は現役続行を希望し、2003年シーズン終了後に退団することとなった。 |
| この際、クラブのホームスタジアムがあり、本人も当時居住していた調布市から感謝状が送られ、市役所にてセレモニーが執り行われている。 |
| 2004年からJ2の湘南ベルマーレに完全移籍したが、故障がちで目立った活躍をすることなく、2005年には日本フットボールリーグ(JFL)のFCホリコシ(現・アルテ高崎)に完全移籍、同年のJFL後期第9節三菱水島FC戦でJFL史上初の1試合5得点を記録している。 |
| 2006年8月にはチーム事情もあり、シーズン途中から選手を兼ねながら監督を経験している。 |
| 2007年は新監督を迎えた為、選手として契約を更新していたが、長年悩まされていた膝のケガの回復状態が思わしくなく、同年4月に現役引退を表明。 |
| この際、今後は日本で指導者ライセンスの獲得を目指し、将来はJリーグのクラブで監督を務めたいとコメントしている。 |
| 同年5月より、ハロー!プロジェクトのメンバーで構成されているフットサルチーム「GatasBrilhantesH.P.」のコーチに就任。 |
| また、外国籍プレイヤーとして初のJFAアンバサダーにも任命されたアマラオ以降、外国籍者へのアンバサダー認定は行われず、制度自体も2010年4月に廃止されたため、アマラオが唯一の外国籍アンバサダーとなった。 |
| 同年6月より2008年12月まで東京中日スポーツ(同紙はFC東京を応援)にコラム「KingofTalk」を連載していた。 |
| 2008年10月には、アマラオのドキュメンタリー映画『 |
| 2009年4月1日、東京ガスFC時代の同僚である浮氣哲郎が監督を務めるFC刈谷のコーチに就任する事が発表された。 |
| 同年7月3日、アマラオ自身が選手と同じ視点で指導したいとの考えから、FC刈谷のコーチ兼任での選手登録がされた。 |
| これにより2年ぶりに現役復帰したことになり、浮氣監督より年上の選手となった。 |
| シーズン終了後、2010年シーズンからの監督専任が発表された |
| 2010年は東海社会人リーグ1部2位で終わり、JFL復帰を逃した。 |
| 翌シーズンの運営費削減に伴い、同年11月24日、プロ契約監督だったアマラオの退任が発表された |
| 2011年より、『 |
評価
| FC東京のサポーターからは、キング・オブ・トーキョーの名で愛されこの呼び名のきっかけは、1997年JFL第21節・川崎フロンターレ戦に遡る。 |
| アマラオはこの試合で4ゴールを挙げた。 |
| 、今なお味の素スタジアムでFC東京が試合をする際には、KINGAMARALSTUDIUMの巨大な横断幕がゴール裏に掲げられる。 |
| 1992年から2003年シーズン終了までに記録された、東京ガス~FC東京における公式戦出場数330は、日本のクラブチームに所属した外国籍選手の「同一クラブにおける出場試合数」としては最多である(ただしクラブのJリーグ加盟が1999年からなので、Jリーグの公式記録としては1998年以前の記録はカウントされていない)。 |
エピソード
| 日本での生活も長いため、日本語もかなり流暢に話すことができる。 |
| ひらがな・カタカナであれば読む事も支障は少ない。 |
| 現役引退後日本でサッカー指導者になりたいとの希望からさらに日本語を勉強する事を希望し、公文式の国語の授業を日本の中学生のクラスに混じり勉強した東京MXTVFC東京vs横浜Fマリノス戦副音声インタビュー2007年10月6日。 |
| ブログも日本語で書いている。 |
| 来日直後からラモス瑠偉との親交が深い。 |
| 当初、ブラジルとは全く違う日本の環境や食事に馴染めずホームシックになりブラジルに帰りたがったアマラオを、東京のディスコやブラジル料理の食べられる店などに外食に連れて行き元気付けるなど、ブラジル出身の先輩として大きな支えとなった串田杢弥『KINGOFTOKYOアマラオ』ゴマブックス、2008年、50-58頁。 |
| 2008年に行われたアマラオ引退試合にも参加した。 |
| 来日当初は日本食で口に合うものがなく、「近所にあったそば屋で毎日蕎麦ばかり食べていた」(アマラオ談)。 |
| その後好き嫌いはほとんど無くなったが、魚介類は嫌いで自ら口に運ぶ事はない週刊サッカーダイジェスト2003年3月25日号99頁。 |
所属クラブ
| 1977年AAポンチ・プレッタジュニア。 |
| 1984年-1986年パルメイリーニャ(SEパルメイラスのユース)。 |
| 1987年カッピバリアーノユース。 |
| 1987年コメルシアル(loan)。 |
| 1988年カッピバリアーノ。 |
| 1989年-1991年イトゥアーノFC。 |
| 1992年SEパルメイラス(loan)。 |
| 1992年-2003年東京ガス/FC東京(1995年に完全移籍加入)。 |
| 2004年湘南ベルマーレ。 |
| 2005年-2007年4月FCホリコシ/アルテ高崎(2006年8月-12月は選手兼任監督)。 |
| 2009年7月-12月FC刈谷(コーチ兼任)。 |
指導歴
| 2006年8月-2006年12月アルテ高崎(選手兼任監督)。 |
| 2009年4月-12月FC刈谷コーチ(2009年7月から選手兼任)。 |
| 2010年FC刈谷監督。 |
| 2011年東京23フットボールクラブ監督。 |
関連項目
| Jリーグの外国籍選手一覧。 |
| FC東京の選手一覧。 |
| 湘南ベルマーレの選手一覧。 |
外部リンク
| simple:WagnerPereiraCardozo。 |
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1966年
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アマラオ(Amaral)こと、本名ワグネル・ペレ... |
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1987年
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サンパウロ州の3部に所属していたコメルシア... |
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投票数
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