| アルバートが本格的に音楽活動するきっかけとなったのは、1950年。 |
| オセオラという街でT-99クラブを経営するM.C.リーダーという男に出会ったときだった。 |
| アルバートはオセオラに移住し、このクラブのレギュラー・バンド、イン・ザ・グルーヴ・ボーイズのメンバーとなった。 |
| このバンドはT-99クラブ以外にもギグをこなし、またラジオ番組のショーでもプレイしていたという。 |
| オセオラで数年活動した後、アルバートはインディアナ州ゲイリーに拠点を移し、ジミー・リード、ジョン・ブリムらと活動するようになった。 |
| リードとブリムがギタリストであったため、アルバートはこのときはドラムスを叩いていた。 |
| この頃のリードのレコードでも彼はドラマーとして参加している。 |
| 彼がアルバート・キングという芸名を名乗るようになったのはこの頃である。 |
| "ThreeO'ClockBlues"をヒットさせたB.B.キングの成功にあやかってのことであった。 |
| 自己名義の初レコーディングは、1953年11月、パロット・レーベルでのセッションだった。 |
| ゲイリーに移住して間もなく、アルバートはウィリー・ディクソンと出会い、彼の口利きによって同レーベルでのレコーディングの機会を得たのだった。 |
| しかし、ここでは1回のセッションで5曲をレコーディングだけに終わった。 |
| (うち3曲がチェスのアルバム「DoorToDoor」収録)まだ、このレコーディングには後にみせる強烈な個性は殆ど窺い知ることができない。 |
| 当時リリースされたのは、シングル"BeonYourMerryWay"/"BadLuckBlues"の1枚のみ。 |
| 翌年にはオセオラに戻り、再びイン・ザ・グルーヴ・ボーイズでの活動を再開した。 |
| オセオラでの2年間の活動のあと、アルバートが向かったのはセントルイス。 |
| 彼のトレードマークとなるフライングVギター、ルーシーをプレイするようになったのはセントルイス時代だった。 |
| この地で活躍して人気を獲得した彼は1959年、地元のボビン・レーベルと契約。 |
| ここでの彼のサウンドはジャンプ・ブルースっぽいが、ギターもヴォーカルも彼らしい個性が花開いてきている。 |
| 3年間で同レーベルからが8枚のシングルをリリース。 |
| 中でも1961年の"Don'tThrowYourLoveOnMeSoStrong"は、R&Bチャート14位という大ヒットを記録した。 |
| 1963年にはキング、1964年にはカントリー(Coun-tree)へレコーディングを残しているが、いずれも単発的なもの。 |
| そして1966年、かの有名なスタックス・レコードと契約し、アルバートの黄金期が訪れる。 |
| スタックスではブッカー・T&ザ・MG'sがバックを付け、ファンキーでソウルフルな新たな境地と言うべきサウンドを切り開いた。 |
| 初期からいきなり"CrosscutSaw"(1967)、"BornUnderABadSign"(同)(クリームのカヴァーでも有名)などが生まれ、複数の曲がヒットチャートに登場した。 |
| これらの曲を収録したスタックス1枚目のアルバム「BornUnderABadSign」を1968年にリリース。 |
| このアルバムは歴史的名盤との評価が高い。 |
| スタックスでの成功からアルバートはフィルモア・ウェストにも出演するようになった。 |
| 1968年夏のフィルモアでの演奏はライブ盤「LiveWire/BluesPower」としてリリースされた。 |
| 1970年代に入っても、アルバートは引き続き快調なペースで活動を続ける。 |
| 1971年、アルバム「Lovejoy」をリリース。 |
| 同作ではローリング・ストーンズの"HonkyTonkWomen"を完全に自分の音に料理して見せるなど、より幅広い音楽性をみせるようになっていた。 |
| ギター・プレイのフレーズ数は決して多くない彼だが、意外にも新しいサウンドを消化する力にはたけていた。 |
| 1972年にはアルバム「I'llPlayTheBluesForYou」をリリース。 |
| 同作のタイトル曲は彼の代表曲のひとつとなった。 |
| 同年、ワッツ暴動の7周年を記念してロサンゼルスのコロシアムで行われた歴史的なワッツタックスのコンサートに出演。 |
| その様子はメル・スチュワート監督の手により、翌1973年、ドキュメンタリー映画となった。 |
| 1975年にスタックスが倒産。 |
| アルバートはユートピアへ移籍し、同レーベルとトマトから作品を発表し続ける。 |
| アラン・トゥーサンらを迎えてニューオーリンズで録音した「NewOrleansHeat」など、新たな試みも生まれている。 |
| 1978年にはB.B.キングとのジョイントで初来日。 |
| 彼は1989年にもB.B.キングとともに再来日を果たしている。 |
| 1980年代に入るとアルバートは、ファンタジー・レコードと契約し、2枚のアルバムをリリースする。 |
| いずれも快作で、特に2枚目のタイトル曲"I'mInAPhoneBoothBaby"はオリジナルのロバート・クレイとはひと味もふた味も違うアルバート節を聴かせており、アルバート健在を印象づけた。 |
| また、ゲイリー・ムーアのアルバム「StillGotTheBlues」(1990年)にゲスト参加した。 |
| アルバートのレパートリーのカヴァー"OhPrettyWoman"で、ゲイリーと共にリード・ギターを担当。 |
| 彼のラスト・アルバムとなったのが1991年の「RedHouse」だ。 |
| ギターにジョー・ウォルシュを迎え、かなりロックっぽいサウンドに仕上がっているが、ジェイムズ・テイラーの"Don'tLetMeBeLonely"などの意外な選曲で懐の深さを見せている。 |
| 1992年12月21日、彼はメンフィスで心臓発作のため急逝してしまう。 |
| その数日前にロサンゼルス郊外での公演をこなし、自宅に戻ってきた矢先の出来事であった。 |