| 1996年のNBAドラフトでフィラデルフィア・セブンティシクサーズによって全体1位で指名された。 |
| 史上最も身長が低いドラフト1位としても話題になった。 |
| 1996-97シーズン、新人ながらリーグ6位の1試合平均23.5得点、同11位の7.5アシスト、同7位の2.07スティールを記録、新人記録となる5試合連続40得点の活躍などでルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)、オールルーキー1stチームに選ばれた。 |
| アイバーソンの活躍によってシクサーズのチケットは飛ぶように売れた。 |
| ルーキーにも関わらずマイケル・ジョーダンと真正面から1対1をしかけるなど、度胸の強さを見せ付けた。 |
| 一方で「ジョーダンであっても尊敬しない」というコメントは物議を醸した(後に「コート上で尊敬の念を持ちすぎるのはよくない(気持ちで負けてしまう)。 |
| コートを離れれば尊敬している。 |
| 」と釈明している。 |
| 1997-98シーズンにラリー・ブラウンがヘッドコーチに就任し、平均得点は22点に落ちたものの、フィールドゴール成功率は向上し、チームも前年を上回る勝率を残した。 |
| 1998-99シーズン、ポイントガードからシューティングガードにコンバートされると更に得点を量産するようになり、平均26.8得点を記録し初の得点王を獲得、得点王としてはNBA史上最も低い身長の選手である。オールNBA1stチームにも選ばれた。 |
| またプレイオフにも初めて出場。 |
| 1回戦のオーランド・マジック戦では、第3戦にプレイオフ記録の10スティールを決めるなど活躍し、アップセットの原動力となった。 |
| チームはカンファレンスセミファイナルまでコマを進めた。 |
| 1999-2000シーズン、平均得点を28.4まで伸ばし、初のオールスター、オールNBA2ndチームに選出されるも、プレーオフでは2年連続でインディアナ・ペイサーズに歯が立たず、最後の試合終了後には悔し泣きする姿がみられた。 |
| 2000-01シーズンはラリー・ブラウンの我慢強いコーチングによってチームプレーの大切さと集中力を切らさないメンタルケアによって心技体が安定し、平均31.1得点を記録して再びの得点王、そしてスティール王に輝き、加えてオールスターMVP、シーズンMVPも受賞するなど、まさに破竹の勢いであった。 |
| プレーオフに進んでも、2ndラウンド第2戦(対トロント・ラプターズ)でプレイオフのチーム記録となる54得点、第5戦でマイケル・ジョーダン以来の同一シリーズでの50得点超えとなる52得点を記録。 |
| カンファレンスファイナルでは大学時代からのライバル、レイ・アレンの率いるミルウォーキー・バックスと7戦までもつれる死闘を展開、第7戦では口内の流血を隠しながらプレーを続け(出血がある選手の出場は禁止されている)、第7戦における歴代4位タイとなる44得点を挙げて、チームを1983年以来のNBAファイナル進出に導いた。 |
| ロサンゼルス・レイカーズとのファイナルでは、第1戦、試合はオーバータイムまでもつれた末、マッチアップのタイロン・ルーをクロスオーバードリブルで振り切って放ったジャンプシュートを決め勝負をモノにしたが、続く4試合を続けて落とし1勝4敗で敗退した。 |
| 2001-02シーズン、2年連続で得点王とスティール王となったが、チームはプレーオフ1回戦で敗退した。 |
| 2002年2月に地元フィラデルフィアで行われたオールスターにはジュリアス・アービングが付けていた背番号「6」で出場した。 |
| プレーオフでも平均得点30.0を記録するものの1回戦敗退。 |
| 2002-03シーズン、キャリア初となる82試合フル出場を果たし、3年連続スティール王となったが、チームはプレーオフ2回戦で敗退した。 |
| 平均得点は27.6とし、プレーオフでは平均得点31.7と爆発するが敗退。 |
| 2003-04シーズン、肩や膝の怪我で34試合に欠場しフィールドゴール成功率は自己最低を記録した。 |
| チームはプレーオフ進出を逃した。 |
| 2004年オフ、アテネオリンピックに代表選手として出場したが、銅メダルに終わった。 |
| 国際大会の参加には消極的な選手が多い中、強い参加意欲を示しているアイバーソンだが、今大会以降招集はされていない。 |
| 2004-05シーズン、ポイントガードに戻り自己最高の平均7.9アシストを記録すると共に、自身4度目となる得点王のタイトルを獲得。 |
| 4度の得点王はジョージ・ガービンと並んで史上3位タイである(その上には、マイケル・ジョーダンとウィルト・チェンバレンしかいない)。 |
| チームは第7シードでプレーオフに進出するが、デトロイト・ピストンズ相手に1勝しか出来ず敗退した。 |
| 2005-06シーズン、得点は自己最高の1試合平均33得点、7.4アシストと奮闘するも、チームが結果的に効果の薄いトレードを繰り返したこともあり、自身の活躍が勝敗に結びつかない状況となった。 |
| この年はプレーオフを逃した。 |
| しかしアイバーソンの個人成績としてはキャリア最高クラスの成績を残した。 |
| アイバーソン個人としては華々しい成績を収めながらも、チーム成績は下降線を辿る一途のため、シクサーズは再建を図るためにチームの解体を余儀なくされていた。 |
| そしてついに2006年12月19日、アイバーソンはアンドレ・ミラー、ジョー・スミス、2つの2007年のドラフト1巡目指名権と引き換えに、イヴァン・マクファーリンと共にシクサーズからデンバー・ナゲッツへトレードされた。 |
| その時点でNBA得点ランキングで2位であったが数試合欠場した上での移籍となり、プロ入り以来10年以上在籍したチームに別れを告げた。 |