| 日本に10年留まるかヨーロッパに戻るかを選択肢として持っていたが、欧州のクラブからのオファー内容が、ヨーロッパでの実績のみを基にしたものであったことから、日本でのキャリアに限界を感じていた。 |
| 1996年10月1日、プレミアリーグの名門アーセナルFC監督に就任することが正式に発表された。 |
| なお名古屋時代の右腕ボロ・プリモラツをアーセナルでもヘッドコーチとして起用している。 |
| アーセナルFCがイギリス国外から監督を迎えるのはクラブ創設以来初めてのことだった。 |
| 当時、イングランドではベンゲルはほとんど知られておらず、ロンドン・イブニング・スタンダード紙は、「どのアーセンだ?」(ArsèneWho?)という見出しでこの無名のフランス人監督を表現した{{Citeweb。 |
| 就任1か月前、ベンゲルはクラブに19歳のパトリック・ヴィエラとベテランのレミ・ガルデを獲得するように提案した。 |
| 初采配は1996年10月12日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦で、このアウェーゲームに2-0で勝利した。 |
| 初年度の1996-97シーズンを3位で終えたが、3位という成績は過去6シーズンで最高の順位だった。 |
| 同勝ち点で2位の座をニューカッスル・ユナイテッドFCに譲り、UEFAチャンピオンズリーグ出場権は逃した。 |
| 1997-98シーズン、最後の3か月に怒涛の追い上げを見せ、最大で勝ち点差11まで開いていたマンチェスター・ユナイテッドFCを逆転した。 |
| 鍵となったのはトニー・アダムス、スティーブ・ボールド、ナイジェル・ウィンターバーン、リー・ディクソン、マーティン・キーオンらのベンゲル就任以前から所属していたディフェンス陣であり、エマニュエル・プティ、パトリック・ヴィエラ、まだ10代であったニコラ・アネルカなど新規に獲得した選手が上手く融合して優勝を果たした。 |
| イギリス国外の監督として初めてのプレミアリーグ優勝だった。 |
| プレミアリーグとFAカップの2冠を達成したが、これはクラブ史上2度目の2冠獲得だった。 |
| 1998-99シーズン、最終節でリーズ・ユナイテッドFCに0-1で負け、マンチェスター・ユナイテッドFCに勝ち点1差で2連覇を逃した。 |
| マンチェスター・ユナイテッドFCと対戦したFAカップ準決勝ではロスタイムの失点により敗退した。 |
| 1999-2000シーズン、UEFAカップ決勝でガラタサライにPK戦の末に敗れた。 |
| 2000-01シーズンのFAカップでは決勝でリヴァプールFCに1-2で敗れた。 |
| これらを機にベンゲルは新たに選手を獲得することを決意し、ライバルクラブのトッテナム・ホットスパーFCの前キャプテンであるソル・キャンベルを獲得して議論を醸した。 |
| そのほかにスウェーデンからフレドリック・ユングベリ、ユヴェントスで燻っていたティエリ・アンリ、前年のUEFA欧州選手権で活躍したロベール・ピレスを獲得した。 |
| これらの結果、2001-02シーズンに再び2冠を達成した。 |
| リーグ戦はアウェー無敗(ホームでは3敗)で、38戦すべてで得点するという素晴らしい成績を残し、2位のリヴァプールFCに勝ち点8差をつけた。 |
| FAカップでは決勝でレイ・パーラーとフレドリック・ユングベリの得点によりチェルシーFCを破った。 |
| 2002-03シーズンはクラブ史上初のプレミアリーグ連覇に向けて好スタートを切ったが、シーズン終盤になると調子を落とし、マンチェスター・ユナイテッドFCに逆転された。 |
| しかしFAカップでは6回戦で再試合の末にチェルシーFCを破り、決勝ではサウサンプトンFCを破って優勝した。 |
| 2003-04シーズンは26勝12分0敗でシーズン無敗優勝を達成した歴史的なシーズンになった。 |
| これは1888-89シーズンにプレストン・ノースエンドFCが10勝1分0敗で無敗優勝を達成して以来のことで、欧州のトップリーグではACミランとアヤックス・アムステルダムしか成し遂げていない偉業である。 |
| しかし、2004年初めに「シーズン無敗優勝は可能だ」という意見が出た時にベンゲルはこの意見を嘲笑っており、達成できるとは思っていなかったようである。 |
| 2004年のアーセナルFCとの契約更新で、年棒は320万ユーロ(約4億2500万円)から約400万ユーロ(約5億3000万円)に上がった。 |
| 2004年10月、マンチェスター・ユナイテッドFCに敗れるまでリーグ戦49試合を負けなしで走り続けた。 |
| 2004-05シーズンはチェルシーFCに優勝をさらわれたが、同シーズンのFAカップ決勝ではPK戦の末にマンチェスター・ユナイテッドFCを破った。 |
| 2005-06シーズンはリーグ戦こそ4位だったが、UEFAチャンピオンズリーグではレアル・マドリードやユヴェントス、ビジャレアルCFを倒して決勝に進出した。 |
| クラブ史上初めての決勝はFCバルセロナに1-2で敗れたが、大きな称賛を得た。 |
| 2006-07シーズンは2シーズン続けての4位と苦難のシーズンになったが、2007-08シーズンは息を吹き返し、シーズンの大半を首位で過ごした。 |
| しかし、2008年2月にエドゥアルド・ダ・シルヴァが相手DFからタックルを受けて全治10ヶ月ほどの重傷を負うと、チーム全体に積極性が見られなくなって成績を落とし、マンチェスター・ユナイテッドFCとチェルシーFCに次ぐ3位でシーズンを終えた。 |
| 2009年10月、1934年から1947年まで指揮を執ったジョージ・アリソン監督の在職期間4748日を抜き、アーセナルFCで最も長く監督の座にあった指揮官となった{{Citeweb。 |